芸術家と結核マヤズム | まーりんのまりんエッセンス

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「海のエッセンス」「月のエッセンス」の物語

 

 

アスリートと結核マヤズム

 
というタイトルで 結核マヤズムのことを書いた その日、
 
なんとなく 篠田桃紅さん102歳のインタビューを観たのですが

「あっこれは結核マヤズムそのものだ」と

震撼してしまった言葉がありました。

 

 

 

 

桃紅さんといえば、

100歳を越えてもなお現役の書道家、というので有名でしたが

今年3月に107歳で亡くなっておられたのですね。

 

その生きざまに対して興味をもつということはあっても、

まさかここで

これまで聞いたことないほど完璧な結核マヤズム

結核マヤズムがしゃべったらこうなる、というほどのセリフを聞くとは。

 

美しいアスリートの次はこれですよ。

 

 

 

桃紅さんのインタビューで、

結核マヤズムの精神性が最もよくわかるのが、以下のところです。

 

 

(ナレーション)

 

墨と出会い

書で身を立てようと 家を飛び出した20代

そしてその書の枠も飛び越えたいと アメリカに渡った40代

 

父親が遺した「必ず結婚すること」という遺言にも従わず

桃紅さんは ひとり 

墨との人生を歩み続けてきました。

 

 

 

 

 

(桃紅さん語り)

 

地に足をつけた生き方をしてない人間だから

はっ(笑)、よくね ゆうじゃない、地に足のついた生き方とかって

そういうことがなかったの 現実的でなかった

うん

 

なんとなく 自分がそう思うのね

いつも 半分 非現実の世界に生きてたと、自分が

 

空想や 

何か自分の作りたいものとか

描いてるもののなかで 生きてたような

気がします。

 

結婚もしなかったんですから

現実ってものを避けてますよ、あたしは

 

子どもも産まないし

 

ほんとうに

母というものにもならないし

妻というものにもならないし

 

なんかそういう 生き方を避けた っていう

ところが あたしです。

 

それがあたしですよ。

 

 

 

 

 

で、あたしのつくるものも 非現実なんですよ。

 

地に足が着いた、っていうようなもんじゃないですよ。

非常に儚いものかと。

 

ふあーんと こう、浮いてるような、

この世に。

 

浮遊物みたいなものかも

 

確かに非現実です、あたしは。

 

考えることも、つくるものも・・・

 

 

***

久しく見ないあいだに珍しい作品ができていますね、とインタビュアーに声をかけられて

 

「そうね、この頃だいたいね

プラチナとか 金とか 金属的なもののうえに書いてんの

 

・・・・・中略・・・・・

 

ええ、あんまりわたくし

こういうこと 今までしたことないですよ、ええ

 

もうわたくし

いくつになっても新しいことやってんですよ

 

なあんかね、すぐ飽きる性質(たち)なの

自分自身のやったことに飽きちゃう

 

だから

気に入った手法とかなんとかっていうのを

もちろん、そうしなけりゃいかれないからやってますけども

ほんとはね

いつも

日々

別のことに

 

新しい自分でありたいと思うの

日々。」

 

 

 

 

「あの、墨を磨ってるときにね、

ふうっとこう、ある思いが湧くことがありますね。

 

だけど、すぐにそれを

逃げないうちにと思って、すぐにこう、やって

いいときもあるし、いいものができることもあるし

ぜーんぜん馬鹿々々しい、なあーんだってなこともある。

 

こんなはずじゃあなかった、ていう。

そんなはずじゃあなかった、いつも裏切られてんですよ。

自分自身が自分を裏切るのとおんなしよ。

 

人間はいっつも

うぬぼれちゃってっから。

 

自分はもうこれでいいと思い込んで

いつも

そうじゃないもの見せつける

「あんたなんか まだこの程度だよ」っていう

それを あたくしに言いますよ 墨は。

 

いっつも あたくしを 裏切る。

裏切るっていうより、戒めるっていうのか。

「いい気になるな」と。

 

自分ではこういう線を引いたつもりなのに

百発百中できると思う、そんな練習してできると思ってても

違うんですよね~

うーん そこは手なづけられないものがある

だからまた続いてもいるのね

 

ま、少しは 今日はうまくいったかもしれないと

どっかで思わせるものを残しているのよ

あれは。

 

絶対に絶望はさせないのよね。

だけども、いい気にはさせない。

絶望はさせない

 

まあそういう道具ですよ、筆墨って。

 

 

 

 

 

ナレーションにあるような

「墨に導かれる」といった、きれいごとじゃないですね。

 

一つの道への踏み込み方、

先に書いたアスリートとダブってきます。

 

書き起こして初めてわかったことですが、

桃紅さんの言葉は、台本があるお芝居のセリフのような、長い「語り」になっています。

ちょっと美輪明宏かと思うようなしゃべり方でもあって。

 

これね

よかったら桃紅さんの肉声を聴いてみてください

声質、どの言葉に力を入れているか・・・

 

 

 

いや~もうこれ全部が結核マヤズムですが

このマヤズムのポイントとして

 

 

ひとつところに居られない、安住できない

という性向で これは人によって

 

目標に到達しても満足できない、さらに次の目標を見つけ出す

引っ越しをくり返す

結婚できない、恋愛をくり返す

 

というふうに形を変えて現れます。



*️⃣ 引越魔としての結核マヤズム

志賀直哉は、Wikipediaによると談話「転居二十三回」にあるように何度も引っ越したそうで、88歳で老衰と肺炎で亡くなっています。


 

桃紅さんの場合も

表現形式も人生も、型に嵌めようとしない

ということです

 

 

 

地に足がつかない

非現実

 

それはもう、

この桃紅さんのセリフそっくりそのまま

結核マヤズム的です。

 

自分が目指す非現実を

現実=生活、責任よりも上位に置く生き方。

 

アスリートのケースもそうですが、

このような性向は芸術家向き、というか芸術家にしかなれないのかもしれない。

 

逆に、芸術家に結核マヤズムが立ち上がってる人が多いのもまた、むべなるかな!

