山本陽子追悼企画・松竹・八つ墓村の裏話! | 何でもアル牢屋

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松竹版・八つ墓村の大ファンとして、山本陽子と言う女優は私にとって圧倒的な春代さんであった。
77年度作品と言う年月もあって、出演者の殆どが他界してしまったのだが、生き残っている俳優は数えるほどになった。近年、マニアな作家の一部がレトロ映画の解説本を出版するが、そろそろ松竹版の八つ墓村のみを扱ったマニアックな本の御登場を願いたい所だ。この映画のファンを自負する春日太一あたりが出してくれないだろうか。
当然、出演者のインタビュー記事が必須となる。その最先鋒と言えるのが山崎努だと思うのだが、彼にとっては、それほど思い入れのある作品ではないらしく、どちらかと言えば「新・必殺仕置人」の念仏の鉄の方が思い出深いそうだ。所で春日太一は、この松竹・八つ墓村の関連本で快挙をやってのけている。亡くなる三ヵ月前の夏八木勲にインタビューし、落ち武者の大将・尼子義孝の役について貴重な記事を得て本を出版した。聞きたいけど誰も聞けなかった事を春日がやってのけた所に、彼の価値がある。私はその本を買って読んだが、敢えて此処でのネタバレは避けたい。書ける範囲で書く事に留めたい。

春日が松竹・八つ墓村のファンだと言う事は先に書いたが、春日によれば、私と同じく、壮絶で怪奇な演技を見せた夏八木勲の尼子義孝の存在が印象に残ったらしい。特にラストの多治見家の炎上を丘の上から見下ろす八人の落ち武者のシーンが好きらしい。

春日は夏八木に、あの尼子義孝と言うキャラをどういう想いで演じていたのか?と聞く。夏八木は、この作品をよく覚えていた。尼子義孝と言うキャラは架空ではあるけど、毛利との戦に敗れ、辿り着いた村に落ち延び、村人に裏切られ、無念の最後を遂げる武将であると夏八木は解説する。彼は役作りの為に図書館にまで足を運び、毛利と尼子の関係や歴史などを勉強したそうだ。そうする事で、より一層、役に入り込める。
彼によれば、無念さをどう伝えるかが見せ所だったそうだ。誰もが落ち武者惨殺シーンでの夏八木の怪演に息を吞んだが、その本気の演技で自分がどの様な表情になっているのかまでは計算出来ないそうだ。どう映ったかは夏八木にとって重要ではなく、演じきれたかどうかがポイントだったらしい。

撮影秘話によると、俳優達の配役に一部、変更があった様だ。山本陽子と小川真由美の役が逆だったらしい。そうなると森美也子が山本陽子で、小川真由美が春代と言う事になる。尼子義孝の役も元々、夏八木勲ではなかったらしく、沖雅也が演じる予定だったらしい。
今となっては有名な話かもしれないが、松竹・八つ墓村は、角川春樹と松竹による合作の予定だった。金銭的なこじれで角川春樹が撤退し、松竹は単体で八つ墓村を制作する事になった。一方の角川は、松竹よりも一年早く、独自の制作で「犬神家の一族」を公開した。その一年後に松竹は八つ墓村を公開。結果的に両作品とも大成功を収め、語り継がれる伝説的な日本映画になった。
そういう経緯を知ると想像してしまう。松竹の八つ墓村の金田一が石坂浩二だったら、どんな風になったんだろうか。警部役の加藤武とのコンビも面白そうだ。そうなると、かなり作風が変わっただろうなと思う。後に市川崑・監督で八つ墓村が制作された訳だが、配役は納得がいかない。金田一は豊川悦司ではなく石坂浩二で行くべきだろうと思った人は多い筈。いっその事、落ち武者の大将に豊川を使った方が見所があったのではないか?とさえ思う。

八つ墓村と言う作品が珍しいのは、原作よりも圧倒的に映像版の方が面白い事だろう。私の場合、昭和のテレビ映画で観たのが最初だったが、松竹版の陰気でドロドロとした独特な雰囲気と、映像に反して芥川也寸志の圧倒的な優美な音楽が混ざり合って、少年ながらに印象に残った。
八つ墓村の圧倒的な存在感である多治見要蔵の役が山崎努と気付いたのは随分後の事で、私の世代の山崎は伊丹十三の作品「たんぽぽ」「お葬式」でのユニークな俳優と言うイメージだったので、そのギャップに良い意味でのショックを覚えた。
原作ファンには申し訳ない書き方だが、小説は長ったらしいだけで面白くないと言う印象。原作では序盤に村の名の由来と落ち武者伝説について書かれているのだが、伝説は伝説として置かれ、犯人は伝説を利用して殺人を展開したと言う事件なのだが、松竹版・八つ墓村はそれで終わらせなかった。そこで映画では、こんなやり取りが展開される。

「事件の概要は理解出来ましたが、この事件の動機は何だったんですかね?」

此処で渥美清演じる寅さん風・金田一が淡々と語り出す。

「あの・・・この事件はね・・・何と言うか、犯人ですら知らない実に不思議な偶然があったんです」

落ち武者伝説は只の伝説ではなかった。過去から現代へと引き継がれた不思議な因縁が渦巻いていたと言う結末に視聴者は「そうだったのか・・・」と、ゾクッとした。本編終了後も奇妙な余韻が残る。
その余韻がレンタルビデオ店へと走らせる。もう一度観たい。好きな場面を何度も巻き戻しては見てしまう。この作品には中毒性があるのだろう。