何でもアル牢屋 -28ページ目

何でもアル牢屋

趣味丸出しの個人コラムです。フラっと立ち寄れる感じの喫茶店的なブログを目指してます。御気軽にどうぞ!

1994年2月14日、ロシアで52人を殺した一人の怪人が処刑された。
連日報道されるウクライナとロシアの戦争。度々、表示されるロシアの地図を見て、数年前、マイブームになっていたロシアの怪事件を想い出した。ロシア連邦南西にロストフシャフトゥイと言う小さな町があり、その2つの町で事件は始まった。この事件を知った最初の切っ掛けは、古本屋で見つけた「マーダー・FILE」と言う定価524円のワンコイン・ブックの本だった。世界の著名な殺人鬼30人を特集した内容で、その中の一人が今回取り上げているロシアの怪人。

その後、ホラー作家の平山夢明が書いた「異常快楽殺人」と言う文庫本に出会い、この中でロシアの怪人を興味深く取り上げていた。流石と言うか、平山夢明の文体がホラーっぽくて刺激的な描写が多かったせいか興味をそそられた。この事件を本格的に知りたくなったのが、その時からで、後で紹介するが、国内で翻訳された3冊の本を夢中になって読み込んだ。
 

事件の捜査は1982年で、12歳の少女が買い物に行ったきり帰って来なくなり捜索願いが届けられた所から始まった。

季節は丁度、梅雨時で、少女は、その年の6月6日に殺され、数週間後に遺体が森の中で発見された。遺体は森の中で原型をとどめないほどに腐乱していた。当時、DNA鑑定と言う便利なシステムが無かった時代で、行方不明になった少女だと判別できたのは、ほぼ白骨化している頭部にわずかに残された編んだ毛髪だった。遺体には頭部に鈍器による一発の打撃痕と、41箇所の刺し傷があり、目玉は両方とも抉り取られていた。

この事件から3週間後には、同じく森の中で14歳の少女、9歳の少年、16歳の少女、3体の遺体が発見された。少女達の遺体は3週間前の少女とほぼ同じ状態だったが、9歳の少年の遺体は違っていた。少年の遺体はロープで手が縛られ、体には折檻されたナイフの細かい傷。特徴的だったのは少年の舌が半分欠け、局部が切り取られていた。同年の12月11日、音楽教室に通っていた10歳の少女が、帰って来なくなった。数日後、少女は人気の無い生い茂る草村で発見された。遺体の状態は更に凄惨さを増し、刺し傷が50箇所、両目が抉られ、胸部が裂かれ臓器が露出し、腸の下半分と子宮が持ち去られていた。この一連の事件が捜査されたのは82年からなのだが、78年に9歳の少女、81年に17歳の少女が殺され、数人の男達が容疑者として挙がったが、逮捕するには証拠が無く事件が迷宮入りしていた。

この異常な事件の解決は、捜査が開始された82年から怪人が処刑される94年まで12年続いた。検察が立件できた殺人が52件。つまり立件できなかった殺人を合わせれば、それ以上と言う事になる。

殺された52人の内幕は、成人女性と少年少女に限られ、成人男性は一人も居なかった。女子供を殺しまわる、この怪人の目的は一体何なのか?
事件は最初、ロストフとシャフトゥイを往復する様に続発し、同じ様な事件が大都市・モスクワまで拡がっていった。小さな田舎町で起きた局地的な猟奇殺人が大都市にまで展開され、世間がザワザワと騒ぎ始めた。そして警察の本格的な捜査が開始され、警察と精神科医が同席する合同会議が行われた。

「この事件はカルト宗教が絡んだ殺人事件で、複数犯に違いない」

警察側は大体、この意見で合致したが、一人の精神科医が流れを変えた。

「いや、この事件の犯人は複数犯ではなく、一人の人間による犯行だ。性別は成人男性。犯人は仕事を持っていて、移動をしなければならない人物だ。例えば物資調達や輸送に関わる仕事。子供達が容易に森に誘い込まれると言う事は、子供を懐柔する術を心得ている者で、家庭を持っているのかもしれない。犯行現場には精液が撒き散らされている事を考えると、性に対するコンプレックスを抱えている可能性がある」

