こんにちは
まーにゃですニコ

令和5年もあと少し、

もうすぐお正月ですね。


過去の記事です↓


新しい年の始まりとして、

現在でも特別な意味を持つお正月ですが、

「五穀豊穣をもたらす年神様が家々に来る日」

として、江戸時代は現在よりももっと重要で、

年神様は「新しい年の命を人々に与える」

と考えられていました。


江戸時代の暦は旧暦でしたので、

当時の正月は立春に近く、

これから新しい命が芽吹く季節ということもあり、

五穀豊穣、子孫繁栄などを祈る行事も、

行われていました。


門松やしめ縄の意味

門松やしめ縄も

年神様をお迎えするアイテムでした。


門松は

年神様が家に来る際の目印「依代(よりしろ)」

の意味があります。

門松として依代とされるのは常緑樹で、

松以外では楠や杉、榊などがあります。


江戸時代の門松としめ縄。

現代と比べて高さがすごい!


しめ縄は、

年神様をむかえる場所を示すためのものでした。

しめ縄を張ることで神聖なエリアであることを示し、

不浄なものが入らないようにする意味がありました。

現在の神社のしめ縄と同じような意味です。



お正月準備の開始日

お正月の準備は、大掃除の起源とされる、

「すす払いの日」「正月事始め」(12月13日)

からと言われています。


鏡餅の準備でしょうか?お餅が柔らかそうで美味しそう!

(『暦中段尽くし』歌川豊国 ) 


なので、

大掃除を終えたあと12月13日以降であれば、

しめ縄や門松も飾って良いのだそうです。


最近では、

クリスマスが終わってから、

12月25日以降に

正月飾りを出すことが多いようですね。


正月飾りやしめ縄を飾るのに縁起の悪い日⁉︎

29日は、

「二重苦」「苦」とも読めるため、

正月飾りやしめ縄を飾るのを、

避けた方が良いとされています。

ただ一方で、

29日を「ふく」と読み福を呼ぶために、

縁起が良いとする地域もあるようです。


また、

31日も「一夜飾り」とされ、

避けることが多いですね。


【12月28日】は、正月飾りやしめ縄を飾るのに縁起の良い日⁉︎

「八」には「末広がり」という意味もあるため、

12月28日に飾ると縁起が良いとも言われています。



皆様はもう、

お正月の準備は終わりましたか?


新しい年が、

穏やかで明るい年でありますように!

どうぞ、

良い年をお迎え下さいませ🎍✨✨









こんにちは

まーにゃですニコ

 

もうすぐ大雪、いよいよ冬も本番ですね雪の結晶


お江戸の暖房についてはこちらの記事をどうぞウインク


こんな風に気温が下がってくると、

熱々のお鍋が食べたくなるなりますねラブ

 

江戸時代前にも鍋で煮炊きがされていました。

「鍋料理」というよりは、

囲炉裏で大鍋で煮炊きし、

それを各人の器に取り分けて食べる、というスタイル。


江戸時代中頃、

鍋料理のスタイルに大きな変化が起こります。
それは、「どこでも鍋」!

大きな鍋をみんなで食べるのではなく、

小鍋を食卓で一人や少人数で食べるスタイル。


これには場所固定の囲炉裏とは違い

熱源持ち運びが必要なわけですが、

それを可能にしたのが「七輪」や「火鉢」❤️

 

青楼十二時 夜 子の刻

 

鍋と火鉢さえあれば簡単にできて、

調理しながらすぐに食べることができて、

余分な食器も不要なので、後片付けも楽チン。

手軽な鍋料理は大人気となったそうです。


江戸時代には醤油やみりんなどの調味料も発達し、

鍋料理がさらに広がったそう。

「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉もあるくらい、

木製の長屋はとても燃えやすく、

おかずやみそ汁を作るたび、

何度も火を起こしたくありません。


火事予防という意味からも、

「小鍋」が普及したのだそうです。

 

狭い長屋にはカマドは一つしかありませんし、

そこで、

比較的簡単に持ち運びできる七輪や火鉢が大活躍。

 

しかも調理器具と暖房の両方の役目も果たしています。

寒い日に、暖をとりながら熱々の鍋を食べる。

今も昔も、変わらない日本の冬ですね🎵


❄️❄️❄️


鍋料理のレシピもいろいろあって嬉しい🎵


冬の定番鍋料理いろいろ








 

 

 

 

こんにちは
まーにゃですニコ



暑かった夏も終わり

日も短くなって

日に日に秋が深まっていますね。

暖房の暖かさが恋しくなります。


江戸時代の暖房といえば、

薪や炭でしたね。



武蔵野の雑木林


電気もガスもなかった江戸時代。

日々の暮らしに欠かせない薪や木炭。


江戸市中には十分な材木がなかったため、

供給源として今の国分寺や八王子あたりの

農家に頼っていたそうです


膨大する江戸のエネルギー源の供給源として、

武蔵野の雑木林はとても貴重な場所でした。


ここから供給される薪や炭が

日々の暮らしを支えていました。


もともと炭焼きは農閑期の農家の仕事でしたが、

やがて副業ではなく、

専業の大規模な炭焼き場も生まれ、

大量の炭がつくられるようになりました。

江戸名所図会 国分寺村炭がま


自然破壊しない仕組み


武蔵野の雑木林は原生林ではなく、

18世紀になって植林した人工林でした。


クヌギやナラなどの木は、

植林後15~20年間は成長が早く

30年以上経つと成長が遅くなり.

そこで伐採をします。


雑木林を伐採する時には

根元から伐採せずに、

ある程度株を残して切り倒すのだそうです。


根が残っているので、

すぐに切り口から発芽し、成長をはじめます。


この木を「ヒコバエ」といいます。

丈夫なヒコバエを残しておけば

わずか10年ほどで立派な木になるのだそうです。


短期間で雑木林が復活するので、

自然も破壊せずに、

100万人の人々が暮らしを支えていました。


江戸時代のリサイクル文化、

自然と寄り添う暮らし、

本当に素晴らしいですねおねがい


1/fゆらぎ


炭火を眺めていると、

不思議と心が穏やかになりますね。


ゆらゆらと揺れる炎の波形はには、

心を落ち着かせる1/fゆらぎがありますが、

赤々と燃える炭火にも

同じような癒し効果がありそうですね。


増田屋


エアコンやヒーターの便利な暖房も良いですが、

薪や炭による暖房にも憧れます。


遠赤外線と1/fゆらぎ、

で芯から癒されそうですラブ