ギロッポン、 | ざっかん記

ギロッポン、




カーチュン・ウォン氏の棒、日本フィル公演、2日目、済む、演目は芥川也寸志《エローラ・シムフォニー》、ブリテン《パゴダの王子》スート、サー・スティーヴン・ハフ氏を招いてブラームス《1番》コンチェルトである、

っきのうも開演10分前でも空席過多で、え、、、こんなにがら空きなのかよ、っとおもう、っその後、開演までにはそれなりの埋まりぐあいにはなったが、土曜のきょうはもっと数多の来客があるのかとおもうと、っきょうもゆうべとそう変わらず、日フィルのサントリー定期2日公演は、っかたっぽはぼくのこの器での定位置であるRCが一般発売でははなからどこのプレイ・ガイドでも購えない状態で、っきょうは善後的にRA、B席の2列目、っま、同一プロを2日ともおなじような位置で聴くというのも勿体なく、異なる音響条件のほうがよいとはいえ、っいざ着座してそこからRCを望むと、っじつに空席だらけなのだ、っなんでだよっ、空席があるならそこへ俺を坐らせろよっ、っおそらくは、軒並み定期会員に押さえられていて、っしかしその人たちが聴きに来ていないということなのかとおもうが、失礼な話である、来ないんなら定期会員になんかなるなよ、空席だらけの客席を舞台上の演者へ見せることについて、っいったい申し訳ないとおもわないのか、カネは払っているんだから文句はないでしょとでも云う心算か、っまったくその倫理観を疑らずにいない、

っけっきょく、仕事は休んでしまう、2度睡3度睡で11時ころまでベッドへごろごろしていて、っやっと出掛く、っそれにしても、っゆうべも云ったが、演奏の出来も含めて、っじつに良プロ好プロであり、カーチュン/日フィルも、っせんじつのマーラー《復活》のような公演では、発売から瞬く間に切符が売れてゆき、2日ともほとんど完売だったのだろうが、っかようの、来場してみれば全体に極めて充実しているという公演が、っしかしおおくの集客を得られないというのは、っいかにもかなしい、日本のお客も、っもっとほんとうに音楽に対して貪慾貪婪になってくれたいと希わずにいない、っもっとも、っぼくとて在京のすべてのプロフェッショナルの楽団のまいつきの公演へ通っているわけではぜんぜんないのだから、っあまり他所様のことを悪し様に云えたものではないが、っよのなかには、っそんなことをしている人がいるのかねえ、っま、っきっと幾人かはいるだろうな、っしかしそうせむとしたら、っよっぽど一生遊んで暮らせるカネを有っていて年中閑人ですという人で、っかつ相応の体力気力がなければならない、演奏会の現場というのは、聴く方にとっても、快く体力気力を消耗せる場だからである、

舞台は至近距離であり、芥川氏の作から、っきょうは数多の打楽器の多彩の質感をおおきにたのしむ、っが、っまことに遺憾ながら、っこの曲のどこがどのように引き算の作曲であるのかは、っけっきょくよくわからなんだ、っともかく、鳴っている音をただただたのしんでいるのみである、

っところで、今公演にプログラム・ノートを寄せていられる方は、調べればわかることだからお名は伏せるとして、先般の新響の記念公演でもお顔を出されていて、っゆうべも来場されていたが、邦人作曲家に執心され、っその紹介に盡力されている業界人でいられるけれども、っぼくは彼氏にいちど酒席で凄まれたことがあるんだよなあ、っなんの脈絡もなく、え、そんなところでそんなに大声上げることかいな、ってなもんだったが、っとつぜん恫喝紛いの罵声を浴びせられて、っしかし、っそのときの彼氏の眼鏡の奥の目の色をよくよくみていたら、っなんのことはない、っじつにおどおどとされていて、要は、っよく素姓を知らない人物にはまずがつんと脅しを喰わせて、っそれで相手の反応をみる、っさように、人間関係といえばすなわち上下関係である、フラットな人間附き合いなんぞできた例がない、っというような憐れな人で、っぼくとして凄まれている意味がまるでわからないので、なんだコイツ、ケツの孔のちっちゃい男だな、っと柳に風と受け流していたところ、凄むことでマウントを取れるという経験則だったらしい彼氏は、当てが外れて不満貌、ってなものであった、っああいう人というのは、狭い業界でそうまいにち忙しく仕事の口があるわけでもなさそうなのに、っいったいどうやって収入を得ておまんまを喰っていられるのかとおもうが、聞いた話では、っやはり邦人作曲家を大事にかんがえている、カネに糸目は附けない、っというパトロンがいるとかいないとかということだ、っま、っひろいよのなか、っべつにそういう仕事があったってわるかないとはおもうがね、邦人作品の演奏さる公演では頻々とお顔を見掛けるのだが、っそのたびに、あ、あの人、べつに業界人でもなんでもない俺のことを意味なく怒鳴った小者だ、っと見下げている、

