marisuke-エンガワ-
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苦しい。

吐き出したい。彼女と別れた。仕事の重責に押しつぶされそう。

重たい案件が何個も乗っかってくる。

会社で萎縮してしまい、うまくコミュニケーションがとれない、円滑に進められないかも

と思うと余計に萎縮し、もうなにもしたくない。誰とも関わりたくない。


本当に苦しい苦しい。助けて欲しい。

押しつぶされる。


とにかくこの気持ちから脱したい。

人に話す、気持ちを書く、読む。


今日友達に電話したけどうまくはなせなかった。遠慮したんだな。

あちらも大変だから話を聞こうとして、でも表面だけで聞いてしまっている

自分を感じて辛くなってしまった。


読む。どれをどうよんだらいいのか、

読んでいるあいだにほかのことしなくていいのかというような

気持ちになってしまう。


今書いてみている。なんの脈絡もないことを

ただ苦しい気持ちをただただ書いている。苦しい。助けて欲しい。

自分の気持ちを整理する気力もない感じがある。

解決したくないのか。何かを隠しているのか。

何を怖がっているのか。何を否定しているのか。


苦しいです。助けて欲しい。

不思議な経験「諦念(ていねん)」の感覚?

昨日、母と電話をしているうちに、

深い深い失望感に包まれたということを書いた。

電話の最中にすっごい無気力感が広がった。

母と話す声がどんどん小さくなった。

なんだけど、そのあととても不思議な気持ちになった。


電話後、悲しくて悲しくて仕方がなかった。

仕方がなくて今日はもう寝ようと思った。

力なく、さあ寝ようかと布団にはいり、

さっき母と話したことを思い出したりしていた。すると、、、

、、、

、、、

、、、

なんだか、開放感というか、安心感というか、

心がすごく安定した感じがあることに気づいた。

「???」

しばらくこの不思議な感触を味わってみた。


深い失望感を味わうと、じわっと安定感が出てくる。


さらにしばらく味わった。そして思った。

もしやこれが、「諦念(ていねん)」の感覚なのかな?と。


Webで調べたところによると、

諦念とは、諦めのことだけど、「ただ諦める」だけではなく

深く納得するとか、道理を悟って迷わない心とか、

普通の諦めより、何歩か深い概念のことのよう。


その日、自分は母に失望した。

あぁ普通の子供が受けるような形の愛情はもらえないのだな、とか、

本当に表面的な語りかけでしか心配を表現することが

出来ないんだな、とか、とことん思いつめた。

追い詰めきって諦めの気持ちで心がヘロヘロになった。

ため息と、悲しい目つきでいる自分を感じた。


しかしそれと同時に

どこか母を一人の人として認識できるようになった気がした。

母をありのままの一人の人間と思えるようになった気がした。

欠点のある人なのだ、と

自分と切り離して感じられるようになった気がした。



そしてさらに、ずっと満たされてこなかった、

強くて強くて仕方がなかった幼児的甘え欲求が、

なんと、スっと引いたような感覚になった。

今まで誰かに(出来れば母に)

満たして欲しくて欲しくてしようがなかった、

誰かにわかって欲しくて、構って欲しくてしようがなかった

この気持ちが、なんとサーと遠のいたような気がした。



諦念の先に、心理的離乳だったり、

自立だったりがあるのかもしれない、と感じた。


今日は会社だったがかなり心が安定していた気がする。


諦念は仏教概念のよう。

心理学者 加藤諦三さんがいう諦念はこちら

http://www.shiawasehp.net/diary/201108/23.html








力が抜けてしまった。

(5歳児並みの幼児的欲求を綴ります)


