参宮橋、 | ざっかん記

参宮橋、




ったほうの佐藤雄一氏の棒、日大管公演、済む、演目はスメタナ《我が祖国》〈ヴルタヴァ〉、ビゼー《カルメン》㐧1・2スートから諸曲、っそしてブラームス《2番》と、っいかにもアマチュアアマチュアしたライン・アップである、

小柳英之氏の公演の際にはあんなにも閑散としたそのおなじ堂内が、っけっこうな人で埋まっている、スメタナが始まると、っぞんがいアコースティックも快く感ぜられるし、プロフェッショナルだとまるで楽器1本で吹きつづけているのかとこちとら錯覚せるほどにシームレスに繫がっていってしまうフリュートは、っふたりして分担しているのだとよくわかり、っかえってたのしい、クラリネットも巧くなく、主部へ遷っても佐藤氏の造形にはどこにも取り立てて云うべきことはない、

ビゼーもブラームスも同様と云えばそうなのだが、前者のラテンの感触は、っこうしてあらためて聴くとやはり心身ともに沸き立ち、っうきうきする、ハープは客演であろうからとうぜん安定しており、対して学生として一世一代の大舞台であろう〈インテルメッツォ〉のフリュートでは、っこころを籠めた歌われ方にほっこりとさせられずにいない、クラリネットへバトンを渡された後のおふたりの絡み合いにしてもそうである、

単純そうに見えるこんな曲でも、アマチュア楽士にしてみれば難儀があるのだなあ、っといろいろと気附かされる、ったとえばタムブリンは、フィンガー・ロールをまいかいしくじりなしに定めるということができなくてしまわれる、N響のパート別楽員交歓みたような動画がYouTubeへ上がっており、っそこで打楽器はあの小柄な別嬪がセロの男性へあれこれ指南をされるのだが、セロの方はフィンガー・ロールを巧くできなくていられ、っしかしのち、別のヴァイオリンの男性、ヴィオラの女性はすぐに習得してしまわれ、セロの男性は悔しそうに再挑戦、っとちゅうからどうとか骨を摑まれたようである、っそれを観ていても、あれをいざ楽曲の演奏中に過たず定めるには、日々の鍛錬が肝要なのに相違あるまい、っとおもわされる、っそして、打楽器は目立つだけに、っほんの1音しくじるっきりでも、手痛い失態である、っじつに心臓へ毛の生えている人でなければ務まるまい、

ブラームスは、オケの精度としてもそうなのだが、指揮者につよい表現意志を望めないため、1楽章の提示までなど、巧くない各パートがてんでんばらばらに音々を鳴らしているふうで、これをフィナーレまで聴くのかよ、っとややげんなりするが、展開以降、個所によっては衒わない棒、奏楽が眞摯に曲趣を当てる場面もあり、っすくなくもまずまず音楽として聴いていられた、



っあすから3日間、多摩市の試掘で、社用車は別棟へ停めてあり、チャリンコで別棟へ出勤して、現場までは車で3分5分、っさもしい話で恐縮だが、自室近くの駐車場へ停めて、車で直接現場へ往ってしまうのでは、交通費を稼げない、一旦チャリンコで別棟へ出れば、っその分の電車代バス代が支給せられるのである、駐車場代とぼくの別棟までの交通費とでは、後者のほうが倍額以上で、会社にとっては迷惑な話なのであるが、っま、っそのくらいは許してくださいよ、社内では、人によっては社用車通勤の際にも電車代を請求している人もいるらしい、っしまったな、っぼくも当初よりそうしていればよかった、

熱中症対策も義務化せられた当節、作業員さんの健康管理には細心の留意を払わねば、っしかし、っおとついの会議で聞くには、始業前に作業員各位の体調を訊くようにせよ、っということである、っつまり、っもしか誰かが熱中症を発してしまった際に、っあさの段階で体調を訊くなりしていないと、業務管理者としての責任問題になるというのである、世知辛い話だ、労働者のためと称して国家としてあれこれの規制を巡らせることはしかし、職場を同じうする者同士の猜疑心を高め合うことに繫がりはしまいか、人は、っまずは自己責任で生きるべきである、誰かが熱中症の憂目に遭った際、管理者は懸命に処置をする、発症者当人は、俺のせいで迷惑掛けちゃってすみません、っと恐縮している、っそれがあるべき労使関係、人間関係ではないか、今次の規制は、熱中症を予防し、っもしかの発症者を救うに寄与するかもしれない、っそうあってくれたいとはおもうが、っしかし引き換えに、職場の人間関係へ目に見えない打撃を與えはしないだろうか、規制の世話になぞならなくとも、っぼくらはともに肩を並べて働く者同士、信頼関係を築いている、築けているのではないのだろうか、法律なるものが、っその結束へ罅を入らせないことを切望する、熱中症にかぎらず、っなるがたけ自然な人間関係の裡に人生をすぐしたいとおもうならば、人は国家へさまざまの規制を法律を要請すべきではない、こっちでなんとかしますので、っという態度こそが肝腎である、それではトラブルに際して一律の対応ができない、っと云うならば、一律の対応なぞする必要があるのか、っとぼくは応じよう、当事者同士が納得するのであれば、同種のトラブルへの対処も、ケイスごとに区々であっておおきにけっこうではないか、前おなじようなことがあったときにはこうだったのに、こんどはこうなのかよ、っというくらいの落差には、人は人生航路上で能うかぎり耐えながら生活すべきである、っそれが厭わしさに一律の規制を安易に頼めば、っついにはあれも規制これも規制、っそれも罰則どれも罰則、窮窟なよのなかを結果してしまう、っいざ箍を嵌められてから、生きにくい時代になったもんだ、っと不平を垂れるならば、平素から、事態事態に応じて臨機応変に振る舞わねばならぬ心労くらいには、人は耐えなくてはならない、画一的のルールが定まっていてくれたいと甘ったれるから、っけっきょくは当のルールに首を絞めらる仕儀へと陥るのである、人よ、主体性を有って日々を生きようではないか、っぼくらの人生の主人公は、っぼくら自身なのである、他人にルールなぞ定めてもらわなくとも、っぼくら自身の責めにおいて、事態事態を解決しながら生きるのである、っどんなに面倒なのだとしても、っそうすべきなのである、他所へ主体性を明け渡してしまうよりは、

っさて、っお次は土曜、夕から錦糸町でアマチュアのマーラー《大地の歌》公演なのだが、午にもなにかないかとおもうと、初台では読響が、ギロッポンでは新日本フィルが、っそれぞれ公演を有っていられ、っいずれも魅惑的のプロであるものの、っしかし行く予定にしていないで聴くには切符代も高く、躊躇せずにいない、っそこでアマチュアも含めて他の機会を探ってみるに、聖蹟でチェムバーの団体による無料公演があり、会社最近所での公演というのもたのしく、っそれへ行ってみることにす、



みずの自作アルヒーフ

 

《襷  ータスキー》(全4回)

 

https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351779591.html(㐧1回配本)

 

《ぶきっちょ》(全4回)

 

https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351806009.html(㐧1回配本)