この方がおっしやる通り。

人権蹂躙そのものだから。

 

この方に賛同します。

 

 

 

これは宗教の話ではあるけれど

教育のことでもあるので

過去記事を見返しながら

記してみます。

 

 

過去記事

「結果」 として生きるか 「原因」 として生きるか ② | シカ旅団 (ameblo.jp)

 

教育ってなに。 | シカ旅団 (ameblo.jp)

 

科学というのは ですから 感覚にうったえることによって 頭の中の世界を訂正していくんですよ。 | シカ旅団 (ameblo.jp)

 

 

親は自分たちと同じ考え方、結果を求める。

親の見方を押し付ける。教え込む。

 

家庭の価値観。

 

 

 

ここで

学校という存在。

 

学校って、今は不登校とかの話が多いけれど

本来は、それぞれの家庭の価値観とかから

離れられる場として重要な機能を果たしてるはずなんですよね。

 

 

昔、高校美術の非常勤やってた時、

そこの学校の生徒は家庭環境がハードだったり

壮絶なひとが結構いたのですが、

 

学校で緊張がほぐれている感じが伝わってきたんですよ。

 

「降りかかってくる圧や恐怖がない」

「干渉してくる人がいない」

 

束の間、離れられてホッとしている

そんな感じが。

 

それだけでも多分、

ふと「本当の自分って。。」ってよぎる、

そんな感覚になれる瞬間なり、ひと時があったとおもうんです。

 

当時、生徒の表情やしぐさ、言動から感じることがありました。

 

 

学校について語ろうと思っていたわけではないけれど。

こういう展開になりましたが。

 

 

学校

親の思惑が及ばない領域。

 

その存在意義って

なかなかなものだと思うんです。

 

 

 

でも、モンスターペアレントとかって、

家庭の価値観を、結論ありきの、閉じた頭の中の世界を

学校に持ち込もうとする。

そこまでコントロールしようとする。

 

 

こどもに自分たち親以外の何かが影響するのが恐怖なのか。

自分たち親が知らないことがあるなんて恐怖でしかないのか。

結果、わが子に意見されたり異議を唱えられたりするのが

恐怖なのか。

 

 

自分のやっていることが、みれない。見ようとしない大人が

生きにくい社会を助長している。

 

こどもや若者がそんな社会にしたわけではないよね。

 

こどもが、若者が、

 

「結果を生きている」

かつてこどもだった者たちへ

かつての若者だった者たちへ

 

生き方を問うてきているんだよね。

 

いつだって新しい世界を創造するのは

「原因として生きる」ことを選んだ人たちなんだよね。