母に久しぶりに電話した。

会社をやめたいな~、みたいな話をしたら、

「どこで働きたいの?」とか「今は就職が大変だから」

みたいな一般論がほとんど。

表面的な手続きのことを聞かれるばかりだった。


母から内面的に心配しているという言葉は聞くことができなかった。

一気に悲しくなってしまった。力が抜けてしまった。


本当はただ「どうしたの?」「大変だね」「がんばっているね」

の一言が言ってもらいたいだけ。


子供が、公園で転んで「痛いのに泣かないで偉いね。頑張ったね」と

言ってもらいたい気持ちとおんなじ。

「この傷なら消毒しておけば大丈夫」と言われるのは不満。

傷ではなく、頑張っている自分を見て欲しい。







母に対しても緊張

思えば母に対して、受け入れてもらえないんだろうな、

とずっと思ってきたように感じる。

親密感も思えば感じてこなかった。

どこか母に対して「恥ずかしい」という気持ちも強かった。

家族以外の他人に感じる「他人感」をずっと持ってきたんだな、と最近感じる。


こう思ったのは、周りの人にすごく緊張してしまうんだけど、

「あれ?もしかして母親にさえ緊張してしまっているのでは?」と感じたから。


そんな風に感じてきたのなら、そりゃ誰にでも緊張してしまうよなぁ。

自分なりの発見。驚き。

自分への納得。


本当は、人と親密になりたい。

でも母にさえも親密感を感じることのできなかった自分。

本当は好かれていないんじゃないか、と怯えた幼少期。

好かれていないに違いない。拾われてきた子かもしれないと思い込んで、

「そんなわけないじゃん」と思いながらも、怖くて聞くこともできなかった幼少期。

(今思えば思い切って聞けばよかったのにね。)


この気持ち(幼児的要求)をどうやって満たしたらいいんだろう。


「こうして欲しかった」という気持ちを意識化して抱きしめる。

当時の自分に、今の自分からやさしく声をかけてあげる。

親密感をイメージする。

散々、散々恨んで恨み疲れたところで諦めて受け入れる(諦念)。

人に話してスッキリする(なかなか聞いてくれる人いないけど)。


いろいろ書いてみたけどわからないなぁ~。

でもどれかからやってみるか。



上司と差し飲み

今日は元々上司とゴルフ&差し飲みしてきました☆

天気もよくて(よすぎ笑)、ナイスショットもでて

よい大人の夏休みでした☆


差し飲みもたのしかった~!!

上司なのに気さくで

久々に大層酔っぱらってしまいました☆

だいぶ年上の人なんですけど

こんな若手と打ち解けられる上司って素敵ですね☆☆


上司が言うにはここまで登ってきたのは

女房のおかげだと♪

女房の耳は右から左だけど、そこがいいところだ!

なんてことをいってました☆☆


支え合っててかっこいいわ~☆☆

もやもや→親と話すのは大事

会社の飲み会で、

ちょっとしたことに気落ちしてしまって、

なんだかずっと、もやもや~!!としていました。


で、

本読んだり人の話聞いたりして思いいたったことがいくつかありまして、

その中の一つが、

「自分は親から(精神的に)自立できていないのでは?」ってこと。

自分でもなんじゃこりゃと思うんですが、

多分そうなのかな、と。


わたくし、反抗期がなかったんですよね。

これって、ずっと我慢していたってことらしいのです。

いい子でいなきゃいけないという気持ちが働いたために。

どうも親に認められたいとか相手にしてもらえてないという想いが

強かったらしいのです。

で、反抗期がないと親から自立出来てないという場合があるらしい。


ほっとかれていたのかな?

と思うと一生懸命育ててもらった気持ちはすごくあるのでそうではない。

だけどさびしかったのだと思います。

いい子でいなきゃいけないと自分で決めて、

ずっとやってきた。だから会社でも疲れてしまう。

そんな感じのようなのです。

思えば大学、就職と自分の意思で選んだようで、

勝手に親の呪縛を作ってそれに沿うように我慢して選んできたように思います。

親に何も言われないのに自分で勝手にそう思い込んで、ですよ。


で、じゃあどうするんだ~!!!

