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Wind Walker

ネイティブアメリカンフルート奏者、Mark Akixaの日常と非日常

クレイジ-・ホ-ス

 

『クレイジー・ホース』 ラッセル・フリードマン著 1998年

 

 

翻訳は、ぬくみちほさん。

 

日本でどの程度の知名度があるのか分かりませんが、多くのアメリカ人がイメージする「インディアン」の姿を体現するのが、このクレイジー・ホースではないでしょうか。

 

現に、スー族の聖地ブラックヒルズにはクレイジー・ホースの巨大な像が1948年から建設中です。久しぶりに検索したら依然としてまだ顔しかできていなかったですけど。

 

 

クレイジー・ホースはスー族のみならず周囲の平原部族が合流した大部隊を率いて、白人を相手に何度も勝利を収めました。特にカスター隊を全滅させたリトルビッグホーンの戦いは当時のアメリカ人に大きな衝撃を与えます。

 

戦死したカスターは英雄視され、その報復としてインディアン討伐の圧力も強まりましたが、後世にはカスターの敵を侮る傲慢な性格が敗因だったことも判明し、クレイジー・ホースも「恐るべき敵」から「白人文化に屈しなかった象徴」として評価も変わりました。

 

そんなクレイジー・ホースの一生を描いたのがこの小説です。原題は「The  Life And Death Of Crazy Horse」。

 

 

「クレイジー・ホース」(タシュンカ・ウィトコ:聖なる神秘の馬)は父や祖父の名前でもありました。父親は精霊の声を聞いたり未来を予言する力のあるホーリー・マン。

 

クレイジー・ホースは幼年期は「カーリー」(巻き毛)と呼ばれていて、驚くほど物静かで思慮深い少年でした。

 

カーリーはある晩、馬に乗ってくる髪の長い男のビジョンを見ます。男には飛んでくる矢も銃弾もかすりもしません。男はカーリーに、戦いが終わっても戦利品を持ち帰ってはならないと告げました。それは未来の自分の姿だったのです。

 

その言葉を忘れて敵の頭皮を剥いだところ、敵の矢が足に刺さりました。以後、二度と戦利品を持ち帰ることはなかったそうです。

 

自分の功績を人前で自慢することもなく、狩りに行けば獲物を夫のいない女や老人に分け与えました。そして戦いになれば敵を恐れない勇猛さから、若くして戦時のリーダーとしての人望を集めるようになります。

 

白人との戦いには一度も敗れなかったものの、彼の名声を妬む身内によって窮地に追いやられ・・・という悲劇的な最期も、彼の存在が伝説として語られる理由の一つになったことでしょう。

 

ネイティブアメリカンの「高潔な戦士」としての側面を知るには格好の一冊です。おすすめ。

 

 

 

 

ところでリトルビッグホーンの戦いでの完勝はインディアンが緻密な策略で包囲戦をしかけた結果だとずっと思っていて、クレイジー・ホースがその作戦案を練ったり実行したりしたのだと思い込んでいたのですけど、どうやらカスターが無謀に突っ込んだ結果、逃げ場を失って全滅したというのが真相のようでした。

 

クレイジー・ホースは先住民のリーダーとして尊敬はされていましたが、司令官として戦いを指揮したわけではなく、ただカリスマ性のある戦士として臨機応変に戦っていただけみたいです。

 

したがって、ブラックヒルズに建設中のクレイジー・ホース像が片手で前方を指さしているポーズも批判の対象となっています。

 

生前のクレイジー・ホースを知るメディスンマンのレイム・ディアーも、こう批判しています。

 

 

「美しくも荒涼としたこの山をクレイジー・ホースの像にすることは、その景色を汚す行いであり、何よりもクレイジー・ホースの精神に反している。 クレイジーホースはあんな容姿をしていなかったし、指を差すようなこともなかった。」

 

火明かり ゲド戦記別冊 (岩波少年文庫)

 

『火明かり ゲド戦記  別冊 アーシュラ・K. ル=グウィン著 2025年

 

 

ル=グウィンさんは2018年に亡くなっているのですが、「今年になってゲド戦記の新作が出てる!?」 とびっくりして早速読んでみました。

 

短編2編、エッセイ3編、講演録1編という内容。

 

表題作はテナーと暮らす家のベッドで、年老いたゲドが人生を終える場面を描いた掌編。著者の死後に発見された遺稿であるという事実がいっそう深い余韻を残します。

 

「ゲド戦記」は魔法使いゲドの活躍を描く物語であると同時に、ゲドが力を失うにつれて周囲の人間(特に女性)の存在にクローズアップする、作者のフェミニズム思想が全面に出た作品でもありました。

