今日の東京は

穏やかでうららかな陽気でしたね。

桜も咲き始めて

景色も華やいできました。


寒い冬が終わり暖かくなると

江戸っこたちも花見にでかけて

季節を楽しんでいたそうです。


江戸では「摘み草」や「潮干狩り」が

春のレジャーとして定着したそうです。


江戸や江戸近郊の

年中行事をまとめた『東都歳時記』に

潮干狩りについて解説しています。


早朝から船に乗り沖に出ていたそうです。

卯の刻(午前6時)から潮が引き始め

牛の刻(正午頃)には海だった場所が陸になり

潮干狩りがスタート。


1日がかり

潮干狩りを楽しんだそうです。


品川沖は潮干狩りの人気スポット。お花見の名所としても知られ、春には大勢の人々でにぎわいました(『江戸名所 品川汐干狩』二代歌川広重 )


当時は

男性は尻っ端折りやフンドシ

女性は裾よけごと着物をめくり帯に挟み込む

というのが定番スタイル。


老いも若きも

男も女も子どもも

庶民もセレブも

誰もかれもが大はしゃぎ出来る

人気のレジャーだったそうで


良家の子女たちも

お供を連れて出かけることもありました。


浜辺には茶店が並び

船遊び宴会などもできました。


普段よりも開放的な場所と服装で

出逢いの場でもあったそうですラブ



歌川広重「東都三十六景 洲さき汐干狩」


旧暦3月から4月頃(現在の4月から5月頃)が

潮干狩りシーズンで、

特に3月3日がベストな日

とされていたようです。


この時期が

1年のうちで一番干満の差が大きくなる

大潮」の時期にあたり

潮干狩りのベストタイミングとされていました。


現代人からすると

33日に潮干狩りするとか寒すぎ」

と思うかもしれませんが


旧暦の33日は

現代のカレンダーで考えると

3月下旬から4月上旬にあたります。


1日中海にいるには

ちょうど良い季節ですね照れ


潮干狩りのメッカだった品川で潮干狩りを楽しむ女性た

歌川重宣 『江戸名所 品川沖汐干狩之図』


江戸の潮干狩りの名所は

品川、高輪、深川の洲崎、中川沖、佃島などです。


潮干狩りが人気だったのは

現在よりも海が近く

江戸市内から海に行きやすかった

という地理的な要因もあったそうです。




春の海

潮干狩りしなくても

ボーッと見ているだけでも

十分にいやされそうですおねがい✨✨







こんにちは

まーにゃですニコ


今日は

発酵食品のお話です💫


和食の特徴の1つは発酵食品が多いこと♫

中でも、最も身近な発酵食品といえば、

味噌」ですねニコニコ


昨日は味噌についての記事でした


味噌は

発酵によって大豆の

フィチン酸塩や酵素阻害物質などの

反栄養素が分解され

新たな栄養が産出されることで

高い栄養効果が得られ

腸内の善玉菌を活性化する働きがありますグッ


江戸時代初頭は

まだ、しょうゆが希少だったので

安い調味料として味噌が重宝されたそうです。



ピンク薔薇


元禄時代になると

日持ちするぬか漬けも開発され

発酵食品がよく食べられるようになりました


ぬか2gの中には

なんと約2億びっくりもの

酵母や酪酸菌、乳酸菌がひしめき合っています。



日本人が昔から

発酵食品をたくさん摂ってきたことは、

長寿や精神の安定につながっている

とも言われています。


天保七(1836)年

江戸の小田原屋という

香の物屋の主人によって書かれた

四季漬物塩嘉言(しきつけものしおかげん)』

という、漬物のレシピ集があります。



塩、味噌、醤油、粕、麹、ぬかなどを使った

64種類もの漬け方が紹介されており

「浅漬」「沢庵漬」「梅干漬」「奈良漬」

といった定番の漬物から


青柿を酒粕に漬けた「柿粕漬」や

一夜干しした瓜や茄子を

丸ごと納豆(!)に漬けた「精舎納豆漬」など

変わり種も掲載されているそうです。