ってなったのですが、今から反抗しよう!と。

親の生きているうちに(*^_^*)。

だけどいい年ですので駄々っ子ではなく、

親とたくさんたくさん話をしようと思います。

言いにくいことももっともっと行っていこうと思っています。



親と話すって大切ですよね。

他の人はもっと親と話しているのかな?


今日はだいぶ心のホンネを出しすぎ?


でも元々そういうつもりでブログ始めたので、これでいいのです(笑)。


無茶な目標を立てないために☆

なんだか日々がだらだらしちゃうな~、

という感じがあるのなら、、、


それは目標がなんとなーくになっているのかもしれないと教えてもらいました。

そして目標を立てるときのコツを教わりました。


1.期限を決める

期限を決めると、、、

①目標が分解できる

②無茶な目標かどうかがわかる


2.目標をひとつにしない(=いくつか持っておく)

ひとつにしておくと、、、

①気分転換ができない

②なくなったとき「あっー!」となってしまう


3.目標は修正してもいい(=修正しないといけない)

この気持ちをもっておくと、、、

①気楽にできる

②あきらめなく達成しやすくなる



特に、

目標の期限を決めるなんて、

本でよく読んで知ってるんだけど、

これがなかなかできないんですよね。


だけど!

立てた目標が無茶なかどうかがわかるっていうのは、

とーっても大事だと思いました。


というのも目標立てて出来ないと、「あーぁ」ってなりますよね。

振り返ってみると、

ちょいちょいそういうのがあったなーと思ってしまいました。

例えば英語とかね。。。


だけどそもそも無茶な目標だったら達成できっこないし、

それでがっかりしたり、

やる気なくなったりしたらもったいないですよね。


やればできる目標を立ててがんばりましょー☆

物知りな○○さん

さっき彼女と電話してたら

「物知りなmarisukeさん、ちょっと教えて~」と質問されて、

その入り方に

まんざらでもないちょっと得意げな気持ちになってしまいました。

なーんてことないけど、聞きじょーずだなぁと。


こういうのことをちょこちょこ積み重ねる人は、

パートナーを育てるのもじょーずだろうなーと思いました。

リスクの少ない告白

好きな人に告白するのって

なかなかできないもんですよね。



最近買った本「100の言葉」 by 島田紳介

にこんなことが書いてありました。


~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・

相手が付き合ってくれないと分かっていても

「勝手に好きになっていいですか?」と

明るく告白しましょう。

「付き合って下さい」というから相手に求めてしまうし、

苦しかったり、恐かったり。


恋はいい意味で、一人称。

相手にどう思われようとかまわない。

そしたら恐くないし自然体。


もしそれで相手がいつの間にか好きになってくれていたら、、、

万々歳ですよね!!

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・


昔、すごく好きな人がいて、ずっと告白できなかった。

だけど、結果がどうであれ告白しないと前に進めない!!!

と思い、思い切って告白しました。


あの時、自分からのメッセージは「付き合って下さい」だったなぁ。

昔は「勝手に好きになっていいですか?」

って考えも出来なかったけど、

今ならそういう風に言えそうな気がします。


あと、

こういう気持ちって、告白に限らず、

仕事でも友達関係でも大事だなって最近感じ出しました。


あのころから少しは大人になったかな。



全文はなっちゃんさんがブログに書いていらっしゃいます☆

http://ameblo.jp/nana0120jun0830/entry-10845453037.html

怒ると一番恐い方言・・・【シルシルミシル】

怒ると一番恐い方言は、

広島弁なんですってー。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1266518847


そう言われると、

昔、広島弁で家庭教師を

してもらったことがあるんですが、

教えらているというより

怒られているようで、

とても恐かった記憶があります。


「この数式がこうなるじゃろぉー。

ほじゃけぇここがこうなるけぇ・・・」


じゃろぉ、とか、ほじゃけぇ、ってとこの

イントネーションが恐かった。


声の周波数の幅が大きいことと、

ラ行がたくさん入ると

恐怖感を与えるらしい。


へぇ~!でした♪