価値ってなんだろって
近頃思いを馳せております✨
そういう情報に反応しちゃう😁
そもそもは派遣のお仕事でお隣になったおばちゃんが、全くお仕事ができないというところから始まり
サラリーマンになった後輩と話していて
なんか触発されて
その時おススメされた本がこちらで
まだ読了してないのだが…
京大大学院を出たエリート臨床心理士が
就職した沖縄のデイケア施設で
「役に立つ」ことではなく、ひたすら
「居る」ことをするという…そんな感じのエッセイ
まだ途中なので感想は言えないんだけど
京大の大学院まで出た人が
その能力を使えずにひたすら「居る」のは
さぞや辛かろう…
しかし、さぞや色んな気づきがあろう…
と想像できる
先日とある演劇ワークショップのあと
同業演出家とやはり価値の話になり
「美智子さんは価値のない世界で価値がある人だと思う」
というありがたいんだかなんだか分からない言葉をいただき😁
その時、予備校講師でもある演出家は言った。
「縄文土器の 縄文 って、無駄じゃん?」
効率だけを求めれば土器に「縄文」を付ける必要はない。
「縄文」を付けなくても死なないけど
「縄文」を付けたい。付けてしまう。
それが人間なんじゃないかと。
人間は太古の昔からそうだったと。
そして今度は養老センセのYouTubeを見つけてしまった↓
「超高度」と煽ってるけど💦
難しい話しではないです。
ホエ〜とはなる😮
人間の「意識」は「秩序」に向かうようにできている。(人間は「ランダム」が苦手。だからサイコロが必要)
でも世界に「秩序」がひとつ生まれるたびに
同じだけ「無秩序」が現れるんだって
物理の法則なんだって🤔
だから昨今のエネルギー問題で
代替エネルギーがでてきても
結局同じことになると養老先生はおっしゃる
人間の「意識」が生み出すものは
どうしても「秩序」に向かう
でもこの世は秩序だけでは成り立っていないから
どうしても脳にカス(エントロピーと言ってた)が溜まる
それをメンテナンスするために「眠り」が要るんだと。
マクベスは「眠り」を失って死ぬけれども
なるほど、ですな。さすがシェイクスピア先生。
でもさ、だからだよね‼️
夢的な作品に出会うと
なんだか落ち着かないというか
でもなんか観ちゃうというか
すごく惹かれてしまう
ルーマニアのシビウ演劇祭で観た
「ファウスト」「マクベス」
能
鈴木忠志氏のいくつかの作品
フォーサイスやピナ・バウシュの昔の作品
なんかは私の感覚では
意識と無意識の狭間にある表現だと思う
(私の少ない観劇経験でしかないです。もっと世界にはワンダーに満ちた作品があるんだろうと思います)
そしてこのへんの作品は
「難解」と言われがち
頭で解析してもつまらないとこにいきがち
ああ、そうか。
意識で解析しようとしても無理なんだなきっと😁
そして無意識を意識の世界に連れてくるのは
やっぱり身体なんだよな
養老先生も言ってた
「意識を失っても(眠っていても)身体はシステムを維持し続けています」
ちょっと
とっ散らかっちゃいました。
ごめんなさい結論出ない。
また書くと思います。
価値
意識と無意識
無駄
について。
おもしろいよね。