『木に学べ 法隆寺・薬師寺の美』 西岡常一著 1988年
今年も一発目からいきなり名著ですよ。
著者の西岡常一氏は法隆寺専属の宮大工。「最後の宮大工棟梁」とも呼ばれ、晩年は薬師寺の金堂や西塔を再建する際に棟梁として招かれました。
その様子は「プロジェクトX」などのテレビ番組でも放映され、本作も当時ベストセラーになったそうなのでご存知の方も多いのかもしれませんが。
この本の何が面白かったかというと、まずは「鉄やコンクリートのほうが木より強い」というような誤った先入観を取り除いてくれるところです。
薬師寺金堂の再建の際にコンクリートを使わなければ許可が下りないと言われた時の、「ヒノキは千年以上の寿命があるのにコンクリートは三百年ももてばせいぜい」という発言には衝撃を受けました。
また鉄も、飛鳥時代のものは日本刀と同じで何回も打って折り返して鍛えてあるので千年もつのだそうですが、現在のものは溶鉱炉から出しただけなので弱いのだそうです。時代が新しいものほうが技術も上がって良いものが出来るというのも誤りでした。
そして木はヒノキが良いとされていて、それも樹齢千年以上のものが良いそうです。当ブログでも以前に「シダーは杉ではなくヒノキ」と書きましたけど、西岡棟梁に言わせれば「ヒノキは日本の周辺にしかありません」とのことで、アメリカのヒノキは「あんなのヒノキと違います。」だそうです(笑)。
素人から見ると鉄は鉄、ヒノキはヒノキと画一的に見てしまいますけど、木はクセで見ないといけないとのこと。
「木を割って作ったんですから、同じようにはなりませんな。一本一本が違った性質なんやから、同じ形にしたら無理がでますわ。ですから、そうしないで、それぞれの特徴を見抜いて、一本ずつの個性を活かしてやってるんですな。」
「飛鳥の建築は、外の形にとらわれずに木そのものの命をどう有効に、活かして使うかということが考えられてるんですな。こういう飛鳥の建築のよさを、今の時代にも活かしたらいいとおもうんですが、あきませんな。より早く、いかにもうけるかという経済のほうが優先されていますからな。」(p.96)
・・・というような、建築のことだけに留まらない、思わずハッとさせられる警句があちこちに散りばめられているのも本作の大きな魅力です。
あと宮大工はけがれるので民家を建ててはいけないとされていたので、仕事がないときは農業をしていたそうです。
それだけでも驚きですが、農学校で習った知識で始めたところ上手くいかなかったときにおじいさんにこう言われました。
「おまえはな、稲を作りながら、稲とではなく本と話し合いしてたんや。農民のおっさんは本とは一切話はしてないけれど、稲と話し合いしてたんや。農民でも大工でも同じことで、大工は木と話し合いができねば、大工ではない。農民のおっさんは、作っている作物と話し合いできねば農民ではない。」(p.209)
インディアンのメディスンマンと同じことを言っていて本当にビックリですけど、それが本来の人間のあり方だったんでしょうね。今がおかしいだけで。
また西岡氏は仏教の造詣も深く、梅原猛先生が『隠された十字架』で発表した「法隆寺は怨霊封じの寺」という説を、「呪いとかそんなものは、仏法にはありません。仏教は人の世の平和を考えるもんです。仏教というもんを本当に理解せんと、ああいうことになってしまう。」(p.120)と一蹴しておられるのも痛快で面白かったです(笑)。
この本を読んでいると日本がいかに素晴らしい知識と技術を持っていたのかが分かるのですが、同時にそれらが近年急速に失われていることも分かります。
この国がこの先どうなってしまうのか絶望感さえ覚えますが、しかし日本人が日本らしさを失わないためには何を守ればいいのかという危機感が共有できれば、きっと進むべき道が開かれるのだと私は信じます。