何でもアル牢屋 -27ページ目

何でもアル牢屋

趣味丸出しの個人コラムです。フラっと立ち寄れる感じの喫茶店的なブログを目指してます。御気軽にどうぞ!

3月末に、コロナワクチン3回目接種の通知が届いた。これを書いてる今も予約を取っていない。我ながら、何故、3回目を躊躇っているんだろうと考え出した。
ワクチン効果に関して懐疑的と言うのであれば、1回目、2回目だってそうだった訳だし、そもそもワクチンに感染抑制の効果は無く、重症化を防ぐのが目的だと言う事は最初から言われてた。つまり100回打っても200回打っても感染はする。と言う事は3回目を拒否する理由にはなっていない訳だ。

だとすると他にはなんだろう?と考える。

副作用はどうか?

私の事で言えば、1回目を去年の9月中旬、2回目を3週間後の10月初旬に接種し、どちらも発熱も無く、メディアで言われてる様な症状も、これと言って無かった。若干の食欲不振が2日ほど続いたが、3日目からは普通に食べられた。副作用に関しては個人差があるので、酷い副作用が出た人はトラウマがあって3回目を躊躇う理由はある訳だが、私の場合は副作用が無いに等しかったので、副作用に対する恐怖心は無い。だからコレも拒否する理由にはならない。
面倒臭いからと言う理由は無いかなと思う。自分の命に関わる問題には皆、繊細になる筈。おそらく皆、そうだと思うのだが、コロナ対策の武器だと頭では理解しながらも、何か体に良くない薬品を流し込まれてる不健康感に苛まれるのではないか?

 

正直、今の分科会には解散して貰いたい。総理大臣が菅さんから岸田さんに変わった段階で解散を期待していたのだが、岸田首相は何も動かなかった。
会長の尾身さんは、過去に功績のある方だと言う事は判っているのだが、3年目に入ったコロナ化に関しては、打つ手が無くなっているのではないか?

ワクチンを推奨して人の動きを止めるワンパターンが本当に功を奏したのか?

これを確かめる実験は、たった一つで、簡単な話、感染が増えても最低1カ月は敢えて放置して様子を見るしかない。それでウィルスが、どう言う動きをするか?

私がこんな事を書くまでも無く、こんな事は政府も分科会も判っている筈で、判っていてもやらない。ヤル気が無い。万が一、この<敢えて何もしない実験>で、ウィルスの動きに変化は見られなかったと言うデータが出た場合、これはもう東京都知事の小池さんや、各都道府県の知事さん、分科会メンバーも殺されかねない。何故って、今までの国民の苦労と努力は何だったんだとなる訳だから。

それを暗示する怖い出来事が実際に起きた。分科会の尾身会長の自宅の窓ガラスが何者かに割られると言う事件がコロナ化に起きた。この際、割ったのは誰か?って事が問題ではない。相当数の国民の恨みを買ってる立場なんだから。路頭に迷った人、生活苦で自殺した人、不幸になった人は数知れない。そう言った起きた事実に対し、メディアの中には「それとこれとは関係無い」とかボヤく輩を見掛けるが、こういう言い方こそウクライナ人を殺しまわってるプーチン・ロシアの「その情報はフェイクだ」発言と同義語だろう。
 

ワクチンに対する正しい知識を国民全体が再認識する時期に来ているだろう。義務化もされてない状況下で只、「ワクチンを打ってくれ」と言う御願いだけでは動きそうにない。強い人による言葉が必要な訳であり、この場合、岸田首相が思い切って発言すればいい。ワクチンの意義、大義名分、若者へのメッセージ。だって岸田さんは総裁選の活動中に、若者の意見に耳を傾けたいって言ってたんだから。

「感染の連鎖を断ち切る。その効果が期待出来る。それがワクチンであります」

東京都知事・定例会見で、小池さんが嘘を発言している。ワクチンは個人の重症化を防ぐ為であって、感染抑制の効果は無い。それは1回目のワクチン接種の頃から公表されてきた事で、正しくは「重症化を防ぐ為に積極的なワクチン接種を御願いします」ではなかろうか?
小池都知事の発言を聞いてると、東京医師会の御偉方と同じ事を言っている。そこから導き出されるものは何かと言うと、小池都知事と東京医師会がベッタリとした関係であり、明らかに癒着があると言う事。両者を結びつけるものは<選挙>で、このベッタリとした関係から察するに、相当数の票を小池都知事は東京医師会から得ている。

