自分の歯について、どう考えるべきか? | 何でもアル牢屋

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先日、奥歯の古い詰め物が外れた事が切っ掛けで歯医者通いが始まった。数年ぶりの歯医者である。

私の歯は16歳を機にあっちこっちが悪くなった。歯磨きを怠っていたのも原因だが、私には歯に対するマメさが無い。なので定期健診もしない。定期健診のメリットは、歯を汚れの段階で手入れし、削りを最小限に留める所だろう。定期に歯の手入れをする訳だから虫歯が出来る暇がない。歯の健康が維持できるのは理に適っている。つまり歯が悪くないにも関わらず、歯医者に行くマメさを持つ優等生たちこそが、最後には勝ち組になる。
悪くなってから行くのが本来の当たり前なのだが、此処が歯科と内科の違う所で、内科の場合、定期的に言った所で内臓を強化補強してくれる訳ではない。何をしに行くのかと言えば、体内のデキモノを見つける為に行く。歯科の場合、劣化した部分を補強しに行く。歯医者は歯の大工と言われている所以はソコにある。よって内科医は大工ではない。
 

過去を遡った経験則で想い出すと、歯医者通いの切っ掛けは、些細な事から始まる。例えば、詰め物が取れてしまった。自分で処理するのは不可能なので、歯医者に行かねばと言う発想が浮かぶ。取れた詰め物は保存し、持って行って装着してもらう。そこで終わる筈だったが終わらなかった。何故かと言えば歯医者は、取れた部分の歯を見て「これは虫歯が原因ですね」と言って、どうやら持って行った詰め物を大人しく着ける気が無い。此処で患者には二つの選択肢が用意される。

1:いいから、とにかくソレを着けてくれ。治療をしに来た訳じゃないんだ。その時は予約を取るから。

2:これも何かの運命か。これを断ると後々ヤバい事になるかもしれない。今の内にやっておこう。


歯科は基本的にオーダー制である。こちらから頼まなければ歯に手を付けない。取れた詰め物を付け直せと我を張れば、最終的にはやってくれるだろう。だが、後々の事を考えれば、この歯医者とは余り良い関係では居られなくなると言う想いが巡る。つまり次回が頼み辛い。だが、その逆に、歯医者の診察と勧めを素直に受ければ、その時点で信頼関係が芽生える。
医師と言う仕事は聖職だが、一方で商売の面を持つ。病院にとっての収入は国民健康保険を含め、患者の持つ金であるし、つまり患者が居ないと成り立たない。病院からすれば患者との継続的な付き合いこそが重要となる。その重要さがあるから病院はホームページを作る。医師の紹介や、時にはインスタやブログまで発信する。今の時代、ホームページを持たない病院は敬遠されがちで、患者の獲得が難しい。患者が何を求めているのかと言えば、信用と安心感なのである。病院のホームページを見ないと行く気が起きない。だから信用がイマイチし辛い。安心感とは何かと言えば、医師がどんな人なのかを事前に知っておきたい事と、設備がどの程度揃っているのかに重点が置かれる。
産婦人科の先生が男なのか女なのかと言うのも非常に重要なのだろう。拘る女達にとっては、自分の性器を見せる相手が<この先生で良いのか?>と考えるのも判る気がする。以前、テレビで面白かったのは、泌尿器科の先生が女医で、そこそこの容姿と若さを兼ね揃えており、自分の所に診察に来る患者の質について語っていた。どう見ても病気では無さそうな男が来るのだと言う。

泌尿器科は問診ではない。医師の目の前で陰部をさらけ出しマジマジと見てもらう。性器に問題が無いかを触診しなければならない。すると男の患者のペニスはムクムクと大きくなり出し、緊張どころか性的興奮を起こす。精子が溜まっていれば我慢汁させ滲み出す。これはアダルトビデオの世界ではない。現実の診察で起きているのである。その際、女医がヤリマンかどうかは関係ない。テレビに出演した泌尿器科の若い女医は「そういう患者も居ます。もう見慣れてます」と素っ気なく答えた。

