熊被害は人災。国が真剣にマタギを育成すべし! | 何でもアル牢屋

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結論から書くと全国各地の熊被害は人災だと思う。
私の様に熊被害とは無縁の神奈川県民からすると、全国各地で起きる熊被害の報道は、毎年の恒例行事の様に聞き流すだけだったのだが、此処まで酷い事態になるとは思わなかった訳。
被害を直接与えているのは熊だとしても、一番の諸悪の根源は政治だと思う。つまり、マタギと呼ばれる熊撃ちのプロを何故、真面目に育成してこなかったのかと言う問題で、これは自治体が取り組むだけでは間に合わないし、国のど真ん中が取り組まなければならないのではないか?と思うのである。
熊騒動とは何なのかと言えば、自然のバランスが崩れたって事であり、このバランスを維持するのに必要なのがマタギと呼ばれる熊撃ちで、この人達が居るから人と熊と自然のバランスが取れる。人間社会は自然動物が増え過ぎる事をゆるさない。増え過ぎれば色んな被害が起きる。畑を荒らす、農作物も食われ商売に影響も出る、家畜も食い殺され、当然ながら人も襲われる。誤解してはならないのは、熊に限らず動物達は本能で生きてるって事。生きる為に食い、子孫を残す為に子を作る。人間は明確に殺意を持って生命を絶つが、動物達は生きる為以外に他の生物を殺めない。

ある実験で、一つの箱庭に虎と鹿を放った。誰もが虎が鹿に襲い掛かると思ったが結果は違った。実験した人間が何に驚いたかと言うと、虎は鹿に全く興味を示さず、空気の様に知らんぷりした事だった。
何故、虎は鹿を襲わなかったのか?
虎は、ついさっき食ったばかりで腹一杯だった。人間が畏怖する虎と言う猛獣も、腹が減ってなければ殺生に興味が無いのである。それを考えれば人間と言う動物は腹が一杯でも平気で人に襲い掛かる。地球規模と言う壮大さで考えれば、この地球上で一番ゴミの様に最低な動物は人間って事になる。何せ人間は必要以上にモノを食って無駄に自然を壊す。

人間の勘違いは、地球の覇者だと思ってしまっている事だろう。人間と動物の決定的な差は脳の仕組みと大きさだと言われているが、具体的に言えば動物に対抗出来る武器を発明したから人間は有利になれた。では、もしも熊が鉄砲を持って人間を狙い撃ちにする術を持っていたらどうなるのか?この時点で人間と熊の戦いは平行線になる。その熊の大群が鉄砲を持って徒党を組んで山を下りてきたら、もうそこはジブリアニメの宮崎駿の世界である。
そんな事が現実に起きる訳ねえだろ!と人はタカを括る。起きないと思っている。だが、そう思う人は、今起きている全国の熊騒動を予想出来たのかどうか。こんな風になるとは思わなかった。皆がそう思う。この理屈は東北の津波騒動でも当て嵌まる。あんな凄い波がまさか来るとは思わなかった。皆、そう思った。恐ろしいなと思った。

それにしても、増え続ける熊をどうするつもりなんだろう。自治体は申し訳程度に、現れた熊を小刻みに殺してるが、それで事態が休息する筈もない。この小刻みって言うのが厄介で、ジワジワ感が妙にリアルで人間の感情を揺さぶるのか、土地と関係の無い連中がわざわざ自治体に嫌がらせの電話をしてくるそうだ。
殺すのが嫌だったら、後は捕まえて熊牧場を作ってサーカスをするしかない。現実的には駆除と言う名目で熊には死んで貰う以外無いのではないか?日本では古来から熊撃ちが撃ち殺した熊は、食用になって人間が食う。マタギ達は誇りを持って熊を葬り、その肉を感謝を持って頂き霊を鎮める。素晴らしい信念を持つマタギと言うハンターをキワモノみたいに扱ってきたのは政治だろう。
考え方を変えるべきであり、マタギはなりたい人がなるのではなく、国が価値を持って職業としてのマタギを育成し、各地に派遣し、バランスの維持を目的に努める。日本の政治の危うさは、人間にしか行き届いていない事で、人間以外の事に対して無頓着なのである。そういう意味で、熊被害は灯台下暗しの人災と言えるのではないだろうか?