ギロッポン初日、補遺、
半日ばかりだと仕事をしたようなしていないような、っはんぶん申し訳ないきもちだ、
っさてゆうべ、カーチュン・ウォン氏の棒、日本フィル公演で、小川典子女史と同フィルのオットー氏とのソロでショスタコーヴィチ《1番》コンチェルト、っおよび同《11番》であった、
カーチュン氏は作曲家でもあられるが、っきのう聴いていると、っありとある瞬間がコムポジションとしての主張を為すのがいたく実感せられる、シムフォニーは表題楽の性格を有つが、っさようの具体的の場面場面を想起せしめる念力よりは、音々の組み立てを飽くまでも克明に追う冷厳のほうが前面へ出ている、彼氏の演奏へ不満を云う声はごくたまに見られるが、っあるいは、っそうした点がかえって澹泊な印象を與えている可能性もないとしない、っぼくとしては、っいっさいの楽章において動機という動機が、っつよいもよわいも速いも遅いも、っすべて等しく扱われること、っそれにより、先行楽章の動機が後続楽章へ組み込まれたり、ダブル・タームになったりする經緯も明瞭に伝わる、和音や楽器の選択、特殊な楽器法も、っいつも発音が明晰であってこそ、作家がそのそれぞれの筆へいかなる効果を求めたかがよくよく諒解せられる、っさようにして多様の物理音が集い、っひとつの音楽が組み上がってゆく様をただただ見守り、っそしてその時間は無上にたのしかった、
日フィルは、っそれこそ各声部とも顔のある愛すべきアンサムブルであるが、っそれが極まることにより、っついに日フィルであることを止めて、っなにか夢に聴く不朽不滅の楽団のごとであった、
っきょうもこれから、っまもなくそれが始まる、
みずの自作アルヒーフ
《襷 ータスキー》(全4回)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351779591.html(㐧1回配本)
《ぶきっちょ》(全4回)
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《きりむすぶ》
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