先日お誘いいただいた、
気仙沼でのアートイベントをふりかえって。
わたしたち絵画教室のアートワークに、
主催者さまのTシャツを着てという発案が加わり
ワークの面白さが立体的(スキンシップとか生命の躍動感)に展開されて、
とても活氣のあるコラボレーションになったことが、
こちらとしての氣づきであり喜びでもありました。
この体験を「非日常」として片隅に追いやらず、
互いの存在に心躍り、喜びを表現し合った「経験」として
日常を健やかに過ごされることを願います。
ポイントは ・ 緩む ・ です。
Tシャツも真っ白を着たり、ひとが着ているのをみれば、
「カレーうどん食べられないや。。」
とか、その状況を想像するだけで、
緊張 ・ 委縮 ・ 縮小(制限や制約)の方に向かいますよね。
チカラが弱まります。
絵も、机に向かって、利き手に筆を持ち、視界に収まるサイズの白い紙を前にしたら、
上手く描けるかな、
滲まないかな、
濁らないかなぁ、
はみ出さないかな、
この残った白いとこどーしようかな、
完成しないとな。。
緊張 ・ 委縮 ・ 縮小(制限や制約)の方に向かいますよね。
チカラが弱まります。
今回のワークのように「型」を外す というのが ・ 緩む ・ につながります。
あえて白を着る。個々人の状態をリセット。
左右とか天地とか利き手とか。。無い。。意味をなさない。さながら宇宙空間。
と言う具合に、「型」を手放すと緩みます。
そして得るのはチカラです。
チカラとは皆さんの活力 ・ 躍動 ・ 笑顔であり、その状態が創造へとつながります。
創造は喜びとして受け取ります。
日々の生活で何かを選んだり決めたりする際に、もし迷ったら
これは、わたしや家族の
チカラを強める?拡がりをもつ?
チカラを弱める?縮小する?
これは友人や知人の
チカラを奪う?
と言う具合に問うてみれば、きっとシンプルになります。
そしてもう1つ。
今回のイベントを介して思う大切なこと、
触れておきたいことがあります。
個人の見解ですが、
「自由」についてお話させていただきます。
わたしが思う自由とは、
魂と身体の関係においての自由とは。
自=独り
由=原因
独り原因となる。
これが ・ 自由 ・ です。
独り原因となる生き方
これが ・ 自由 ・ な生き方です。
ちなみに。
不自由とは「結果」を生きる状態です。
「結果」を生きると苦しくなります。
基準に照らして比較する。
既存の概念や枠組みに
身体も魂も押し込めることになります。
わたしの経験からお話すると、
田植えに関わっていた頃、
自然に身を置いていた時、
嬉しい、楽しい、清々しい。。
けれど、こんなことしていてもなぁ
お金にはならないし、生活が楽になるわけでもないし、、。
という具合に、自分の感覚にダメ出しをする。
自分の感覚をたたくことをしていました。
これが 「結果を生きる」 です。
親子で、ご家族どうしで 絵具に触れながら、
心身ともに緩み、終始笑顔だった今回のイベント。
その表情や身体の動き、放たれるすべてが、
あの場にどっぷりと浸って喜びを全身で表現されていた姿は
正に、「原因を生きる」状態でした。
ひとり ひとりが原因となる生き方 = 自由な生き方
をされていました。
そして、
独り原因となる生き方を体現する
と同時にそれは自身への気高い問いかけでもあります。
人生の質は「問いの質」で決まる。
とわたしは思っています。
で、
今回、再認識したこと。
こどもは未来からの使者
そして我々 おとな(かつてのこども)に
独り原因となる生き方を 思い出す よう促してきた。
思い出す ・ Re member(再びメンバーに)
未来からの使者 を教え導かずとも、
せっかく ・ 今 ・ 共に存在しているのだから
互いにその存在を喜び合いながら
ただ 遊べばよいのだ。 と。
そんな空間でした。
集まった人たちが醸したよろこびが
こうして波紋のように拡がっていく。
うれしかったなぁ。
ありがとうございました。
感謝です。