このプロファイリングが、この事件を紐解く鍵になり、この見事な読みをした精神科医が後に事件解決の大きな存在になっていく。

事件発生から8年経った1990年11月3日。16歳の体の大きいスポーツ少年の遺体が発見された。この少年は結果的に殺されたが、大きな手掛かりを残した。

現場には少年と怪人が格闘した形跡があった。危険を察知した少年が怪人の腕を抑え込み、取っ組み合って転げまわり、右手中指に喰らい付き、渾身の力で嚙み砕いた。少年の抵抗はそこまでで、怪人のナイフは少年の腹を抉り、絶命させた。逮捕後の怪人の供述で判った事だった。

私には、この殺人だけが、他の殺人とは何か違うものを感じた。それまでの怪人の犯行は反抗する術を持たない少年少女が殆どだったのに、何故、抵抗する術を持つ体の大きい少年を選んだのだろうか?

これまで全く抵抗を受けなかったと言う自信から慢心が生まれたのだろうか?

それともゲームで言えば、初級、中級の難易度に飽き、上級に挑戦してみたくなったのだろうか?

いずれにしても怪人の一生の不覚となった。
 

その3日後の11月6日、駅に配置された私服警官が、目の前にあった森から一人の男が出て来るのを発見した。

男は長身でブリーフケースを持った初老の男だった。初老の男は森から出て来ると近くにあった水道で手を洗っていた。私服警官は、男に職務質問をした。男はアンドレイ・ロマノヴィッチ・チカチーロと答えた。54歳で孫も居る男だった。私服警官が顔をよく見てみると、頬から顎にかけて赤い染みが付いている事に気付いた。手を見ると右手の中指にグルグル巻きにした包帯が巻かれていた。森で何をしていたのかと聞くと、男はキノコ狩りをしていたと愛想よくニコニコと答えた。そこは確かにキノコの狩場であり、私服警官は思わず納得し、そのまま職務質問を終了させ、男は他の客と談笑しながら電車に乗って去ってしまった。

それから24時間後、男の出て来た森の中から22歳の成人女性の遺体が発見された。遺体の眼は何かを訴えるかの様に見開き、手足を縛られ、拷問されたかのようだった。捜査当局は私服警官を叱り飛ばしたが、私服警官は森から出て来た男の名前を控えていた。12年に渡る猟奇事件の終焉が、いよいよやってきた瞬間だった。1990年11月20日、アンドレイ・ロマノヴィッチ・チカチーロが逮捕された。

1992年4月14日。初めての裁判が開かれる前に、怪人・チカチーロは妻と面会した。二人は涙を流しながら抱き合い首筋にキスをした。妻は言った。

「どうして、こんな事に・・・」

「結局、こうなってしまったんだよ。君はいつも医者に見て貰えと言っていたのに、言う事を聞かなかった。私がいけなかったんだ」

子供は二人いた。息子は父親の起こした事件で人生が狂った。交際していた女性とも別れを告げられた。娘は結婚して女の子の孫がいた。娘にとっては信じられない現実だった。父が孫を公園に連れて行って可愛がっている姿と、人様の子供を森に連れ込んで殺しまわる父の姿が、どうしても一致しなかった。

12年に渡って続いた酷い事件ゆえに、殺された子供達の遺族の報復が容易に予想できた。チカチーロの家族は、その面会を最後に離婚し、財産の全てを妻の名義にし、家族は名前を変え、誰にも知られない土地へ越していった。
有名過ぎる怪人・チカチーロの裁判の模様は、今でもユーチューブの動画に残っているので、興味のある方は検索して、そちらの方を御覧頂きたい。

ロシアで起きた、この事件に一番最初に興味を持ったのはアメリカだった。

1992年、逮捕から2年後にアメリカの<ニューヨーク・タイムズ>が、<鉄の檻の中の男・!ロシアのホラーストーリー!>と銘打って、写真入りで報じた。翌年の93年に、この題材を扱った3冊の本が出版された。出版順に並べると以下の通り。

「52人を殺した男」(著者・ミハイル・クリヴィッチ&オルゲルト・オルギン 邦訳・小田晋 出版社・イースト・プレス)