 

 

 

 

それで、この方の体つきってのはどうかなと思ったのですが、

アスリートと結核マヤズムに書いたように、マヤズムには対応する骨格や体質がある)

 

胸が凹んでいる(結核マヤズムの特徴)ようではあるけど、痩せて前かがみなのも年齢を考慮せないかんし和装が強調している部分もあるだろうし、ハッキリ言えないな、わからんことは言ってはいけないぞと保留していたのですが、

 

 

きょう、またひょんなことから

 

桃紅さんのお兄さんが結核でお亡くなりになったというのを知り、

それも別々の本から同時に入ってきたので

 

ああ、やっぱりそうだったか(結核マヤズムで合っていた)

というのと

これは書かないといけない、書きたい

と思ったのでした。

 

 

 

 

 

 

雲の色がきれいだね

 

戦前、私の次兄は結核を患い、家で療養生活を送っていました。

そしてときには、庭に籐の椅子を出して、雲を眺めていることもありました。

 

ある夏の日のこと、兄は白い雲を指して「雲の色がきれいだね」と私に言いました。 亡くなったのは、それからしばらくしてからのことでした。

 

私は、そのときの兄を思い出して、歌を詠みました。

 

夏空の 白き光を 良しといい 

我にも指しし 若かりし兄

 

私が師事していた歌人、中原綾子先生主宰の「いづかし」に、歌は掲載され、「泣きました」と友人や知人、見知らぬ人からもお便りをいただきました。

 

兄がなくなったとき、私は銀座にいました。

兄がくれた赤間関の硯を風呂敷に包んで持っていました。 なぜかそのとき、不意に風呂敷が手から抜け落ちて、硯蓋が割れました。 胸騒ぎを覚えた私は、その場で急いで帰宅しました。

無事だった硯は、朱墨用にして使っています。

 

(「桃紅105歳 好きなものと生きる」 篠田桃紅著)

 

 

 

 

 

 

 

「私にはとても字のうまい兄がいました。 六つ年上で、すごくうまかったです。 だから兄は「満洲子(ますこ 私の名前)はいい度胸だね」と言いましたよ。 あれくらいの腕前でお弟子さんをとろうっていうんだから、ずいぶんいい度胸だねと。

でも私に、自分が大切にしていた素晴らしい赤間関の硯をくれました。 そのとき、兄は結核を患っていた。 それで自分は長くない、と思っていたのかもしれない。

 

ある日、教えに出かけた帰りに銀座の鳩居堂の前で、まだ地下鉄のなかった時代でしたから、尾張町の角から市電に乗って帰るというときに、するっと風呂敷包みを落としたんです。 そしてその硯の蓋が割れた。 急いで割れた粉を集めて風呂敷に包んでうちへ帰った。 そしたら兄がそのときに亡くなっていた。 時間的にどうもそのときだった。

 

戦前の結核は助からないとされていて、療養生活をしていた兄が、考えてみるとどうもあの時刻に息をひきとった。 どうしてあのときに風呂敷包みがするっと落ちたのか。 それは不思議なことで、いまもわかりませんけど。

 

その兄は、とにかく私に言いました。 いまで言う、心臓が強いという意味のことを。 実際に私はずうずうしかったかも。 でも、自分よりヘタな人に教えてりゃあいいと、兄に言った。 いま思えば、兄の言うとおり、まだ二十二、三歳で人に教えるなんて、いい気なもんでしたよ。」

 

(「百歳の力」 篠田桃紅)

 

 

 

 

ご兄弟という

近い血縁者が実際に結核に罹っている

ということは、血筋に結核マヤズム傾向があって

 

篠田桃紅さんご自身も

その体質や精神性は持っていた

と、みました。

 

 

 

 

才能がありながら、

結核で 若くして亡くなったお兄さま

 

庭に出した籐椅子から見上げて

指をさす 夏の雲

 

「雲の色がきれいだね」

 

この思い出自体が

結核マヤズム的です。

 

 

 

 

結核マヤズムは

「地に足がつかない」わけで、

百姓のように地に足をつけて生きている家系ではなく、

元をたどれば武家や学者、大地主のような家系に多い気がします。

 

 

 

 

【追記】

「百歳の力」のはじめに に、桃紅さんご自身が結核に罹ったと書かれていました。

もしこのことを先に知っていたら、作品やらインタビューやら抜きで、直に結核マヤズムということができたのです。

 

「人生、いつどうなるかわかりません。

私の百歳なんていうのも全く予定外です。 なにしろ若いときに結核になって死にかけたのですから、長生きなんていうのは望めない、と思っていました。 だから人間っていうのは不思議なものです。

七人きょうだいの中でも私の体は弱いうちに入っていたのに、いちばん長生きしてしまった。 神様がなさることというのは、人間ごときには予想できない。 いかに不思議なことが多いか。 父母もあなたは呼吸器が弱いから長生きできないと言っていた。」 

 

 

きょうはどういうわけか、

これはどうなのかと思うそばから、その答えが開いた本のなかにあります。

この記事は、桃紅さんが助けてくれている、そういう感じがしています。

感謝

 

 

 

 

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