話題が反れてしまったので戻そう。自分の歯と、どう付き合っていくべきか?
確かに歯医者と患者では認識が異なる。コーヒーや紅茶、或いは炭酸などによる着色や汚れすら奇麗にした方が良いと論ずる歯医者。患者からすれば、何はともあれ今の所、痛い所も無いし沁みる所も無い。口内のバランスを崩したくないから今は弄りたくないとなる。どちらも正論であり筋は通る。やるべきなのか?やらない方がいいのか?この葛藤で人は悩む。
例えば私には今、黒く変色した部分の歯がある。正直、気になってはいる。だが平穏には暮らせている。歯医者はコレを見て「治した方がいいですよ」と言う。どこの歯医者も「その程度、放置してて大丈夫ですよ」とは言わない。だが不思議なもので、心の何処かで「その程度、大丈夫ですよ」と笑顔で言い放つ歯医者を求めている自分が居るのである。これこそが妄想である。しかし、この都合のイイ妄想が己のモチベーションを保ち、折れない心を形成しているのも事実なのだ。
歯医者通いを難しくさせるのは、奇麗ごとで<生きている歯>を弄った結果、事態が悪化するケースである。もしかして弄らない方が良かったかもしれない。そう思う時があるのである。これは、どういう事なのか?
歯医者が必要以上にゴリゴリ削り過ぎた結果もあるが、どうやら歯と言うのは、どれか一本を弄るだけで歯神経のバランスが乱れるらしい。神経は頭のてっぺんから爪先まで全身で繋がっている。当然、そういう事もあり得る訳だ。

精神科領域に<歯科心身症>と言うのがある。歯医者通いが祟ってストレスが溜まり、不安症やパニック障害を引き起こす。口内の自律神経も乱れ、異常もない歯がシクシクしたり、知覚過敏を感じる様になったり、過去の治療歯(主に被せてある歯)の奥に違和感を感じたりする。
こうなると患者はまず、「こうなった原因は全て、自分を引き込んだ歯医者のせいだ」と歯医者に恨みを抱く。これはもう最悪の悪循環で、今辞めようにも既に手を付けてしまった以上逃げられない。完走するまで終わらないのだから、精神的に辛い。それを歯医者に訴えても歯医者には、どうする術もない。「何とか頑張って下さい」とか「治療の最中、辛かったら手を挙げて下さい」と言う慰みしか出来ない。

歯医者を擁護する訳ではないが、近年の歯医者事情は随分変わったと思う。ザックリ書くと、優しくなった。
椅子に座って不安そうにしていると声を掛けてくれる。「大丈夫ですか?」と若い歯医者はマスク越しに笑顔で言う。すると私は「歯医者苦手なんです」と答える。そこで返ってきた言葉で大分、緊張が緩んだ。

「大丈夫。いいんですよ。中々、歯医者が好きな人は居ませんから」

こう言った返しは、昭和や平成には見られなかった現象だった。昭和の歯医者は、もっと怖かった。やる気のない素振りを見せる患者には容赦なく嫌味が飛んできた。

「やる気ないなら辞めた方がいいんじゃないの」

「この程度の事で・・・しっかりしろよ」

「お前、それでも男か!悔しくないのか!0の人間なのか!」


流石に三つ目の言葉はスクールウォーズの滝沢先生の言葉で創作だが、人によっては効果ありそうだ。
歯医者と患者の距離感や空間については、海外が先進国らしい。どこの国でも歯医者は嫌われ者で、行きたがらない傾向が強いようだ。しかし生きている限り、何処かで世話にならなければならない場所でもあり、避けてばかりも居られない現実がある。強要や強制ではなく、患者自らが「歯医者に行きたい」と思わせる取り組みが歯科医師会では積極的に行われている。日本も此処の意識が変わってきたのである。
クリニックによっては不安症の患者に対する笑気ガスと言う抗・不安作用のガスを吸入させて、より安全な治療をする所もある。患者が歯医者に求めるものは何か?と言う客観視を歯科業界は始めた。歯医者にとって悩みとは、患者が怖がってしまう事だった。
今、歯医者に行くべきか?まだイイのか?積もる所、死ぬまで葛藤は続くのである。