こんにちは
まーにゃです![]()
この夏、どこかにお出かけされましたか?
夏は登山シーズンでもありますね🏔
今回は
2013年世界文化遺産となった富士山について。
霊峰富士
いにしえから富士山は
人々に畏敬の念を与え
信仰の対象でもありました。
▲北口本宮冨士浅間神社より富士山を望む
主祭神は、木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)、瓊々杵尊(ににぎのみこと)、大山祇神(おおやまづみのかみ)。境内の右手には富士山登山道の吉田口の起点があり、北口とは吉田口の事です。富士山信仰と深い結びつきがあり、いにしえより富士登山を行う際はここで安全祈願をしてから登っていたそうです。
「富士見町」「富士見坂」という名称が残っています。
高い建物もなく、空気も澄んでいましたから
かつて、江戸の町の高台からは
富士山を眺めることが出来たそうです。
写真やビデオで見慣れている私たちでさえ、
肉眼で富士山が見えると有難い気持ちになります。
写真もビデオも無い時代
人々は毎日どんな思いで眺めていたのでしょう。
歌川広重 名所江戸百景』の目黒新富士
幕末になってからは
富士登山を行う外国人も現れ
この頃から富士山が
外国人からも注目されていたことがうかがえます。
富士講
富士山を崇拝するひとたちで構成され
宗教的な活動として
集団で参拝登山していました。
霊峰富士に登拝すれば
身分や性別に感激なく
「誰もが救われる」と説いていて
江戸っ子たちから支持され
爆発的なブームになりました。
旧暦の6月1日になると、
各地から白装束を纏った人々が
一斉に入山しました。
登山の開始を祝い
安全を祈願して経文が唱えられたり
多くの人出をあてにして縁日も出たそうです。
左下に写っている白装束の一団が富士講の人たちだと思われます🏔
富士講では「男女の差は無い」と
説いていましたが、実際は
富士山に女性が立ち入ることについて
世間の風当たりはかなり強かったそうです。
いずれにしましても
当時は、現在のような登山用品もなく
女性は体力的に難しかったことでしょうね。
富士塚
富士山に登れない女性や老人、子供たちは
「富士塚」と呼ばれる
富士山の溶岩を積んだ「ミニ富士山」に
登りました。
十分にご利益があるとして
江戸の至るところにあったそうです。
現在でも
あちこちの神社などで見かけますね。
千駄ヶ谷 鳩森八幡神社の富士塚
よくお参りに行く神社です。
立派な神楽殿では薪能も披露されています。
富士道
江戸時代、
「富士講」の人々は江戸を出発し
甲州街道を大月宿(大月市)で分かれ
上吉田(富士吉田市)に入り
そこから富士山頂を目指しました。
「富士講」が歩いた道は
「富士道、富士山道」といわれ
いまも当時の面影を残しています。
葛飾北斎『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』
世界的にも有名な一枚ですね
















