受験と人生決定 | まーりんのまりんエッセンス

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「海のエッセンス」「月のエッセンス」の物語


大学入試、二次試験はもう終わったでしょうか。
昨年、わたしも、息子が一浪してまた受験していたはずなんですが、なぜか
さっぱり記憶にないんですね・・・そのくらい、わたしは自己中なんでしょうかね。


客観的にみれば、受かるはずがないのに受かった/落ちるはずがないのに落ちた

そんな話、聞きませんか?
わたしの知り合いにも、予備校の模試ではずっとE判定だったのに京大に合格して
「そんなはずがない!!」と周囲にショックを与えたやつがいます。

こんな話は結構あるはずで、だからこそ「試験は水もの」。

実際には答案には正誤があり、面接も含めて、受験生は点数で数値化されているはず。
でも、わたしたちには、その数値はわからない。受験時の感触がよくても、本人でさえ
「わからない」としか言えないもの、なんですよね。

受かるか、落ちるか・・・

努力だけではない、何ものかが影響する余地がある

その意味では、受験は人生のギャンブル、
コイン投げのように、単なる確率を超えた結果がでる場合があります。


しかし、
受験という分岐路でどうなるかを決めて生まれてきたのであれば、運命はあらかじめ
決まっているんだし、「ある特定の職業に就く」「このひとに出会う」とかいうのを決定事項と
してきたのであれば、そうなるためにどの大学に行くか(あるいは大学は落ちて専門学校に
いくとか)、方向づけられることになります。

受験後の「流れ」の方向を、よくみてみると、わかると思います。

結果がどっちであっても、「それはそれでよかった」というのが、結論のようです。



わたしの場合、高3での大学受験は失敗しました。
小さいころから疑わなかった「医者になりたい」という思いが、母に刷り込まれたものじゃないか
という疑惑が芽生えたのが、入試直前の秋冬・・・ギリギリになって志望で迷い始めたのです。
結局、医学部どころか、それまでの成績でラクに受かるはずと適当に出願した学部学科も
見事に落ちました。

受かると強気で思ってたので、ぼーぜんとしましたね。

しかし・・・その後通った予備校に、伝説の物理教師・池上先生がいたのでした。
受験テクニックを含めて、いろんな見方・考え方を教えてくれました。

当時、高校で習う交流回路は、LCの位相がRからずれる理由までは教えてくれなかった。
物理の先生は、位相がどれだけ進む/遅れるかとかを求める計算を機械的に教えてくれた
けど、それで何をやってるのか、実際の回路上で何の意味があるのか、まったくわからず、
興味感じなかった。

池上先生は、そういうことも含めて、教えてくれました。
(交流回路の数学表現に虚数を使うので、高校では、教えてよい範囲ではなかったらしい)

電流が流れる 電子が動く すると、磁界が発生する
電子の移動経路が真っ直ぐか、曲がるかというだけで 巨視的に見る磁界は全く違う
電磁気って面白そうやん ワクワクする。
磁気は電子のスピンから発生する・・・その先は?どうなっているの??

もっと、しりたい。

それが、志望を医学部から電子工学科に変えるきっかけでした。

いまのわたしは、西洋医学の医師ではなく、ホメオパスです。
ホメオパシーは、超希釈したものを使って心身に影響を与えることができるという未科学です
が、なぜ効くのかに関する研究はまったく進んでないわけでもありません。
わたしが大学で勉強してきた物理、材料科学、量子力学などの知識、物質に関する実験研究
は、ホメオパシーを科学的に理解してそれを広めるためにあったといえるかもしれない。
(わたしは勝手に、「ホメオパシーは最先端の錬金術」だと思っています。)

あれからずいぶん時間が経ちましたが、いまようやく、そのように理解しています。



同様のことを、江原啓之さんも受験で経験されていますよね・・・
声楽を学ぶために受験したら、最初の年はだめだった、「心が涸れるような思いをした」と。
翌年に合格した後、その理由がわかります。
翌年の入学でなければ。憧れていた先生に習うことはできなかったんですって。



一浪したときの試験も、ハプニングがありました。

一年間勉強した結果?共通一次の自己採点は960いくつかだったので
東大理ⅢもA判定、二次試験でコケなければ、どの大学だって間違いなく余裕で合格
と思ってました。

ところが。
試験の一週間前から突然風邪をひいて、高熱で寝込んでしまいました。

直前の一週間、なにもせずに、ただボ~ッと布団に寝て天井を見てただけだったのです

大学に電話で問い合わせもしてみました。 が。
「例えば雪で電車が遅れたとか、そういう理由なら試験日を遅らせる処置もとりますが・・・
風邪をひいたというのは、個人的な事情になるので、ちょっと無理ですね・・・」

当日も熱が38度以上ありましたが ここで行かねば1年間が無駄になっちまう。
父に車で送ってもらって、行きました。

試験が終ると、学生が「どうでしたか?」と近づいてきました。
合格通知電報をしませんか、というやつです。
自宅は大学のそばなんで要らない というか、まず試験ができたのかどうかすら
まったくわからなかったので、答えに詰まりました。

直前の試験で、何を書いたのか、覚えてない!
自己採点すら、できん。

(合格発表まで、むしろ気ラクだった)

このときは、受かりました。



試験や試合では、わたしたちの意志や努力を超えた何かが作用する。

わたしたちには努力をする自由はあっても、結果を決定する自由はないかもしれない。 


願っていることが叶えば、それはそれでうれしいし、それでよかった。
思ったようにならなかったとしても、それはそれで「なるように」なっただけ。
決して、悪くなったのでは、ありません。
・・・そうなったことには意味があるけど、それがいまはわからないだけ。

思うようにならないことを受け止めて、新たな自分を開いてゆくチャンスがきただけです。