閃きの極意とは、何もしないと言う事について! | 何でもアル牢屋

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やれどもやれども成果が出ない。やれる事はやっている。動いてはいる。やればやるほど裏目に出てドツボに嵌まる。誰にでもいつかは来る絶不調だけど、そんな時、どうやって乗り切ってきたのか?いくつかの事を試みた。

1:とにかく辞めない。

2:一旦、辞めてみる。

3:気分転換を兼ねて、上手くいかない事を無期限で辞めてみる。

4:ゴロゴロと寝る。

5:行く当てもなく散歩をする。

6:バイクや車など乗り物の運転をして気を逸らす。

7:映画、ゲーム、読書、音楽、娯楽に時間を費やす。


状況によって事情は異なるが、芸能みたいな人気商売は動きを止めたら取り残されて終わりって言うケースがあるから辛いなと思う。どんな役者も芝居をする舞台が無ければモノの役に立たない。どんな歌手も歌う場所が無ければ意味が無い。どんな芸人も笑ってくれる人が居なきゃ只のアホになる。物書きも読んでくれる人が居なきゃ只のゴミになる。

良いアイデアが浮かばないと言うケースの場合、何かのヒントを探しに行くか、開き直ってプラプラと散歩をするかの二択になる。昔、少年ジャンプを読んでいた頃、人気作家に読者の悩みを聞いて貰うコーナーがあった。そこで読者は、こんな悩みを打ち明ける。

「漫画を描きたいのですがアイデアが浮かびません。映画を一杯見た方が良いのでしょうか?」

この問いに答えたのは「ジョジョの奇妙な冒険」の荒木飛呂彦だった。彼はこう返した。

「僕の様に三度の飯より映画が好きと言うタイプなら別だと思うけど、アイデアが無いから映画を観ると言う発想が間違いだと思う」

当時、これを読んだ時に、中々、手厳しい答えだなと思ったものだが、なるほどなと思う説得力が荒木にはあった。只、アイデアとは全くのゼロから生まれる訳ではなく、何かの経験によって自然に養われる事を、荒木だけでなく多くの創作者が口を揃えている。
語り継がれる映画を観たからだとか、人気の識者の本を読んだからだとか、そう言った間接的な事ではアイデアは得られないよと言う難しい現実がある。映画も本も自分が楽しめればそれで良しと考え、プラスアルファ的な要素を求めず期待しない。それがアイデアの引き出しになるかどうかは、その人の感性の問題だろう。

興味深い打開策に掃除をすると言うのがある。何故、掃除なのか?と思われるだろう。精神科医の春日武彦氏によれば、人はゴミの中で生活すると精神がゴミと同一化して荒んでくるのだと言う。なるほど、そう言うものなのかと思う。実際、春日氏と懇意な仲の作家・平山夢明がスランプで絶不調の時、春日氏に相談し、こう言われた。

「貴方、部屋の中、汚れてるでしょ?まずは掃除から始めた方が良いと思うよ」

言い当てられた平山はハッとし、家に帰って道具一式を揃え、室内やトイレを細かく磨いた。それから後、どう言う訳か仕事がはかどり、頭がシャッキリと冴え、軌道に乗れたのだそうだ。
掃除がもたらした効果とは何だったのか?春日氏は一種の魔法なのだと言う。何らかの固執や拘りで精神状態は悪化する。取り除くのではなく、今すべき事をする。感情に左右されない生活をする事で精神状態を保つ精神療法。不安や不調は取り合えず置いておく事で有名な森田療法と似ているかもしれない。

一昔前、日本テレビで放送していた「マネーの虎」と言う投資番組が流行っていた頃の話。
餃子で一攫千金を得たと言うジジイ社長の講演会の話が面白かった。ジジイの話によれば、商売の鉄則として、まず覚えて貰いたいのは、他所と同じ事をやらない事なのだと言う。まずは、そこからだと言う。
例えば、ココイチのカレーを何故、食いに来るのか。或いは、ピザーラのピザを何故、三千円も払って食いたがるのか。ココイチにしろピザーラにしろ、他所には無い何かがあるからなんだとジジイは言う。此処で大事なのは、商売で成功したかったらココイチやピザーラの真似をしない事。同じ事をやっても、まず勝てない。
まずは他所と同じ事をしない、真似をしない。そこを踏まえた上で、何をやっても上手く行かない時がどうしてもあるんだと。そんな時は、どうするか?

 

これはもうプラプラするしかない!

 

プラプラしてる内に不思議とポンっとアイデアが浮かんでくる。どうやら人の脳味噌って言うのは、良かれ悪かれ気紛れを起こすらしい。ジジイは、そう言って笑顔を見せた。