本書の序文に


 香の物は日常食で一番必要なもので、

    どんな家でも欠かしてはいけない

 どのようなご馳走や珍味があろうとも

    香の物がついていなければ

    お座敷遊びに祝儀がつかないようなもので

    年中心がけて蓄えておくべきもの

 美味しい漬物はその家の吉祥。

    節約にもなり、周囲から羨ましがられる。


などと書かれているそうで

漬物がいかに重宝されていたかが分かりますね。


ピンク薔薇


江戸時代には

他にもたくさんの発酵食品がありました。


納豆

江戸時代には

塩辛納豆と呼ばれる

糸を引かない納豆も食べられていたそうです。


納豆を干した干し納豆や

納豆をすりつぶして汁にした呉汁など、

いろんな形で食べられていました。


納豆売


日本酒

日本酒も

発酵食品ですね。



甘酒

必須アミノ酸もたっぷりな

総合ビタミンドリンクです。


甘酒は、江戸時代では夏の風物詩。 

「夏バテ防止用」として飲むのが

一般的だったそうです。 


「守貞謾稿」に描かれている甘酒売りの様子



江戸時代の

食に関わる様々な知恵が

現在の私たちの健康も

守ってくれているんですねおねがい











こんにちは

まーにゃですニコ


今日は

日本の食卓に欠かせない

味噌について。


ピンク薔薇


味噌󠄀は、1300 年以上にわたり

日本人の食生活の中で発展してきました


平安時代●貴重品

寺院や貴族階級で珍重されるような

贅沢で貴重な食品だったそうです。

味噌󠄀汁としてではなく

おかずや薬として利用されていました


鎌倉時代 ●味噌汁登場

中国からやってきた僧の影響で

すり鉢が使われるようになり

「粒みそ」をすりつぶした「すりみそ」が登場。


溶けやすかったため味噌󠄀汁として利用され

一汁一菜」という

鎌倉武士の食事スタイルが確立されました。


室町時代●庶民にも広がる

大豆の生産量も増えて

裕福な庶民の間では自家醸造も始まり

いまに伝わる味噌󠄀料理のほとんどが

この時代につくられ始められたそうです。


戦国時代 ●兵糧

戦国武将たちは米と味噌󠄀を

兵糧(戦陣食)として携帯しました。


兵たちの貴重なたんぱく源、みそ玉


武田信玄は信濃遠征に備え味噌󠄀づくりを奨励

伊達正宗は「塩噌󠄀蔵」と呼ばれる

日本で初の味噌󠄀工場を建設。


信長、秀吉、家康の3人のみならず

江戸時代に活躍した戦国武将の多くは

赤みそ文化圏である愛知県に縁が深い

といわれています。


強い戦国武将の出身地には

味噌󠄀どころが多いのですね!


味噌が

知力と体力の源になっていたのかもウインク


ピンク薔薇


江戸時代 医者に金を払うより味噌屋に払え


江戸の人口が50万人になり

江戸の生産だけでは間に合わず

三河、三州、仙台みそが江戸に運ばれ

味噌󠄀屋は大繁盛したそうです。


まるや八丁味噌


レシピ本も刊行され

味噌󠄀の料理が一気に広がりました。


味噌を使った料理も発達し

味噌汁が庶民の味となりました。


東海道中膝栗毛』には

各地の味噌料理が紹介されます。



江戸時代の名立たる街道や

その宿場町

峠の茶屋には

味噌汁のたて看板や暖簾があったそうです。



また、味噌汁だけでなく

「豆腐田楽」や「酢味噌和え」や

「ぬた」や「白和え」といった

小鉢料理などにも味噌が使われていました。


ピンク薔薇

江戸では

徳川家康の命により

京都の白味噌の甘みと

三河の赤味噌のコクを併せ持ち

大量の米麹で発酵を早めた

江戸甘味噌(えどあまみそ)」と呼ばれる

ご当地味噌があったため

料理に応用しやすかったそうですニコニコ


平均寿命がわずか37~38歳であった当時

70歳を超えていた家康。

お味噌パワー

貴重な元気の源だったのでしょうね✨✨





3年熟成味噌