こんにちは
まーにゃです
今日は
日本の食卓に欠かせない
味噌について。
味噌󠄀は、1300 年以上にわたり
日本人の食生活の中で発展してきました
平安時代●貴重品
寺院や貴族階級で珍重されるような
贅沢で貴重な食品だったそうです。
味噌󠄀汁としてではなく
おかずや薬として利用されていました
鎌倉時代 ●味噌汁登場
中国からやってきた僧の影響で
すり鉢が使われるようになり
「粒みそ」をすりつぶした「すりみそ」が登場。
溶けやすかったため味噌󠄀汁として利用され
「一汁一菜」という
鎌倉武士の食事スタイルが確立されました。
室町時代●庶民にも広がる
大豆の生産量も増えて
裕福な庶民の間では自家醸造も始まり
いまに伝わる味噌󠄀料理のほとんどが
この時代につくられ始められたそうです。
戦国時代 ●兵糧
戦国武将たちは米と味噌󠄀を
兵糧(戦陣食)として携帯しました。
兵たちの貴重なたんぱく源、みそ玉
武田信玄は信濃遠征に備え味噌󠄀づくりを奨励
伊達正宗は「塩噌󠄀蔵」と呼ばれる
日本で初の味噌󠄀工場を建設。
信長、秀吉、家康の3人のみならず
江戸時代に活躍した戦国武将の多くは
赤みそ文化圏である愛知県に縁が深い
といわれています。
強い戦国武将の出身地には
味噌󠄀どころが多いのですね!
味噌が
知力と体力の源になっていたのかも
江戸時代 ●医者に金を払うより味噌屋に払え
江戸の人口が50万人になり
江戸の生産だけでは間に合わず
三河、三州、仙台みそが江戸に運ばれ
味噌󠄀屋は大繁盛したそうです。
まるや八丁味噌
レシピ本も刊行され
味噌󠄀の料理が一気に広がりました。
味噌を使った料理も発達し
味噌汁が庶民の味となりました。
『東海道中膝栗毛』には
各地の味噌料理が紹介されます。
江戸時代の名立たる街道や
その宿場町
峠の茶屋には
味噌汁のたて看板や暖簾があったそうです。
また、味噌汁だけでなく
「豆腐田楽」や「酢味噌和え」や
「ぬた」や「白和え」といった
小鉢料理などにも味噌が使われていました。
江戸では
徳川家康の命により
京都の白味噌の甘みと
三河の赤味噌のコクを併せ持ち
大量の米麹で発酵を早めた
「江戸甘味噌(えどあまみそ)」と呼ばれる
ご当地味噌があったため
料理に応用しやすかったそうです
平均寿命がわずか37~38歳であった当時
70歳を超えていた家康。
お味噌パワーも
貴重な元気の源だったのでしょうね✨✨
3年熟成味噌