3年目に入った東京都のコロナ政策を見ていると、小池都知事の意識は、どちらかと言うと都民よりも権力組織に寄り添っていて、例えるならヤクザの女親分

「貴方たちの言い分は解かる。だけども事情が事情だから助けてあげられないの。可哀そうだけど死んでね」

勿論、こんな言い方はしないし、したら大変な事になるが、こういう感じのニュアンスを感じる事は確かで、そう感じてる人って多い様な気がする。
 

私は東京都民ではなく神奈川県民なのだが、困った事に神奈川県知事の黒岩さんは、小池さんが、こうと決めると後ろから付いて行ってしまう金魚の糞みたいな人なので、一緒になって飲食店と民間虐めを始めてしまう。それで民間が死んだって「致し方無し」って割り切るんだから、極道と変わらない。

私の身の回りの連中は「もう、黒岩に票はやらない」とか言ってるし、小池さんの事で言えば、前回の都知事選が2020年で任期が5年だから、2025年まで小池政権が続く事になる。投票した東京都民は今更ながらに「しまった・・・・」と感じてると思う。
 

定例会見はハッキリ書いてしまうと茶番で、知事に質問が出来るのは<記者クラブ>と言う集まりに所属している記者達だけで、質問事項も予め知事に渡されており、その質問事項に沿って記者が手を挙げ、会見が進んでいく。なので行き当たりバッタリのバトル会見にはならないと言う訳。

大体、小池都知事のワクチン推奨の発言がオカシイって事は記者達も気付いてる筈で、訂正を求める発言があっても不思議じゃないのに、そういうやり取りは一切無い。一言で書けば<小池親分と手下達の茶番劇場>って感じ。まあ、それであっても毎週、観る事は観るんだけどね。

海音寺潮五郎の「天と地と <文春文庫>」佐木隆三の「復讐するは我にあり <文春文庫>」を読んでいるのだが、これが面白い。
偶然だが、私が面白いと感じた作家は、爺さん作家が多い。何故、爺の書く本は面白いのか。皮肉になるが、若い作家から学ぶ事って殆どない。売れる売れないは関係なく、どれだけ優秀な若い作家でも、どうにもならない壁があるとすれば年期と経験だろう。頭の良さで書いてる作家の殆どが面白くないのは、理詰めで書こうとするから。
所が例外はあって、女性作家は若いとか年寄に関係なく面白い物を書く傾向がある。

これは何故か?

一つにはモノを書くと言う行動そのものが男よりも女の方が優れている点で、二つ目は、感じた事や思った事を直情的に書く傾向があり、男は一々、文献を漁って資料の上に城を建てる様な書き方をするから、説教染みた文章になる。何気ない日々の日記を読んでも面白いのかもしれない。ネットブログなんかも、きっとそうなのだろう。気取った野郎の書いた説教よりも、その辺の女学生の書いた日記の方が、よっぽど面白そうだ。

ネットでモノを書くようになって今年で20年。SNSを始めるのと同時期に個人サイトを造った。それまでキーボードすら叩けなかった私は、基礎的な事を近親者から教わり、それ以降、スラスラと文章を書けるようになった。
子供の頃、作文が大嫌いだった。だが、何かを書いて先生に提出すると不思議と褒められた。高校は定時制に通ったが、自転車通学が面倒臭くて車の免許を取り、車でコッソリ通学した。やがてバレて停学になった。停学中の宿題としてレポートを書いて来いと言われ、内容は覚えてないが適当な題材を書いて提出した所、これも褒められた。何故、褒められるのか理解出来なかった。

ヤフコメAmazonのレビューを読んでると、感想文や商品評価を通り越した作家もどきの投稿者で溢れ返っている。何故、そこで書くのかと言えば、多くの人が目を通す場所だから。人の来ない所に態々書かない。労力の無駄なのだろう。そう言う奴ほど根気と気概がない。私に言わせれば、荒れ地を畑に変えていくから面白いんだろうとなる。最初は実りが無い。だけども徐々に作物が育っていく。そう言う育てる喜びを知らない人が多い。
 

爺さん作家の書く本が何故、面白いのかと言うと、特徴的なのは講談の様なノリで文章を書いている所だろう。例えば良い坊さんの御経は歌う様に読むそうで、それと似た様な感じなのかもしれない。講談を語る様に書いてる所が面白い。
佐木隆三の<復讐するは我にあり>なんかは、恐ろしい連続殺人事件の話で、さぞかしドロドロした内容なのかと読んでいくと、ケラッと笑わせる様な表現、描写をしてたりする。こう言う所がセンスなのであり、恐ろしさの中に笑いと言う調味料をパッと振りかける。すると旨味が増す。
ジャンルは違うが、全裸監督の村西とおるも画期的な男であった。厳格である筈のSEXに笑いと言う有り得ない要素を持ち込んだ最初の男であると、全裸監督の著者・本橋信宏は本の中で書いている。SEXはリラックスして気楽にやればイイんだよ。変な緊張はしなくていいんだよと、村西は教えてくれたのである。

なぜ、ブログをやるのか?