ブリテンは、っきょうも無上にたのしい、日フィルのアンサムブルのすばらしさよっっっ、

ブラームスは、っきょうの位置ではピアノ線は蓋の向こう側で鳴っており、眞に微細なニュアンスまでを噛み分けるわけにゆかなんだが、っいっぽう管絃はきのうよりも直接音直接音して生々しく、っこれもまたよき哉、

同曲は従前は、フィナーレのコーダまで待たねば華やいだこころの解放を望めず、っあとはずっと深刻癖の吐露でまったく辟易させると侮っていたが、っきのうきょうと聴くと、っまあそれでもぼくは全的には同情し切れはしないが、っしかしぞんがい寛いだ気分の場面もあるし、2楽章へは、コンチェルトの緩徐章として異様なほどの神秘が聴こえ、憂愁が漂いもする、中途に出るクラリネット2本の和声の主題など、っや、っやはりぼくはあのような感傷は不健康だとはおもう、っおもうけれども、っしかし率直に、嗚呼、好い音楽だなあ、、、っと胸を震わさずにいなんだ、

ソリスト・アンコールは、っゆうべはシューマン、っきょうはショパン、っそのきょうの最有名の《ノクテュルヌ》は、敢えてほんの小手先へ流されるようなあっさりとした語り口で、っしかも独得の間合いの取られ方が存り、背後で聴かれている田之倉氏が、奏者がヒヨったのかとおもわれたようで、う、え、サー、大丈夫ですか、っというお貌をされたくらいである、っあんなこと、っいま囂しいコンクールでコンテスタンテがやらかそうものなら、予選だってまともに通してもらえないということなのにちがいあるまい、っああした無碍なる居住まいを聴くにつけ、べつにコンクールなんぞそう躍起になって受けなくたってよいじゃないか、っとおもわずにいない、



っさて、っあすは我が最近所、多摩センにて、コバケンさんと読響との公演で、っきょうは青砥にて同プロ公演が行なわれているはずだが、っその2日目である、髙木竜馬氏がラフマニノフ《2番》を弾かれるので、っおなじコバケンさんとの日フィルとの同曲は、公演へは行かなんだが、配信を録画して、っそれはぼくにとって得難い寶物である、っその再来、っあるはさらなる飛翔飛躍を希みたい、

っそうだ、っきょうの事後は、恆頃と趣向を変えて宮城の方を先に巡り、っいつもの馬場先門側からでなく、櫻田門側から遙拝、有楽町の王将へ寄り、生3杯と大食をして、クーポンと会員カードとで割り引いてもまだ¥4千を超えるという散財、退店してガード伝いに東京駅の側へすこしく歩くと喫煙スペイスがあり、シガレット数服、インナー・ヘッド・フォンでその髙木氏のラフマニノフを聴いているところ、隣の男の子が話し掛けてこられるので、っなんだろうとおもってフォンを外すと、っぼくはシガレット喫煙に数年以前からクロレラ・パイプを使用しており、すみません、めちゃくちゃ気になって、それはなんですか、っと訊かる、これはクロレラ・パイプといってですね、へえ、どんな効果があるんですか、さあどうでしょう、一寸ニコティンを抑えるとか、そういうものではないですか、コンヴィニとかに売っていますよ、っと会話す、気の好い若者だ、フォンで耳を塞いでいる人へ話し掛けるというのは、っすこしく勇気の要ることであろう、っそれを押してコンタクトを取ってくれたというのは、っまことにうれしいかぎりである、

っおっと、っここへは自販機がある、っいまや喫煙スペイス僅少の都心にて、っありがたくもこうした場を提供してくれているのに、場所だけ使ってなんの貢献しないというのは人の法にない、っべつにどうしても食べたいわけではないが、食後のディザートにアイスをひとつ購ってゆくとせむ、



みずの自作アルヒーフ

 

《襷  ータスキー》(全4回)

 

https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351779591.html(㐧1回配本)

 

《ぶきっちょ》(全4回)

 

https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351806009.html(㐧1回配本)