映画界の巨匠、巨星、ヌーヴェルバーグの旗手であったジャン・リュック・ゴダールが亡くなった。
スイスで合法とされている自殺幇助のよる逝去ということだが、どうだろう1930年生まれの91歳だろ、今年逝去したウチの伯父とかや80で亡くなったウチのオヤジと同年代だわ、寿命だろうしあえて俺は尊厳死と捉えたいね。
こういう著名人で保守思想家の西部邁とか中村とうようとか自殺とか自殺幇助って言い方より俺は尊厳死と捉えたいね。
どこかの野球団のスター選手だった人とか観ていると生かされている感じが常にするんだけどさ、もう観ていてまったくの他人だけれど辛くなるもんね、好きでもなんでもないけどさ。
俺は本人がもうこの世に未練はない、持病も色々あったりもう自分がこの世に生きていても意味はないって考えてそう他人様に迷惑をかけない自死ってのは尊厳死と捉えたいね、上記の3人は俺の中では尊厳死だわ。
俺もこうありたいって俺の場合は足掻いているかもしれないけれど、年老いて漫然と息をしているよりはスパッと世の中とおさらば(誰にも迷惑かけず、難しいけれどね)したいのはあるね。尊厳死って日本でも認めるべきな気はするわ、もう本人も何の意思も持たないリビングデッド的な人を街中で偶に見かけるが、気の毒に思うからね。
というわけでそんなにゴダールの映画を観まくったわけではないが追悼の意味でこの映画を取り上げてみたい。
陰謀論的にいえば世界初のイルミナティバンドと言われているロックバンド、ローリング・ストーンズを題材にゴダールが取り上げるのはある種、必然だったような気はする。1968年のゴダールが撮ったドキュメンタリー映画。
俺はこの映画で初めてゴダールを知ったんだよ。高校時代に後にバンドで遊ぶ須磨の友人の豪邸で当時、ベータのビデオ映像でコレと「ギミー・シェルター」を観たのが最初だ。
この映画で分かるのはバンドの中でのブライアン・ジョーンズの立ち位置がもうないというのと、スタジオでこういう風にレコーディングしているんだな、バンドっていうのが明確に分かるだけで、途中に挟まれる映像でなんか怒鳴り散らしている人間とかあたおかやん?みたいな感じで正直訳が分からないわ。なんかのメッセージなんだろうね。
悪魔と契約したバンドなんで不死身ってわけでもないけれど、未だにこのバンドはもう実際のバンドのていをなしていないがこの2022年もLIVEをし続ける。
俺からしたらミック・ジャガーもキース・リチャーズもチャック・ベリー他、彼らが敬愛するミュージシャンと同じく寛平ちゃんのギャグではないけれど止まると死ぬんじゃ的な感覚で、LIVEをしない止まるまで続くんだろうなとは思う。
俺がこの映画から感じたのはかつては花形ギタリストで一番人気だった男が壊れていって孤立する様子だけだ。
ゴダールの映画はその後「勝手にしやがれ」「気狂いピエロ」他何作か観たけれど、人生も映画も音楽も特別、意味はないんだただ創造し、世に放つことに意義があるんだって処かな。
レンビデ店長時代になんかビデオタイトルにゴダールのマリア?とかフェリーニのアマルコルドやらトリュフォーの思春期やらなんしかタイトルに監督名をつけるんだけれどね、売れないし借りないのよこういうのは。
特にゴダールなんかは肉体で表現してブルース・リーみたいに考えるな、感じろ!ではなくて、その映画のメッセージを自分なりに感じろ!って感覚の映画ばっかなんでそりゃレンタルビデオは回転しない人でしたわな。
1プラス1は2なんだけど違う0だ!って感じというのかね、映画館やビデオで観る聴衆を放置プレーするその作風はある意味アナキズムでPUNKだったよなぁなんて感じる俺がいます。
とにかく欧州映画の巨匠に合掌。
俺が思うに米国なんかのデ・パーマやコッポラ、スコセッシ他タランテーノ含め多くの日本の映画作家も含め多大なる影響を与えた20世紀の映画作家の巨人であるって感じかな。もちろん洋邦のロックバンドなんかもね。
映画も音楽もそのほか芸術も万人受けする必要はない!っていうね。人生に意味なんかないというかさ。






