クシャクシャの千円札の理論! | 何でもアル牢屋

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「プロスポーツ選手ほど最低な人間は居ない。何故ならば彼等は社会人としての試練を受けていないからだ」
この言葉は私の言葉ではなく、引用である。一昔前、アメリカのアメフトの選手が犯罪を起こし、人様と世間に迷惑を掛け、その際に苦し紛れに吐いた捨て台詞だった。捨て台詞の割に妙に印象に残る言葉である。何故なんだろうか?
プロスポーツ選手の犯罪は何処か子供じみている印象は確かにある。目の前に歩いていた美女とヤリたいから口説いてみた。釣れない態度だったし、段階踏むのも面倒臭いから仕方なく襲ってみた。誰とは言わないが、日本でも、この類の事件はあった。プロスポーツ選手の持つ無邪気さは、時に暴力や犯罪に変化し、人様と世間に迷惑を掛ける。今、話題の大谷翔平と通訳の水原の事件が騒動を起こしているが、これも世間に迷惑を掛ける類の出来事だろう。
大谷翔平は、野球が上手な大きな子供と言う表現を私はする。あの愛嬌と生真面目さに違和感を持つ訳であり、三十路も近い男なのに毒気と言うモノが感じられない。毒気と言うのは必ずしも悪ではなく、人として人間らしく生きる為の必要な要素で、それは人生の年季であり、どれほどの人と血の通う付き合いをしてきたのかと言う経験値とも言える。何処か機械染みた大谷からは、人っぽさが感じられない。

会見での彼も、まさしくロボ的な発言であった。弁護士の書いた作文を読みながら「私は無実です」と知らぬ存ぜぬを通し、自分は被害者だと主張した。しかし思う。水原をそうさせたのはお前だろうと。お前にも責任の一端はあるだろうと。
野球に専念したいから身の回りの事は他者に任せると言う考え方自体が子供なのであり、判り易い例えで表すなら、魚の世話を猫にさせるのと同じだろうと言う事。今回の騒動で露呈したのは、大谷翔平と言う人は随分とお金に対し無頓着なんだなと言う事で、なるほど、だからアッチにコッチにバラ撒きを容易にしてしまうんだなと腑に落ちる。金を稼ぐ人間は、金を意識して、金の管理を自分で把握し、管理せねばならない。その上で信用出来るプロに任せる。プロスポーツ選手は一種の<実業家>であり、管理能力も求められる。そう言う意味では大谷翔平は実業家としては失格だろう。
 

プロスポーツ選手が社会人の試練を受けていないと言うレッテルを張られる要因の一つに、金を稼ぐ苦労を知らないと言う点がある。彼等の殆どが幼少や学生時代からチヤホヤされる環境下で育つ為、アルバイトすらした事が無い人も普通に居る。彼等にとっては10万、20万と言う<はした金>も、世間一般が、この額を稼ぐのにどれほどの苦労をするかと言う実態も知らないまま大人になっていく。

金は稼ぐが稼いでいる実感や充実感が欠落している為、金銭感覚が麻痺する。預金通帳の桁数しか見ていないので金の価値観がイマイチ判らない。それは例えば、ピン札の一万円と、十枚の使い込まれたクシャクシャの千円札を見比べても、何の感情も浮かばないと言う無関心さと無感情の日常が普通になっている。桁違いのバラ撒きを躊躇なく実行する大谷翔平には、クシャクシャの千円札の心理など判る筈も無いのだろう。その結果が、水原事件を引き起こしたとも言えるのではないか?
金の価値が判っていれば起きようもない事件であり、いわゆる<世間一般の社会>から見れば、ファンタジーゾーンの世界である。