川崎 その2
田中一嘉氏の棒、ユーゲント・フィル公演、済む、演目はブラームス《1・2番》であった、来年には《3・4番》を演られ、全曲踏破とゆかれるらしいが、っどうかなあ、っそれを聴きに行こうかどうか、
っそれにしても、っぼくがふだん聴かないほうの佐藤雄一氏に始まり、森口真司氏、松本宗利音氏、っそしてきょうの田中氏と、ブラームス《2番》ばかり聴いている、意図して撰んでいるのではなく、っなにしろそうすきではない楽曲なのだが、演目を定かに知らない近々の公演でも、っまた聴く機会があるかもしらん、何度聴いても、楽聖とか、っあるはブラームスとは立場のちがうブルックナーとかマーラーとか、っもっと近現代のショスタコーヴィチとか、っそれらシムフォニストたちのあれやこれやの作をおもってみて、っそのなかでブラームスをより大切にかんがえたい気はついぞ湧いて来ない、っただ、っべつにとくだん愛好しない楽曲であっても、っそのどこをどうしてくれたいとか、っあるは素人かんがえには露おもいも寄らない奇想天外な造形を見舞われたいとか、っそうした願望はもちろんあるので、っだから聴いているときには、こんな曲イヤだなあ、、、っとおもっているわけでもない、っほかの曲を聴くときとおなじように、努めて冷酷に音々へ対したいと念ずるのみである、っそして申すまでもなく、演奏会の客席へいていちばんうれしいのは、っさように最後の最後まで冷酷でいたかったのに、有無も云えずにこころを攫われて、仕合わせ放題の醉いごこちへ蕩け、微睡み、っあるは昂奮へ躍り上がりたくなるときである、っそれを味わわむがためにも、冷酷な、残酷な耳で聴かなくてはならないのだ、っとうぜんのことである、
っさて、オケは、絃12型のささやかな編成で、舞台へ出揃われてみると、コン・マスはいつも東京ユヴェントス・フィルのリーダーをされている方である、っということは慶應出で音楽以外のお仕事をなすっていられるのだろうか、っそれとも音大出のプロフェッショナルの方だろうか、っわからないが、っほかにも、絃バスのトップの方は、交響楽団はやぶさとか、っそれ以外にもさいきんどこかで見掛けたような気がするが、っそれ以前からも見憶えのある頭の薄い小太りの男性である、楽団の名に負うごと若い方々の集まりだが、全体にアマチュアっぽい弾き方、舞台姿という感じがせず、っあるは音大出で、プロの楽団へ入れずにいるという人たちの団体かもしれない、管は3管を可能とするらしく、っよって2管のきょうは、木管は前半と後半とでおひとりずつ、え、さっきいなかったよ、っという方が新たに入られる、っそのわりに絃が12型というのは不可思議にもおもえるが、っそれほどでぶらないひびきでブラームスを演りたいということだろうか、
っその編成からあきらかなように、分厚いひびきでハーモニーもなにも混ぜくたにしてしまうという、っとくに我が日本においてだとおもうが、昭和の時代に盛んに為されたような汗臭いブラームス像はどこへやら、っどこもかしこもすっきりとした清潔な発音で、っいくらかの声部にときおりかすかなエラーがあったとはいえ、っそれを叶えるだけのテクニークもあったとしてよい、
っただ、っどうかなあ、っべつにぼくとして、っそのかっての力盡くの暑苦しさが得点であり、っそれをしない小ざっぱりとした奏楽が失点であるとおもっているわけではないのだが、っそれでも、力まないぶんだけできたゆとりを、っもっとほかの音楽的の差配へ振り向けてくれたいとおもわないでもなかった、っただなんとなくスリムになったっきりで、特長に乏しいというか、っともすると力ない頼りない演奏に聴こえないとしない、クリアで、精妙な音が出せているだけに、余計にそうおもってしまっただろうか、爽やかで涼しくなったぶんの補償を要求するこころが、絶えず疼かずにいないのである、
田中氏は、っそれこそきょうの舞台でゆいいつの昭和の生き證人にほかならないが、っこのオーケストラ文化の今昔になにをおもわれているだろうか、《2番》1楽章の㐧2テーマは、っぐっと腰が落ちてかつレガーティッシモ、テーマ間の対比としてとうぜんの姿勢ともいえるが、テムポをほとんど変えずに進まれる松本氏を聴いた直後であり、っぼくにはあちらのほうが辛口で好もしい耳当たりというか、耳のみならず、っこころへもうれしい届き方をしたようにおもう、
提示は《1・2番》ともリピート、後者の展開は、絃主体の開始からしばらくこそ、オケはよく弾けもするので錯綜せるポリフォニーの緊張を伝えるが、金管、ティムパニを交える山場は、っせんじつぼくが云ったのと眞逆、各楽器が固有の音色を主張せず、っむしろ努めて融け合わむ融け合わむとされるため、ハーモニーが聴こえるっきりで、多声がぎっしりと林立し合った厳粛の気味は発露しない、全体に爽快な音量のままでもその厳しさを出すことはおおきに可能かとおもい、っじっさい松本氏からはそうした覇気を感得したもので、っそれからすると、っさっきの田中氏のようでは、音楽の柄を何重にもちいさくおぼえないとしない、《1番》も《2番》も、全体にいつもどこかその憾を遺さずにいなんだ、
っま、っこんなところですかね、っだから敢えて残る《3・4番》を聴きに行きたいともおもえないわけで、
っところで、っきのう荻窪へは、っわりに開演近くに着いて、プログラムは隅々まで読めずにしまったのだが、っいつも帰宅してすぐに捨ててしまうところ、残る頁へはなにが書いてあるのかといちおうぺらぺらと繰ってみて、見ておいてよかった、っその一橋の学生オケは、大学開学150年を祝して、っこの師走にサントリーにて記念公演をされる、演目はマーラー《夜歌》で、棒は、っなんと森口氏である、祈るようなきもちで同日にすでにして別の予定を入れていやしないかとスケデュール・アプリケイションを検めてみると、っさきわひにしてなにもなかった、
っぼくの森口氏の聴き初めは、っじつにマーラー《9番》という超大曲であったが、っいろいろと調べると、っその前年だかなにかにはどこかの団体とショスタコーヴィチ《レニングラード》をなすっていたりと、知って悔しいおもいもし切りである、一橋は、っきのうの奏楽を聴くかぎりでは、下手ではぜんぜんなかったものの、っしかしあのテクニークで《夜歌》を十全に乗り切り遂せるのは至難とも云える、指揮者、奏者ともどもにおおきに気を吐かれたいところである、
っそれでお次は、土曜に山上紘生氏の公演、練馬だったかな、っちがったかな、、、っまた午前のみ仕事をできずにしまうような予感がする、
っその前に、今週水曜には、目下、山田令子女史が彼の地よりご帰国中とのことで、っぼくなぞにはまことに勿体なくも、っお食事にお誘いいただいたので、仕事のあとに逢い、旧交を温む僥倖とゆく、
みずの自作アルヒーフ
《襷 ータスキー》(全4回)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351779591.html(㐧1回配本)
《ぶきっちょ》(全4回)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351806009.html(㐧1回配本)