個人的な見方だけど、メリー喜多川っていう人は、ジャニーズ事務所の暗黒の面を一手に引き受けて立ち回った<黒衣の宰相>と言うイメージがある。黒衣の宰相って言う言葉は、表立って活動はしないが、裏工作に長けた計略の達人と言う意味で使われる事が多い。
本橋信宏の<全裸監督 村西とおる伝 新潮文庫>の中に、村西とおるとメリー喜多川の大バトルが書かれている。何故、両者が揉めたのか?その経緯は何だったのか?
事の起こりは1987年。村西とおるの専属女優だった梶原恭子が、当時、絶好調だった田原俊彦のファンで追っかけをしていた時、どういう経緯でか判らないが、田原俊彦本人に見初められ、金沢のホテルで一夜限りのラブロマンスを経験した。人気のアイドルと肉体関係を持った梶原恭子は、村西とおると食事中、こんな事を話した。
「こないだ私、トシちゃんとしちゃったんだ」
この一言で、村西の創作意欲が掻き立てられた。
作った作品は「ありがとうトシちゃん」。1988年の1月に発売された。
内容は金沢のホテルでの出来事を可能な限り再現した。
「トシちゃんのアレがズボッたの」
「大きさは普通以上かな?でも色が綺麗」
「バック、騎乗位、色んな形で・・・」
「たまらなくてイってしまったの。恭子の私生活に登場したトシちゃん」
村西節・炸裂の落書き的コピーで、作品は世に放たれた。名前はトシちゃんではあるが、田原俊彦とは書いていない。この段階では、まだ騒動には発展しなかった。
80年代、村西は日本テレビの深夜番組・11PMのレギュラーとして出演。司会者は村西に聞いた。
「監督、今度はどんな作品ですか?」
「ありがとうトシちゃんだよ」と村西は答えた。
それから数日後、村西は番組から「監督、もう出演は結構です」と通告された。担当ディレクターもスタジオから姿を消していた。何が起きたのか村西は番組関係者に聞いてみた。日テレ幹部に、ジャニーズ事務所のメリー喜多川からクレームが来たのだと言う。担当ディレクター2人が首にされ、村西は降板となった。頭にきた村西は、週刊ポストを使って逆襲に転じた。
<衝撃の告白。ビデオギャル梶原恭子。有名アイドル歌手Tは私の口の中で筋骨隆々となった」(1988年4月8日号)
アイドル歌手Tと言うだけで反応したメリー喜多川は、週刊ポストに猛抗議した。
村西と梶原恭子の二人に会わせろと言う要求だった。両者は小学館の30坪はある大きな会議室で対面した。メリー喜多川は、田原俊彦と娘の藤島ジュリー景子、広報部長の4人でやってきた。両者は机を挟んで対峙した。やった、やってないの口喧嘩になり、田原俊彦が発言する。
「僕は、この子と寝てなんかいないよ」
梶原恭子も負けじと反論。そして見かねた村西が発言する。
「田原君ね、君も男だし、この社長連中の居る前で君はね、やりましたとは言えないだろうけども、黙ってたらいいんじゃないのか?」
村西の発言に田原俊彦は俯いて聞いていた。此処でメリー喜多川がキレる。
「ジュリーさん、呼びなさいよ!呼びなさいよ!」
娘のジュリーに命令し、待機していたトシちゃんの6人の親衛隊が会議室に飛び込んできた。メリーが前もって戦闘要員を連れてきていた。親衛隊は梶原恭子に罵声を浴びせる。
「あんた、コンサート会場に居なかったじゃないのよ!嘘吐き女!」
この当時の事を村西が回想する。
「こうやって敵を打ちのめすんだと言う、娘への英才教育。ママはこうやって敵をねじ伏せて来たのよと言う娘への後継者教育だったんじゃないかな。事務所が所属タレントを守るのは当たり前。だけども普通は抗議先まで本人を連れて行かないよ。あの頃、娘のジュリーと田原俊彦が付き合ってたと言う噂が流れてた。母親のメリーからしたら、娘がトシちゃんを好きなら仕方がないと言う想いもあるし、娘もトシちゃんがAV女優と寝たなんて事を信じたくない。メリーは当時から近藤真彦を溺愛していて、彼をトップに据えたいと言う想いが強かった。何故、トシちゃんを連れて来たかと言えば、彼に対する仕置的な意味合いもあったんじゃないかな。あなたに娘はやれない。幹部候補は無理と言う引導を渡す事がメインテーマだった。トシちゃんは家に帰ってから、自分は何故、あの場に連れていかれたんだろう?と悔し涙を流したと思うよ」
両者の喧嘩は、これで終わりかと思われたが、終わらなかった。
メリーが会議室で策を弄した様に、村西も策を用意していた。あの会議室での出来事の一部始終を、写真週刊誌「フォーカス」に隠し撮りさせていた。
内々で終わる筈だった問題は、写真週刊誌によってマスコミ、一般社会に知れ渡っていく事になる。昔も今もそうだが、芸能メディアはジャニーズの暗黒を表沙汰にしてはいけないと言う暗黙のルールがあり、このトシちゃん騒動は、それまでのタブーをぶち壊し、ジャニーズといえども容赦はしないと言う今の風潮の先駆け的な事件だった。
村西とおるは、ジャニーズ事務所に喧嘩を売った。
村西は、その手始めに電話線を引いて「ジャニーズ事務所マル秘情報探偵局」を開設し、一般層からジャニーズタレントの汚れネタを集め、マスメディアに提供し、徹底抗戦した。だが掛かってきた電話の殆どは村西に対する誹謗中傷だった。この中傷も今となってはメリーの放った工作員だったかもしれない。
それから30数年の月日が流れた。メリー喜多川は90代の晩年を迎えていた。
世間では<全裸監督>と言う得体のしれない作品が話題になっていた。目敏いメリーは、それが何の作品なのか調べた。ある男を題材にしたドキュメント映画なのだと言う。その男の名は村西とおる。何処かで聞いた覚えのある名前だとメリーは感じた。メリーは遠い記憶を掘り起こした。
「あの男だ・・・」
30数年前、小学館の会議室で対峙した、あの時の男だった。その男は歳は取ったが、あの眼光の鋭さは、あの時のまんまだった。田原俊彦が起こした忘れ様もない恥の歴史だった。自分はその尻拭いをし、醜い争いを展開した。それが世間に知られた。醜聞を世間にばら撒いたのは村西とおると言う男だった。
かつての憎い男を題材にした映画が世間にウケ、その主役を山田孝之と言う流行の人気俳優が演じると言う。メリーにとって、これほど悔しい事はなかった。今、自分に出来るせめてもの抵抗は、ジャニーズのタレントを、あの作品に介入させない事だった。出演も評論も許さない。村西を語るなと厳しくジャニーズタレントをしつける。若いジャニーズ達は、何故、老いたメリーが村西に嫌悪感を抱いているのかが分からなかった。若手のジャニーズにとって、その事件は、自分達の知らない異界で起きた出来事で、後で知るまで知る由も無かった。
何処の番組も当然だが、メリーを芸能界の功労者として、英雄として、先に亡くなった弟のジャニーの優秀な姉として伝えた。メリーの暗躍の事実は知っていても知らない振りをしなければならない。それが今も続く日本の芸能文化と、ジャニーズ事務所と言う天然記念物である。


