上野、 | ざっかん記

上野、




石川征太郎氏の棒、交響楽団はやぶさなる団体の公演、済む、演目は、ジョン・ウィリアムズ《スター・ウォーズ エピソード1》〈運命の闘い〉を演り、ソプラノ松原みなみ、メッゾ林美智子両女史を招き、休憩なしでマーラー《復活》、コーラスも同団で独自に結成せられた団体とのこと、

っきょうは15:30開演だったので、っかなり余裕があった、っゆうべは、っよるの駐車代を取られたくなかったので車は聖蹟別棟へ戻し、チャリンコで帰宅、っきょうの行程は、室から別棟までを30分、別棟から堀切菖蒲園までを2時間半、堀切菖蒲園から上野までを30分、開演までの正岡子規野球場脇での喫煙を30分とみて、計4時間、っほぼそのとおりに来て、っのんびりシガレットを服んでから入場す、道は、環8の前後などきのうよりもいやに混んでおり、流石に黄金週のせいかとおもうとちがって、通り過ぎるときに見ても理由がわからなんだが、っその先の東八との合流地点へ警察車輛が停まり、車線をひとつ減らしているっきりだった、

ジョン・ウィリアムズのそれは、っぼくも若くときに音盤を購った、電子楽器等も用いていたはずのポップな終曲では、ボーイズのコーラスがすごくかわいかったのをよく憶えている、っきょうの曲は、コーラスの入らないヴァージョンは実演で聴いたことがある、っまだ田舎へいたころ、夏にデュトワ氏がN響を連れて来名したことがあり、っその際に同スートの他の数曲とともに披瀝せられたのだった、コーラスの入った版は、っあれは何語なのだろう、映画のための人造言語かなにかだろうかとおもっていたが、サンスクリット語とのことで、20年以上越しにそれを識る、っあのころのN響といえば、っその日のコン・マスはたしかマロ氏であったが、っぼくはそれよりもフォアシュピーラーの武藤氏のいかにも紳士然たる風貌に魅せられていた、

演奏は、っきのうの鈴木氏につづき、石川氏の繰り出すひびきも、っまあ平凡の部類だ、無理もない、演奏が始まった瞬間に、これが俺の音だっ、っと有無を云わさずお客を圧倒しうる指揮者など、っそう滅多にいるものではない、

オケはいやに張り切り、トロムペットなど、っはじめのうち完全にバランスを破るが、っその後は節度を得る、っきのうの楽団は、木管がいずれも縦横に魅惑を振り撒いたが、っきょうの彼等は、っみな吹けない人たちではないが、クラリネット、ファゴットなどはマーラーも含めていささか主張に欠ける、っそれはホルン、ハープ、打楽器の幾人かもそうであり、アマチュアのみならずプロフェッショナルでもそういう人はすくなくないが、っつまり、っちゃんと音の出せる人がしかし演奏会の間ずっと、ちゃんと音が出てさえいればそれでいいんでしょ、っという音を鳴らしつづける、っまあ、当人としてはそれでも音楽的の差配をあれこれしている心算なのかもしれないが、っそれが内輪にすぎ、っお客へはなにも伝わらないのっぺらぼうの音っきり出ていないということだろう、人が日常会話で喋るのと、役者が舞台の上で科白を云うのとでは、っおなじ人語でもぜんぜん存在感がちがう、誰しも、役者がスウィッチをonにして迫眞の声の色で科白を云い出すのを観て、あっ、やっぱり役者ってぼくらわたしらとはものがちがうんだっ、っと驚倒させらる經験をしたことがあろう、舞台へ上がって楽器を鳴らすからには、楽士は人へあれとおなじおどろきを與えられなくばならない、っつい一寸、家族へ話し掛けるような調子で音楽を語っているばあいではない、楽器の音にも、っぼそぼそ呟くようなのと、名優の科白回しのようなのと、明らかに音のちがいがある、取り敢えず音が出ていればいいんでしょなどとは、断じて云っていただきたくないものだ、っおもえらく、っお客へアッピールせむとしたら、自分のおもっている3倍か5倍、5倍か10倍は厚かましくならないと、っそれでやっとお客へ音楽が届くか、っどうかするとそれでもまだ足らないくらいかもしれない、

絃はといえば、頭っ数がおおいこともあり、っまずまず隙は見せない、バスは、っあの頭が薄くなりかけた小太りの男性はどこかで見たことがあるような気がするが、彼氏を筆頭に恆にすばらしい存在感である、1stは、時を追う毎に熾烈に凝集し、っしばしばヴァイオリンという楽器を忘れさせるような音がしていた、っどうも、っそれがこの器の特色であるらしい、っここでは田代俊文氏が東大の学生オケを振られたチャイコフスキー《5番》を聴き、っその際にも特にこの楽器が、っほとんどチャイコフスキーの肉声を伝えるかのごと、現実の物理音とは信じ難い煌めきを発散したものである、

マーラーは、2楽章をあっさりと快速に流したかとおもえば、3楽章での石川氏はほとんどのべつ小さな3つを振られる棒で、っここ上野大器の乾いたマルチなアコースティックも相俟ち、グロテスクな楽想が飛び交う様は、っぞんがい聴きでがした、

〈原光〉を經てのフィナーレだが、っむかしはその部分をべつにどうともおもっていなんだが、っこないだのカーチュン・ウォン氏の公演といいきょうといい、コーラスから静かに復活の合唱が始まって、中途からソプラノが1羽のみ群を離れて飛び立ってゆく部分が、っなにか泣けて来てたまらない、っきょうもそこでおもわずに泪腺が緩んでしまう、

アンコールにソリスト連も唱和されてのエルガー《威風堂々》〈1番〉の再現のみ、1日にして3つの言語の歌を聴くとは、っなかなか珍妙なる体験である、アルヒーフ配信も、迷っているのもイヤなので購入してしまった、っべつにそれほどの演奏であったとはおもわないが、っま、っせっかくだから録画しておかむ、



っさて、っあすは連休中ゆいいつなにも予定がなく、っしかしあさには室の前のコンヴィニへヤマカズさんの新響とのマーラー《5・6番》音盤が届くこととなっており、受け取ってきて聴くとせむ、演奏は70年代末とか80年代であり、っそのころの同響の別演目の音盤はいくつもあるが、っとうぜんながらいまの彼等ほどには腕が練れていない、っだから一大演奏が鳴っているという期待を有って聴くのは自身へ厳禁している心算なのだが、っでもやっぱり、っそれら種々の制約を振り払い、っひょっと大山田一雄の大マーラーと成り遂せてはいまいかと、っおおきな夢想を懐いてしまうものである、

っそしてあさっては、っついにこの日が来ました、小柳英之氏のマーラー《5番》である、っもうめっちゃくちゃのどったんばったんの演奏にしてしまってくれたい、っどんな音でもこちとらウェルカムである、っそれがあの狭い音場へめいっぱいに鳴り散らかすことだろう、っけだし聴きものだっっっ、



みずの自作アルヒーフ

 

《襷  ータスキー》(全4回)

 

https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351779591.html(㐧1回配本)

 

《ぶきっちょ》(全4回)

 

https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351806009.html(㐧1回配本)