悪い事をした人達に教えたい社会の仕組み! | 何でもアル牢屋

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清原和博には、捨てられない三つの頑固がある。

1:何故、坊主頭なのか?

2:何故、眉毛を細くするのか?

3:何故、顎に個性的なデザインの髭を生やすのか?


個人的な見解だけど、清原は、この三つの頑固を辞めれば流れが変わると思う。
清原からすれば、「これが俺の生き方なんです」となる訳だが、世間は個人の御都合主義なんか見向きもしない。社会の仕組みとは何かと言えば、まず外見なのである。坊主頭に髭と言う組み合わせは典型的にヤクザな男を彷彿させる訳で、これだけで人は敬遠する。そもそも清原の顔に細眉は似合わない。むしろ濃く太い眉の方がカッコ良くなる顔立ちで、元々、端正な顔立ちな訳だし、細く見せるのは逆効果。
反省の態度とは裏腹に外見が伴ってないので、世間からは「大人しくしてるけど反省はしてないのかな?」って取ってしまう。世間は自分が思ってる以上に誤解をすると言う事を学ばなければならない。
同じ様なケースに、横浜銀蝿のボーカル・翔が居る。覚醒剤・撲滅運動のキャラだった時期もあり、暴漢に襲われた他人を救って警察から表彰され、その後、覚醒剤で逮捕されると言う珍しいタイプの人だったが、刑期を終え、出演した番組でテリー伊藤と共演した際、テリーに突っ込まれた。

「反省してないよ。だってカッコつけてるもん」

テリーが突っ込んだ<翔のカッコつけてる部分>とは、髪型のリーゼント、サングラス、髭、相変わらずの不良チックな喋り方の事だった。
翔からすれば、「これが俺のキャラですから」となる。外見への拘りが優先した時点で人は厳しい態度に出る。今の清原と全く同じである。どうしたら良かったのかと言えば、嘘でもいいから真面目な外見で人前に出る。それは媚ではなく騙しでもない。賢さであり機転である。清原も翔も、そこが判っていない。
人や世間は良い意味で騙せるって事を、悪い事をしてしまった人達には学んで貰いたい。そう言う期待を込めた今回の記事と受け取って貰いたい。