何回行っても緊張する免許更新の話! | 何でもアル牢屋

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趣味丸出しの個人コラムです。フラっと立ち寄れる感じの喫茶店的なブログを目指してます。御気軽にどうぞ!

車の免許更新に行って来た。免許を取って丸30年と言う月日が経った。歳取ったんだなと思う。今更ながらに不思議で仕方が無いのは、よく免許取ったなと。
子供の頃、私は乗り物酔いが激しかった。バス、タクシーが特に酷くて、何故か電車だけは平気だった。揺れが原因と言うより匂いが駄目なのかもしれない。遠足や課外授業はバスの移動だったので行くのが嫌いだった。当日、風邪でもひいて休めないかなと前日まで無駄な足搔きをし、結局、嫌々行ってバスの中でゲーゲー吐いていた。
吐き疲れて今度はバスを降りるのが嫌になってきた。子供ながらに、このまま死ぬんじゃないかとさえ思っていた。帰りのバスで自宅が近くなってくると元気が出て来る。やっと解放されると言う安堵感。家に帰ると元気になる。私は、そんな少年だった。

 

 

そもそも免許を取りたいと思った動機は不純だったかもしれない。

このブログでも以前書いたが、私は高校時代を定時制で過ごした。人にもよるが定時制は学校に行っていると感覚が無い。学生服は存在しないし、同級生も年齢がバラバラで、教室の雰囲気も普通の学校とは違う。
16歳で入学、4年制の所を一年留年し、5年通って卒業した。卒業した時、21才になっていた。定時制3年目の19歳の頃に教習所に通い出した。理由は自転車で通うのが面倒臭いからだった。
車の免許を取れば必ず初乗りの日がやってくる。教習所内でもない、路上教習でもない。全くのプライベートの初乗りは緊張する。初乗りには後輩を助手席に置いたのを覚えている。今でもそうだが、車の運転って孤独感がある。外の世界と遮断された様な錯覚に襲われる事もあるし、不安症を患っている人なら、家から車に乗るまでが試練と感じる人も居るだろう。
路上での初乗りは度胸と根性しかない。きっと皆、そうだったと思う。居直りと言うか、どうにでもなれと言う前向きな意味での度胸と根性。そこで自信が付けば次がある。次の時は少し気が楽になる。そうやって経験値を積む。私の30年の運転は、そんな感じだった。

免許更新って何で警察署なんだろう?と素朴な疑問を持ちつつ、更新って何回したんだろう?と回数さえ覚えていない。更に、何度来ても警察署って所は独特な雰囲気がある。何度も来てる筈なのに慣れない。悪い事をして来た訳ではないのに、ちょっとした罪悪感に囚われる。緊張しているのを体で感じる。オドオドしない様に気を持って自然体を意識する。
聴力と視力を検査する訳だが、聴力検査は受付の発する言葉が聞こえているかどうかが判定基準になっている。別にイヤホンみたいな機器を使う訳ではない。視力検査は人によるらしい。裸眼、眼鏡、乱視、それぞれに合った検査が行われる。しくじったら別な場所でもう一回なんて事になるから、独特なプレッシャーがある。なので、当日の目の調子は重要だ。事前に目薬を差してシャッキリするのも効果的。
最期の締めが講習会。講習会は前回の更新から無事故&無違反の優良運転者と、その期間、一回でも違反して点数を切られた一般運転者で扱いが変わる。優良運転者は、そのまま警察署の一室で30分の講習会と言うか勉強会が義務付けられている。点数を切られた運転者は後日、別館で1時間の講習会。別館での講習会は30年の間に一回だけ経験がある。「何で自分が・・・」とばかりに、皆、憮然とした表情で受けていたのが印象的だった。
近年は高齢者の悲惨な事故が多発したせいもあって、免許更新のシステムもドンドン変わってきた。今以上に変わる事は容易に予測出来る。遅かれ早かれ、免許返納も強制化される日が来るだろう。そうなると都会はイイが、田舎は移動手段を奪われる。その辺をどう忖度するかが課題になる。
この話題、落とし所がないので、この辺にしておこう。