「少年たちは森に消えた」(著者・ロバート・カレン 邦訳・広瀬順弘 出版社・早川書房)

「撫で肩の男」(リチャード・ラウリー 邦訳・染田屋 茂 出版社・文藝春秋)

この事件が何故、こんなに書籍化されるかの要因の一つに、ストーリー性のある猟奇事件と言うのがある。

12年間で少なくとも52人の女子供を殺し、全く捕まらずに警察の追跡を逃れ、ひたすら追い続ける警察組織、ひたすら殺しては逃げ回る謎の怪人と言う判り易さが、人間の脳を刺激せずにはいられないのだろう。よく言われがちな19世紀イギリスの切り裂きジャックの再来と言うより、この事件はジャックの犯行を超えている。捕まらない事でジャックは伝説となったが、ジャックも、この事件を知ったら驚くだろう。
3冊の本を読み終えた感想は、三者三様で、題材が同じなのにも拘わらず、内容が全く被っていない。この事件を知りたい人に最もお勧めなのが、ロバート・カレンの「少年たちは森に消えた」で、今でもAmazonで簡単に手に入るので是非、読んで頂きたい。この本の特徴は、もっとも小説っぽく書いてある所。主人公には当時、事件を担当したロストフ民警のブラコフ少佐と言う強面の心優しい男が演じている。そんな彼が凄惨な現場を目の当たりにし、どう動いていくのか?そこが読み所。3冊の本が特徴的なのは、それぞれ主人公が違う点であり、よって事件を見る視点も違う。なので、同じ題材なんだけど違う事が書いてある。つまり新しい発見がある。

3冊の本に共通して書いてあったのは、この怪人は悲惨な戦争によって造られたと言う点で、この怪人も又、戦争の犠牲者であると論じている。事件の背景が、アフガニスタン侵攻の、ほぼ1年前に始まり、ペレストロイカの波から、ソ連解体へと至る時代の大きな変化に対応するように続いた。チカチーロの犯行がソビエト連邦の終焉の混沌の中に咲く毒々しい花の様な異彩を放っているのも無理は無いと著者たちは書く。
懸念すべきは、チカチーロがそうであったように、ロシアとウクライナの争いによって、新たな怪人が誕生してしまうのか?って事であり、ウクライナ人虐殺の報道を見る度に、アンドレイ・ロマノヴィッチ・チカチーロを想い出さずにはいられないのである。

コロナ化の自粛の最中、「巣篭もり」と言う新しい言葉が誕生した。

引き籠りと変わりはないが、引き籠りって言うニュアンスが陰気でオブラートに包む必要があったので、何か良い言葉が無いかと探した結果、巣篭もりって言う、ちょっと小動物的なニュアンスの可愛い言葉が認知された。私が子供の頃は、籠りがちな子供は<もやしっ子>と言われたもんだった。
コロナ以前、インドア派の人達は、何処か肩身の狭い想いをしていたが、今となっては立場が逆転して、アウトドアの人達が肩身が狭くなってきた。外で遊ぶ奴ほどコロナを持ってきてバラ撒くみたいな印象を持たれ、逆にインドアは静粛でインテリなイメージがあるから、迷惑を掛けない人達と言うイメージが定着してきた。引き籠る事で「偉いね」と褒められる時代が到来した。時代の流れとは判らないもんだ。
 

私自身はインドアと言うよりは、用が無ければ延々と引き籠るタイプで、1か月くらい引き籠ってても全然平気。昔からそうだったのかと聞かれれば、そうではなかったと答える。活発だった時期もあったが、歳と共に合理的になっていき、しなきゃいけない事、やらなくていい事をハッキリと分ける様になった。要するに面倒臭いのかもしれない。

例えば、籠りがちの人は「外に出ないと体に悪いよ」と言われる。そこで、外に出ないと体に悪い根拠とは何か?って考えてしまう。論破王・ひろゆきの真似じゃないが、インドア派にも、それなりの正論が欲しくなる。