 

物語の後半ではもうゲドの存在感が薄かったですけど、最後はゲドの死で幕が閉じられたことに個人的には満足。

 

もともと6巻で完結した話だと思っていましたし、作者も既に亡くなっているので、「これで終わって寂しい」というよりは、思いがけない贈り物をもらった気分になりました。

 

 

エッセイは、「ファンタジーなど現実的には役に立たない、現実逃避だ」という声に対して、(ファンタジーは)わたしたち自身の感情や宿命や同胞や世のなかに対する理解を深めてくれる効用がある、人は想像力によってこそ真実を学ぶ、という主張。

 

「子どもと影と」というエッセイではアンデルセンの童話を例にあげながら、人が自分の中にある負の側面から目を背けるほど「影」の脅威は強まる、したがって子供のうちからそういったことを学ぶ必要があるという主張が繰り広げられます。

 

「意識に受け入れられない影は外側に、他人に投影されます。わたしにはなにも悪いところはないーーやつらが悪いのだ。」(P.176)という箇所では、先の選挙で外国人問題を喧伝する政党が躍進した我が国の危うさを、いやがおうでも思い起こされました。

 

講演録は「ゲド戦記」について語られていて、3巻と4巻の間には16年もの歳月が空いていたそう。3巻までは「重要なことは男たちによってなされる」という伝統に則って描かれていたが、4巻の『帰還』は意図的に女の目で書かれたとのこと。

 

「この新しい世界では、何が善で何が悪か、何が重要で何が重要でないか、まだ決まっていない」(P.209)ために、世界の命運を一人の英雄に委ねるのではなく、男も、女も、強者も、弱者も、皆が力を合わせて活躍する世界を描いたのです。

 

そう解説されると、アメリカ先住民の世界観とかなり近いことを描いていたことが分かり、完璧すぎる1巻に比べてあまり好きではなかった4巻以降をもう一度読み直してみたくなりました。

 

「ゲド戦記」を過去に読んだ人はもちろん、まだ読んだことがないけど興味があるという人にもイントロダクションとして読んで欲しい一冊でした。

 

 

 

ベーリンジアの記憶 (幻冬舎文庫 ほ 2-1)

 

『ベーリンジアの記憶』 星川淳著 1997年

 

 

『一万年の旅路』『知恵の三つ編み』などポーラ・アンダーウッドさんの著作を翻訳した星川淳さんが書いた小説。1995年に出版された『精霊の橋 - Beringia』を改題したものだそうです。

 

 

あらすじ:一枚の絵に惹かれてアラスカを訪れた由季。絵の作者とともに北米先住民の儀式スエット・ロッジを体験すると、その最中に太古の世界を《夢見》する。その世界では、ユカナという少女がユーラシア大陸とアメリカ大陸にかかるベーリング陸橋を渡る過酷な旅をしていた・・・というお話。

 

 

ベーリング陸橋を超えるというのは『一万年の旅路』を想起させますが、著者がその本と出会う前にこの小説を書いたというところが面白いところです。

 

学術的にはアフリカで誕生した人類がベーリング陸橋を超えてアメリカ大陸に到達したとされている一方、ネイティブアメリカンのほとんどの部族は「自分たちは最初からこの土地にいた」という創世神話を持っています。

 

著者はベーリング陸橋を超えたという伝承を持つ部族を探しましたが結局見つからず、中には怒り出す先住民もいたそうです。その理由は、土地を奪った白人から「お前たちだってもともとは移民じゃないか」と言われることを恐れているのではないかと『小さな国の大いなる知恵』で推測していましたが、それはともかく。

 

本作のあとがきでも「西の方から陸のかけ橋を渡ってきたという言い伝えを残す部族をご存知の方がいたら教えてください」と書かれていましたけれども、そうであればこそ『一万年の旅路』との出会いはさぞかし衝撃的だったであろうと改めて感じました。

 

 

さて、小説は現代の由季と約1万5千年前の時代のユカナの話が交互に語られる構成なのですけど、現代でなにか話の進展があるわけでもなかったので交互に描く意味が無いというか、なんなら最初と最後以外の現代パートは全カットしたほうがスッキリすると思ってしまいました。

 

・・・いきなり批判から書いてしまいましたけど、ユカナのパートは壮大で面白かったです。小説としては処女作とのことなので多少は寛大な心で読んであげてください(笑)

 

著者がスエット・ロッジを体験して思いついた話であることは間違いないので、スエット・ロッジに興味がある方、特にこれからスエット・ロッジを体験する予定があるような方にはオススメいたします。