ブログ継続に必要な要素は、訪問者が来てくれない事を前提に、更新していくモチベーションを保てるかどうか?だと私は思う。これは気取った理屈ではなく、曲がりなりにも20年、ネットでモノを書いてきた私の経験則である。
プロフィールでも書いた通り、事情があってGMOからアメブロに流れてきた私だが、芸能人御用達の大所帯でもあるアメブロと言うブログサーバーは、流石と言うか、ブロガー達の競争意識を半端なく感じる。私の新米ブログなんかは殆ど相手にされない。皆、冗談抜きでホントに人気取りが上手だなと感じる。

これだけブロガー達が日々、人気とアクセスを気に掛け、頑張り続ける背景には、小銭稼ぎが目的と言うよりは、ブログを武器に世に出たいと言う意識があるからだろう。全てのブロガーは、どんな記事を書けば人気が取れるのかなんて判らない。そこで今人気のキーワードに関連した記事を書く。特別、そのキーワードに関心は無いけど、人気を取る為なら頑張る。人気取りに徹底出来る自分に気が付き、事実、人気を取れた人は、おそらく実業家に向いているのかもしれない。
 

絶対と言っていいほど扱けないブログの相場は決まっていて、ペット、病気、障害の三つは、相当なアクセスを取る。私の様なマイブーム的なブログは殆ど人気を取る事は無い。先に挙げた三つのキーワードに共通してるのは、他人の家をコッソリ覗く<覗き見的な要素>があるからで、訪問する人も直に関わりたくはないが、間接的に接してみたい欲に駆られる。その間接的な足跡を残す手段が書き込み。いわゆるコメントと言う機能。
GMOにブログを置いていた時、余り意識して無かったのがフォロワーと言う機能。現在のブログ状況で言えば、このフォロワー数が多い少ないで、ブログの優劣が計られる。数字が多ければ訪問者の出入りが多い事を示し、少ないほど訪問者が来ない事を示す。多分、多くの人がそう受け取っている。よって、一旦、フォロワーになっておきながら、唐突にフォロワーを解除する人達の心理には、同じブロガーに対する好意と言うよりは、「此処に居ても儲からねえや」と言う損得勘定の方が強いのだろう。

例えれば証券取引と似ていて、弱小企業が大手企業に寄り添って「一緒に儲けさせて下さい」と媚びを売ってる様な行為と似ている。しかしながらビジネスの世界では、有力な稼ぎ手は誰なのかをリサーチし、一緒に儲けていくのは汚い事ではなく、会社が生きていく為の常套手段であり、欠かせない事だ。

では、ブログの世界においてはどうなのか?金を儲けるか儲けないかの<意識の問題>であり、ブログを商売にしたいのなら人気を取らざるを得ない。正直、気の向かない宣伝行為や活動にも手を出さずにはいられないだろう。そこでフォロワー機能の御登場と言う風になる。アクセスを一杯稼ぐ上手なブロガーのブログを不本意ながらフォローする。そうする事でアクセスのオコボレを頂く。アクセスを稼ぐ為なら手段を選ぶなと言うのが、今風のやり方。アメブロと言う巨大なブログ・サーバーから感じる熱気の正体は、富と名誉を意識する人達の欲の念なのかもしれない。

全くの無欲でブログを始める人も、この御時勢、中々居ないだろう。YouTubeなんかもそうだが、何か反応が欲しくて始める。目的は様々だろう。有名になってテレビに出たい。汗水流して働くのが嫌だから楽して金が欲しい、動機の大半がこの2点で、実際、再生回数の多いユーチューバーのテレビ出演も増えている。

コロナ化で不景気が止まらない放送業界は、自分達が育ててきたテレビタレントを切り捨て、ユーチューバーの起用に躍起になっている。予算の都合も分かるが、これは嘆かわしい事で、テレビの将来の為にはならない。何故ならば、ユーチューバーは動画の中で輝く存在であって、プロの育成を受けている訳ではないので、何処まで行ってもアマチュアのアウトローでしかない。