陽に当たって外の空気を吸う事で健康維持が出来るなら、自宅のベランダに身を乗り出してれば、陽に当たる事も出来るし外の空気も吸える。理屈は同じじゃないかと思ってしまう。目的も無く外をプラプラする理由が欲しいとすれば、歩く事しかない。そうすると、外に出て歩く事と、家の中で足踏み運動するのと何が違うのか?となる。
独りぼっちは、職場と家の往復になりやすい。状況的に仕方がないと思う。話し相手が居ないだけで、人はハンデを背負う。何か動こうとする場合、多くの人は誰かに居て欲しいと思う。それが居ないとなると、どうしても億劫になる。一人でも能動的に動ける人は稀で、多くの人は思い付きだけで動けない。創作物のキャラにそういう能動タイプが多いのは納得で、そうでないと話が面白くならない。ジーっとして動かないキャラに人は興味を持たない。面白い作品の殆どは、有り得ない話の、有り得ないキャラの組み合わせで成り立っている。

動くのか?動かないのか?その選択肢は、人それぞれ。

動く事で現状を打破出来るかも知れないと考えるか、動いた所で状況は変わりはしない。無駄だと考えるか。どちらも保証は出来ないので、正解、不正解も無い。何もしない事が数字のゼロならば、動く事で1にも2にもしたいと考えるのは、宝くじの理屈と似ている。宝くじも買わなければ当たらないと言う理屈。

要は確率の問題。確率に掛けるのはギャンブルも同じ。カードゲームのポーカー、ブラックジャック、麻雀もそう。上がれる確率を、どう上げていくか。ポーカーと言うゲームは、最初の掛け金は別として、配られたカードが駄目だとプレイヤーが判断して降りる事が可能。麻雀には降りるルールは無いが、どうやら上がれそうもないと判断して安牌を切りまくって流す事は出来る。他のプレイヤーがツモったら別だが、安牌を切り続ければロンされる事は、殆んど無い。人生と同じで、無駄だと感じるなら<辞める>と言う選択肢も間違いではない。
 

20代後半の頃、仕事を辞めてバイクでプラプラしていた事がある。目的も無く、只、漠然と道路を走って、公園広場のベンチに座り、陽に当たってボーっとして、気が済むと家に帰った。そうやって何か変化を期待していたが、何も起きなかった。その内、無駄だと感じて辞めてしまった。それで感じた事は「動いても動かなくても同じじゃないの?」って事。

色恋沙汰も同じで、積極的に動いたから成就する訳じゃない。こっちが好きでも向こうが好きじゃないんだから成立する訳が無い。よく恋ネタ自慢で、脈の無さそうな相手を頑張って振り向かせる事が出来たとか言ってる人は、嘘だと思う。それって相手が何かメリット感じたから乗ってきただけだと思う。

実の所、男女の相性は生まれた時から決められているらしい。生まれてから誰を好きになって誰を嫌いになるかは決められていると言う生物学があり、具体的には生まれ持って形成された脳が決めている。その説が腑に落ちるのは、例えば、何か危害を受けた訳でもないのに<なんか判らないけど嫌いな奴>と言う人が世界中の誰にでも存在する。何故嫌いなのか自分でも判らないパターンが殆どで理由が見つからない。

一方で、接点は無いのに<この人、メッチャ好き>って言うパターンもある。この場合も、好きになる明確な理由が判らない。人と人との相性は絶対にあるとしか言い様が無い。

ふらりと立ち寄った本屋で、その本を手に取った一番の動機は、死に対する関心からだった。
これを書いてる今も、ロシアとウクライナの戦争の真っただ中で、その戦火で人が死ぬニュースを見ない日は無い状況下だが、この本を読んだのは、それ以前の事。

 

本のタイトルは「どうやらオレたち、いずれ死ぬっつーじゃないですか」

 

みうらじゅんリリー・フランキーの対談本で、元々は2011年11月に扶桑社から単行本として出され、令和三年に新潮文庫から加筆&修正して改めて刊行されたらしい。読んだのは文庫版と言う事。

