原宿、 | ざっかん記

原宿、




ファビオ・ルイージ氏の棒、N響公演、済む、演目は、オレシア・ペトロヴァ女史のメッゾ、東京オペラ・シンガーズの女声コーラス、NHK東京児童唱のボーイズ・コーラスを招いて、マーラー《3番》である、

、、、っいやはや、草臥れましたねえ、っほぼおもったとおりの音、っおもったとおりの演奏で、っやはり3,000席超、4,000席にもなんなむかという大会堂の舞台でオーケストラが音を鳴らして、っそれを天井桟敷近くで聴いていて、っあんな音量音勢、っあんなバランスの聴こえ方をするというのは、物理的にありえないとおもう、っまあとにかく、大空間で乾いた音質のステレオを聴いているとおもって坐っていればよいのである、、、っいつもこんなことばかり云っていて、っそんな事実ありませんよってことだったらどうしようかしらねえ、っま、っそのときにはすんませんでしたという話だわな、っしかし、っよしんば事実だとしたならば、っそれをお客へ告げずにやっているというのは、っちょっとどうかとおもうけれどなあ、

っそのうえきょうは全奏100分休憩なしとあって、1日中坐りっ放しのぼくは尻が痛いのなんのって、椅子もまた安物の嫌いで、座面が硬いし、っすこしくでも血行を改善せむともぞもぞ動くと、ぐぐぐぐぐ、ぎりぎりぎり、っとノイズが出ちゃうし、

っもう何度も云ったが、っこの曲はぼくの青春のテーマ・ソング、、、っこんな七面倒な曲がテーマ・ソングって、っで、っしかし音盤にはなかなかこれぞという決定打がないのを憾みにおもっていたところ、突如として、カーチュン・ウォンなる俊秀が現われ、日本フィルのプリンシパル就任披露において、っそれはそれはすばらしい大演奏を達成されてしまわれた、っあるいはサントリーで聴いているときには、そこはぼくがいちばんに聴きたいとおもう表現とはちがうな、っという個所もひとつならずあったかもしれない、っしかし、っすべての意匠がすぱっと吹っ切れていられるため、っすぐさま、これはこれでありだっ、大ありだっっっ、っと絆されてしまい、同プロ2公演の2日目を聴くときには、っもう全幅の信頼を寄せつ客席へいたものである、配信せられたものを録画して何度くりかえし全編を再生したか知れないが、っほんとうに及び難い結晶であり、細部細部に亙るまで、愕くべき説得力の固まりである、っしかも、音色が恆にからっと明るい、っそこが無上無性にうれしい、開いた音色というのか、1楽章など、ファゴット連やロウ・ブラス等がフィーチャーせられる場面もおおいので、指揮者にセンスがないと、閉じた曇った音色へ陥り勝ちで、っぜんぜん気持ちが解放せられてゆかない、悲劇を噛み締める時間があっても、最後には照りつける眞夏の太陽のごと燦然と耀き渡る、っそれがこの曲の音色感であってくれたいのだが、30分も掛けて踏破した1楽章の終わりがやっとこさ賑やかに鳴っているのに、ぜんぜん音々がにこにこ笑っていないじゃん、っという駄演凡演のなんと巷に溢れ返っていることか、、、

っこの実演が圧倒的の牽制球となってしまって、以降の人たちは土台、分がわるいかとおもっていたところ、金山隆夫氏が川崎でアマチュアを振られたものも、っあれでどうして麗しい記憶を刻んでいる、金山氏ご自身がもともとそういう棒の方でいられるし、オケはアマチュアでもあり、カーチュン/日フィルに比すれば被写界深度がぜんぜんずっとずっと浅く、ピン呆け気味の奏楽ではあったが、っそのざっくりざっくばらんな語りがあまり嫌ではなく、っばかりか、100分も掛かるマンモス・シムフォニーだのにプロフェッショナルでは線の細いかちこちした概観ばかり聴かされている気がしたので、っぼくはそのおおらかな造形にほっこりとさせられたのである、

っそれらを客席で聴いているときには、っよく謂われる、いつまでも了わらないでくれたいっ、っとの感激にたびたびシビれていたというのに、っおなじ曲を聴いていながら、っきょうさっきと来た日には、フィナーレが冒頭からいまだ弱音のうち、ルイージ氏はいやにゆっくりじっくりとした語りでいられるので、っぼくとしては、そういうのいいからもっとどんどん先へ進めて早いトコ了わらせちゃってくださいよ、ケツ痛えし、、、ってなものであった、