そもそもテレビを中心に観る人はYouTubeを観る習慣が無い。流行のユーチューバーがテレビに出て来たから噛り付いて観るなんて現象は、まず起きない。YouTubeのスターと言われるヒカキンも、テレビで観りゃ大した事ないのと同じ。ヒカキンだってYouTubeの中だからこそ輝く存在になってる訳。
 

なまじ人気を取ってしまったが故に、苦しむブロガーも居る。

日々、アクセスが跳ね上がってくると、疑心暗鬼に陥って来ると言う不思議な現象が起きる。更新を急がなければならないと言う脅迫観念が芽生えてくる。自分の書く記事が気になって、これでいいのか?あれでいいのか?と考え込む様になる。散々悩んだ挙句、記事内容が薄っぺらくなって詰まらなくなってくる。

人気を取れば取るほど辛くなってくる。人気を取ってしまった以上、それに見合う物を作らなければ人が去って行くと言う恐怖。

 

例えば、多く付いたフォロワー数が日々減っていく事に気が付いた時、どうするか?

 

大急ぎで流行をリサーチし、追い詰められた想いで記事を更新していく。趣味で始めたブログが、いつのまにかビジネスと言う厄介事になっていく。人気取りが自滅を招くケース。そういう人は、世の中のリサーチより、まず自分自身をリサーチする事をお勧めしたい。

個人的な見方だけど、メリー喜多川っていう人は、ジャニーズ事務所の暗黒の面を一手に引き受けて立ち回った<黒衣の宰相>と言うイメージがある。黒衣の宰相って言う言葉は、表立って活動はしないが、裏工作に長けた計略の達人と言う意味で使われる事が多い。
本橋信宏の<全裸監督 村西とおる伝 新潮文庫>の中に、村西とおるとメリー喜多川の大バトルが書かれている。何故、両者が揉めたのか?その経緯は何だったのか?
 

 

事の起こりは1987年。村西とおるの専属女優だった梶原恭子が、当時、絶好調だった田原俊彦のファンで追っかけをしていた時、どういう経緯でか判らないが、田原俊彦本人に見初められ、金沢のホテルで一夜限りのラブロマンスを経験した。人気のアイドルと肉体関係を持った梶原恭子は、村西とおると食事中、こんな事を話した。

「こないだ私、トシちゃんとしちゃったんだ」

この一言で、村西の創作意欲が掻き立てられた。

作った作品は「ありがとうトシちゃん」。1988年の1月に発売された。
内容は金沢のホテルでの出来事を可能な限り再現した。

「トシちゃんのアレがズボッたの」

「大きさは普通以上かな?でも色が綺麗」

「バック、騎乗位、色んな形で・・・」

「たまらなくてイってしまったの。恭子の私生活に登場したトシちゃん」


村西節・炸裂の落書き的コピーで、作品は世に放たれた。名前はトシちゃんではあるが、田原俊彦とは書いていない。この段階では、まだ騒動には発展しなかった。
80年代、村西は日本テレビの深夜番組・11PMのレギュラーとして出演。司会者は村西に聞いた。

 

「監督、今度はどんな作品ですか?」

 

「ありがとうトシちゃんだよ」と村西は答えた。

 

それから数日後、村西は番組から「監督、もう出演は結構です」と通告された。担当ディレクターもスタジオから姿を消していた。何が起きたのか村西は番組関係者に聞いてみた。日テレ幹部に、ジャニーズ事務所のメリー喜多川からクレームが来たのだと言う。担当ディレクター2人が首にされ、村西は降板となった。頭にきた村西は、週刊ポストを使って逆襲に転じた。

<衝撃の告白。ビデオギャル梶原恭子。有名アイドル歌手Tは私の口の中で筋骨隆々となった」(1988年4月8日号)

アイドル歌手Tと言うだけで反応したメリー喜多川は、週刊ポストに猛抗議した。
村西と梶原恭子の二人に会わせろと言う要求だった。両者は小学館の30坪はある大きな会議室で対面した。メリー喜多川は、田原俊彦と娘の藤島ジュリー景子、広報部長の4人でやってきた。両者は机を挟んで対峙した。やった、やってないの口喧嘩になり、田原俊彦が発言する。