死と言うテーマを含め、25の話題を二人が語り合うと言う内容で、笑いもあれば、世の不条理や理不尽を実体験で語ってくれてて、面白かった。
私個人の事で言えば、死に対する関心は東日本大震災だった。1975年から神奈川県で育った私は、災害で困った経験と言うのが無い。日本列島の中でも関東地方の神奈川県はホントに大きな災害が起きない土地で、日本の歴史に名高い関東大震災も、私は生まれてないので知らない。何処かの川で大洪水も起きたらしいのだが、それも知らない。大雨も振り、大雪で積もり、地震もそれなりに来るが、人が死ぬほどの被害までには至らない。私だけに限った事ではなく、神奈川県民の多くが、そう感じている筈である。

我々、神奈川県民は、東日本大震災から多くの事を学んだし、震災後の二次災害における悲劇をテレビの報道で観て、人生を考えさせられる転換期にもなった。特に風評被害は深刻で、福島原発が置いてある福島県は特殊な扱いを受け、多くの農家で悲劇が起きた。当然の様に自殺者や虐めも増え始めた。
酷い災害が起きると、世の作家達が「今が稼ぎ時」とばかりに活発な動きをする。大抵は政治批判だが、中には<死とは何か?>にスポットライトを当てる作家も多かった。2020年から始まったコロナ騒動もそうで、死に関心を持つ国民が急増した。切っ掛けは人それぞれで、志村けんがコロナに感染して呆気無く死んだ事にショックを受けた人も居れば、コロナ化の不景気で職を無くし、生活の先行きが見えなくなった途端、死が身近に感じられる様になって関心を持ち始めた人も居る。人はそんな時、国民的な連帯感を感じる。

「死ぬってどういう事なんだろう・・・」

何故か、そんな事を考え出す。

おそらくだけど、死に対する美徳観念を持ってるのは人間だけで、犬や猫の様な動物たちは、人間ほど死に対する恐怖感や絶望感を持っていない様な気がする。ペットを看取った事がある人なら分かるかもしれないが、動物たちは実に潔く死んでいく風に見える。

例えば、一つの個室で多頭飼いされている動物のどれかが目の前で死んでも、周りの動物が騒ぎ立てる事をしないのは何故なのか?

これが人間だった場合、血相変えて大騒ぎしてパニックになる。この差は一体何なのか?

一つの仮説があるとすれば、人間の遺伝子が関係していて、それを我々はDNAと言う呼び方をする。我々動物の体は、先祖から引き継がれてきた細胞の集合体とドライに考えた時に、遠い過去から、何度も死んできた遺伝子が記憶として残って、未来に受け継がれて来てるのかもしれない。だから漠然とした死に対する恐怖と怯えが、何かの拍子にスイッチが入り、不安に駆られる現象が起きるのかもしれない。それは長続きはせず、ある程度、思いつめると一段落し、生きる為の楽しい事を考え出し、前に進もうとする。人生は、この繰り返しなのかもしれない。

動物と人間との差を考えた場合、脳細胞の大きさと言うしか説明のしようがない。大きければ大きいほど脳の細胞は繊細になる。それに関連して、養老孟司先生の本を読むと面白い事が書いてある。我々人間は、目の前にイヌが三匹居れば、犬と言う動物が三匹居ると認識する。しかし犬が人間を三体見た場合、どうなるか?犬にとって<人間と言う動物の概念>が無いから、目の前にいる人間を三体の人間としては認識しない。別々の形の違う生き物が三体居ると認識する。詰まり、人間にとっては三匹の犬であり、犬にとっては三体それぞれの別の生命体となる。この説を読んだ時、腑に落ちて感動すら覚えた。
みうらじゅんとリリー・フランキーも本の中で、「人間の脳は都合の良い方へと考え方が傾いていく」と語っている。家庭で生活を共にし、可愛がっているペットにも、おそらく飼い主が「都合の良い考え方」を無意識に発動しているのだろう。話しかけると寄ってきたりするのも、言葉を判ってくれたと思い込みたい。

動物からすれば、人間と言う生命体が自分に何か訴えている事くらいは認識する。だから取り敢えず寄っていく。寄っていくかどうかの基準は、そいつが自分に対し害を与える存在なのか、そうでないのか。その際、呼んでいる人間側が<食べ物>を持っていた場合、これは高確率で寄っていく。何故ならば、呼んでる生命体は自分の腹を満たしてくれるかもしれない存在だから。詰まり、害を与える存在ではないと認識する。