N響については、奏楽としてこの水準は満たすでしょ、っとぼくが当て込んでいたその線よりもだいぶん下回るという為体で、管は木管も金管も3楽章のポスト・ホルンも、目立つエラーをやらかさなかったパートはひとつもないのでは、っというくらいである、日フィルとてもちろん無疵ではなかったが、っきょうのN響とは比較するも愚かである、っもっとも、演奏会とはナマモノだから、個別のエラーにはぼくはさして腹を立てないが、っそれよりもどうしても気になるのは、ムジツィーレン、エスプレッシーヴォの絶望的の不在である、っときおりどれかのパートが、おっ、そうそうっ、そういう音だよっ、っという潤いに濡れた妙音を聴かせはするのだが、所詮は局所へ留まっていて、指揮者の建設せるコンテクストの裡で必要にして不可欠だからさように音がしっとりと濡れる、っというレヴェルの話ではぜんぜんないし、っあとはひたすら、アルティキュレイションってそれなんのことですか、記譜の音価通りに音を処理しております、それが音楽でしょ、なにかいけなかったでしょうか、っとでも鳴っている音がぶんむくれているようなふてぶてしさである、っそれはまあぼくが意地悪な耳で聴かむ聴かむとするからそう聴こえるのかもしれないが、っとにかく聴いていて、こんなのぜんぜん本格のオーケストラの音じゃないとおもうんだよなあ、、、っとの悪感情が死神か疫病神かのごとずっと附き纏って離れない、っかちこちかきこきした生硬な質感の多声の欝積は、っしかしいつも無類に整理整頓せられていて、っなんだか、レゴ・ブロックをぽこぽこ嵌めて一寸したオブジェを作ってみました、っとでも謂うのか、オーケストラのおもちゃみたような耳当たりのサウンドである、

っそのフィナーレ冒頭からの静々とした絃合奏など、っまあスピーカーでニュアンスが補強せられて届いているということもあるかもしらんが、っぼくももっとどんどん先へ進んでよとばかりおもったのではなくして、ううん、たぶんこういうところあたり、サントリーとかもっとまともな器で聴いていればそれなりに好い音がしているんだろうなあ、っくらいにはおもっていた、っそれが大団円まで済むと、周りの安席連中にはけっこうな割合で熱心に手を叩く人たちがいたのだが、っぼくが眞っ先にやりたかったのはとうぜんながら尻を上げて滞った血行を促すことであり、っのち、拍手するにはしたけれども、コンサートの客席であんなにもはっきりと、これは熱心には拍手をしないでおこう、っと意志する經験も珍しい、指揮者が1度目に袖へ下がられたらそのまま退席したって惜しくはないとおもったほどだが、っま、っいちおう長原氏が散会を号令されるまでは席へいた、ロビーへ出る背中にはルイージ氏を舞台へ喚び戻したいらしい拍手の音がつづいており、っじっさいソロ・カーテン・コールはあったようだが、っあれでかよ、、、っみなただ、巨人大鵬玉子焼き、っみたように、天下のN響なんだから、っという意識だけが先行していて、演奏なんか碌すっぽ聴いちゃいないんじゃないかなあ、

っや、レゴを重ねたみたようなかちっとした合奏はある面、耳に快いと聴けないことはないし、っあのほら、ポップスの歌のバックへオケを起用していて、音楽PCで整音しまくって、こんなにぴかぴかに綺麗なオーケストラの音ってものがあってたまるかいなっ、っというそういうオーケストラの音ってあるでしょう、っそんなような音なのさ、っでそれってもちろん、っくそつまらないでしょう、っぼくはそうおもうのだが、っそれがうれしい、それを実演でやってのけられちゃうN響ってやっぱスゴいっ、っみたようなそういうことなのかなあ、っちっともスゴかねえよそんなもん、っだってニュアンスがちっともありゃしないんだもの、っふるいつきたくなるような、抱き締めたくなるような音色の魅惑がしないんだもの、

っしかし、っこの器にしてN響であり、っさいしょっからそういう音っきり聴けないとわかっていて来たんだから、っべつにこれでいいの、っあとは、指揮者が途轍もない人のときは、造形からしてべらぼうなことを仕出かしてくるわけで、っそのときにはN響とてそれへ応接しなきゃならないから、っそうすると、っひびきはあいかわらず乾いたまんまかもしれないけれども、っそれなりにスゴい音は出るだろうさ、っそのまぐれ当たりを期待してときどきは来てもよいかもしらんが、定常的に通うべきような演奏会でも演奏会場でもないやね、っここのN響定期は、っこちとら音楽的の音楽を聴きたいんだからさ、



っいまは事後、例の喫煙可のカッフェでもう22時半前、

退店して、井の頭線へ乗るべくいま渋谷のスクランブル交叉点を歩ってきたが、っすごいねえ、外人ばっかりっ、外人のほうがおおいくらいだよ、っここニッポンでまちがいないよな、、、

っさてそれで、っあすは埼玉で坂入健司郎氏公演、ハイドンとブルックナーとだったかしら、ったしかそう、



みずの自作アルヒーフ

 

《襷  ータスキー》(全4回)

 

https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351779591.html(㐧1回配本)

 

《ぶきっちょ》(全4回)

 

https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351806009.html(㐧1回配本)