「僕は、この子と寝てなんかいないよ」

梶原恭子も負けじと反論。そして見かねた村西が発言する。

「田原君ね、君も男だし、この社長連中の居る前で君はね、やりましたとは言えないだろうけども、黙ってたらいいんじゃないのか?」

村西の発言に田原俊彦は俯いて聞いていた。此処でメリー喜多川がキレる。

「ジュリーさん、呼びなさいよ!呼びなさいよ!」

娘のジュリーに命令し、待機していたトシちゃんの6人の親衛隊が会議室に飛び込んできた。メリーが前もって戦闘要員を連れてきていた。親衛隊は梶原恭子に罵声を浴びせる。

「あんた、コンサート会場に居なかったじゃないのよ!嘘吐き女!」

この当時の事を村西が回想する。

「こうやって敵を打ちのめすんだと言う、娘への英才教育。ママはこうやって敵をねじ伏せて来たのよと言う娘への後継者教育だったんじゃないかな。事務所が所属タレントを守るのは当たり前。だけども普通は抗議先まで本人を連れて行かないよ。あの頃、娘のジュリーと田原俊彦が付き合ってたと言う噂が流れてた。母親のメリーからしたら、娘がトシちゃんを好きなら仕方がないと言う想いもあるし、娘もトシちゃんがAV女優と寝たなんて事を信じたくない。メリーは当時から近藤真彦を溺愛していて、彼をトップに据えたいと言う想いが強かった。何故、トシちゃんを連れて来たかと言えば、彼に対する仕置的な意味合いもあったんじゃないかな。あなたに娘はやれない。幹部候補は無理と言う引導を渡す事がメインテーマだった。トシちゃんは家に帰ってから、自分は何故、あの場に連れていかれたんだろう?と悔し涙を流したと思うよ」

両者の喧嘩は、これで終わりかと思われたが、終わらなかった。
メリーが会議室で策を弄した様に、村西も策を用意していた。あの会議室での出来事の一部始終を、写真週刊誌「フォーカス」に隠し撮りさせていた。

内々で終わる筈だった問題は、写真週刊誌によってマスコミ、一般社会に知れ渡っていく事になる。昔も今もそうだが、芸能メディアはジャニーズの暗黒を表沙汰にしてはいけないと言う暗黙のルールがあり、このトシちゃん騒動は、それまでのタブーをぶち壊し、ジャニーズといえども容赦はしないと言う今の風潮の先駆け的な事件だった。

村西とおるは、ジャニーズ事務所に喧嘩を売った。
村西は、その手始めに電話線を引いて「ジャニーズ事務所マル秘情報探偵局」を開設し、一般層からジャニーズタレントの汚れネタを集め、マスメディアに提供し、徹底抗戦した。だが掛かってきた電話の殆どは村西に対する誹謗中傷だった。この中傷も今となってはメリーの放った工作員だったかもしれない。

それから30数年の月日が流れた。メリー喜多川は90代の晩年を迎えていた。
世間では<全裸監督>と言う得体のしれない作品が話題になっていた。目敏いメリーは、それが何の作品なのか調べた。ある男を題材にしたドキュメント映画なのだと言う。その男の名は村西とおる。何処かで聞いた覚えのある名前だとメリーは感じた。メリーは遠い記憶を掘り起こした。

「あの男だ・・・」

30数年前、小学館の会議室で対峙した、あの時の男だった。その男は歳は取ったが、あの眼光の鋭さは、あの時のまんまだった。田原俊彦が起こした忘れ様もない恥の歴史だった。自分はその尻拭いをし、醜い争いを展開した。それが世間に知られた。醜聞を世間にばら撒いたのは村西とおると言う男だった。
かつての憎い男を題材にした映画が世間にウケ、その主役を山田孝之と言う流行の人気俳優が演じると言う。メリーにとって、これほど悔しい事はなかった。今、自分に出来るせめてもの抵抗は、ジャニーズのタレントを、あの作品に介入させない事だった。出演も評論も許さない。村西を語るなと厳しくジャニーズタレントをしつける。若いジャニーズ達は、何故、老いたメリーが村西に嫌悪感を抱いているのかが分からなかった。若手のジャニーズにとって、その事件は、自分達の知らない異界で起きた出来事で、後で知るまで知る由も無かった。

何処の番組も当然だが、メリーを芸能界の功労者として、英雄として、先に亡くなった弟のジャニーの優秀な姉として伝えた。メリーの暗躍の事実は知っていても知らない振りをしなければならない。それが今も続く日本の芸能文化と、ジャニーズ事務所と言う天然記念物である。

 

 

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