本の中で非常に共感した部分がある。第三章「仕事にまつわる事」と言う章で、みうらじゅんが「飽き」に関して語っている。

「人間の性として「飽きる」って言うのがあるから、いかにして「飽きない振りをする」かって言う事が大事になって来る。俺、自分に一つだけ才能があるとすれば、飽きてる事を飽きてないと言い切れる自信だけなんですよね。そりゃあ当然、飽きますよ。でも、そこにしか活路がないんですよね。オリジナルなんて無い。新しい事を見つけられるなんて思った事もありません。だから、一つの事を飽きずにやるって言う、そこしか俺の道は無いって思ってるんですよね。仏像も、もう好きかどうかも分からない状態。でも、見たいんです。で、飽きずに続ける事以外に輝けるものが無いと思っているから長生きしたいんです」

みうらじゅんの、この言葉って凄~く、よく分かる。
私自身も2002年からネットでモノを書き始めて今年で20年になる。その20年の過程で、何度も何度も飽きに襲われ、辞めたくなる事も何度もあった。飽きている事への自覚もある。だけど辞められない何かがある。私の場合、辞めた先に何も無いから続ける道を選んだ。みうらじゅんは<何か一つの個性><自分だけの輝き>と例えた。そこに、この台詞の価値がある。

座頭一を演じる主演の勝新太郎を凄いと思うのは、眼の見えない盲目の演技と、独特の居合抜きによるアクション以上に、殆んど喋らないにも拘わらず、動きだけで観る者を魅了している所だろう。
対称的なのは、例えばテレビ朝日の人気ドラマ「相棒」の杉下右京。どんだけ台詞があるんだとばかりにマシンガン喋りをする水谷豊が演じる右京と全くの真逆で、勝新太郎の喋らない演技が映像作品として成立してしまう所に凄さを感じてしまう。
 

座頭市は何の為に旅をしているのだろう。
解説を読んでみると、どうやら目的はないらしい。敵討ちでもなければ最愛の女を探している訳でもない。座頭市は純粋に生きるだけ生きて、野垂れ死ぬ事を望んでいるのではないか?と個人的に解釈する。

旅の途中、歩いているだけで毎日の様に面識もない悪党に襲われ、降りかかる火の粉を払うが如くバッサバッサと斬り殺し、何事も無く素通りしていく。何故、そうなるのかと言えば、座頭市は御尋ね者であり、懸賞金を掛けられた人殺しだからで、今で言うシリアルキラー(連続殺人者)なのである。
だが、殺したいから殺すような愉快犯やサディストではなく、その殺人の殆どが正当防衛で、やらなければ自分がやられる訳だから野生の世界に近い。時代劇を観て感心するのは、現代の様に日常が都市化され、同じ毎日の繰り返しなのではなく、今日は生きてるけど明日は死んでるかも知れないと言う保証の無いリアルさを描いている所だろう。現代の様に明日の予定など到底ありえない時代だった訳だ。酒の場も緊張感があり、無礼を働くと刃が飛んできて、次の瞬間、首が飛んでたなんて事も冗談でなく本当にあったそうだから、我が国ながら恐ろしい時代だった。
 

弱きを助け強きを挫く。座頭市が自ら売りにした訳ではないが、座頭市の評判は、そんな風に人々に伝わっていった。
座頭市のパターンは大体決まっていて、旅の最中に宿場町に立ち寄り、一休みしようとすると周りで事件が起き、巻き込まれる形で事件に関わっていく。彼の生業は按摩(あんま)と言う今で言う整体マッサージで、日銭を稼ぎながら生計を立てている。座頭市は己の命の危機以外で怒りを爆発させる事は無い。殴られようが、からかわれようが、それで怒って仕込みの刀を抜く事は無い。
例外は、悪人によって世話になった人が危機に陥れば虎の如く豹変し、単身で乗り込み、斬り裁いていく。高倉健の様に、耐えて耐えて最後に爆発して暴れる任侠っぽさも感じられるが、何かが違う。

どう違うのか。

健さんの場合、敵討ちが動機なのに対し、座頭市は立場的に弱い弱者の代表となって悪を裁く。とするならば、座頭市と言うキャラは、民、百姓の普遍的な想いが産んだ英雄なんだろうか。

勝新太郎が演じる座頭市は、中国の芸能業界に知れ渡り、アクション映画の流れを変えた。
1960年代、中国の時代劇は武侠映画と呼ばれていた。武侠映画の特徴は1対1の果し合いによるアクションだった。中国人は日本の座頭市を知った。座頭市で描かれていたのは、一人の達人が複数を相手に立ち回り、踊る様にバッサバッサと斬り伏せていくアクションだった。中国の時代劇では1対1こそが伝統の見せ場だったが、座頭市を観て目から鱗が落ちた。

「こんな見せ方があったのか・・・」

そして70年代を機に、中国のアクション映画は変わっていった。
武侠と言う言葉が無くなり、代わりにクンフーと言う言葉に入れ替わった。日本ではカンフーと呼ばれるが、正式な言い方はクンフーが正しい。日本での一般認識として、クンフー映画と言えばブルース・リーが出てきて、次にジャッキー・チェンと言う流れなのだが、ブルース・リーが世に出てくる前に、ジミー・ウォングと言うアクションスターが居た。実の所、この人こそがクンフー映画の礎を築いた人だった。ジミー・ウォングが居たからブルース・リーが生まれ、ブルース・リーが居たからジャッキーチェンが生まれた。
ジミー・ウォングこそが日本の座頭市を意識した中国最初のアクション俳優だった。そのジミーは、後に「新・座頭市 破れ!唐人剣」という作品で、日本映画に初登場する事になる。

座頭市が中国のアクション映画の流れを変え、座頭市の魂を継承したのは日本人ではなく、ブルース・リーとジャッキーチェンと言う二人の中国人だった。

「燃えよドラゴン」で、ブルース・リーが見せた集団戦の元ネタになったのは座頭市だった。やがてジャッキーチェンが映画で集団戦に挑み、そのアクションは<スポーツ・アクション>と呼ばれ、芸術の域に達し、ハリウッドに尊敬された。
今日に至るアクション映画が、芋づる式に座頭市と繋がっていたと言う事実。国境を越えた縁と言うのは不思議だな~と思う。

「イクラちゃん」と聞いて殆どの人がサザエさんを連想し、今時の流行だとYOASOBIのボーカルの女の子を連想する訳だけど、世代によっては、イクラちゃんと言えばムーンドッグスを思い浮かべるだろう。
シャネルズ、横浜銀蝿、バブルガムブラザーズ・・・80年代から90年代、リーゼント、サングラス、スーツと言うファッションで、どう言う訳か<似たような人達>が乱立していた時代の真っ只中だった。イクラちゃんという人がボーカルを務めていたムーンドッグスと言うグループも、ソウルミュージックを引っさげて現れた新星だった。
ムーンドッグスが不幸だったのは、メジャーに打って出れるヒット曲に恵まれなかった事だろう。例えばシャネルズにはランナウェイがあったし、バブルガムにはWON'T BE LONGがあった。
ヒット曲の無いまま六枚のアルバムを発表したが、売り上げの方は不明。それもその筈で、大手の歌番組にも出る事は無かったし、特集される事も無かった。しかし、どう言う訳かボーカルのイクラちゃんだけは個性が強かったようで、90年代初期に深夜番組で度々御目に掛かったのを憶えている。
当時、私は16歳だった。
動画サイト・ユーチューブでシャネルズを検索してたら、自然にムーンドッグスに辿り付いてしまった訳なのだが、やっぱりシャネルズのファンにはムーンドッグスのファンも多いんだろうか。似た様な雰囲気があるし、シャネルズが好きなら抵抗無く入って行けるグループだろう。
ムーンドッグスのイクラちゃんを検索して調べてたら、現在も音楽活動していたみたいで嬉しくなった。更にブログまで開設していた。↓

 

 


トレードマークだったリーゼントからスキンヘッドにイメチェンしたイクラちゃん。
ヒット曲は無かったけど、耳に残るイカした歌の数々をユーチューブで聴けるので、聴いて欲しい。インターネットが普及しても、まともに取上げてるメディアも無いので、微力ながら我がブログで宣伝してあげたいなと思った次第!