上野、 | ざっかん記

上野、




エリアフ・インバル氏の棒、都響公演2日目、済む、演目はラフマニノフ《死の島》、グリゴリー・シュカルパ氏のソロ、エストニア国立男声唱のコーラスを交えて、ショスタコーヴィチ《バビ・ヤール》である、

っきょうは2階右翼だったが、全楽を見渡すことができ、っよい眺望だった、

音響的にも、っここ上野大器はもとより音がよく融け合うアコースティックではないがそれでも、っおもったとおり、っきのうの至近距離からしてほどよくブレンドせられた耳当たりとなり、奏楽よりは曲の姿が先にみえてくる条件で、っやはりぼくはかように聴くオーケストラの音がこのみである、

ラフマニノフが取材しているベックリン《死の島》は、っぼくもすきな画題だ、複数あるうち、っはじめは、空が明るく、岩塊が細密に描かれている版を夢中で観たものだが、長じて、っさいしょの、画面全体が暗い、っあまり筆数のおおくない版のほうが、っより象徴性をつよく伝えるようにおもい、勝れた作品と観ずるようになった、

演奏は、幻想性というか、咽せ返るごと浪漫の気分ははなから求めておらず、開始から終止まで、冷厳に音々が捌かる、

っこれはショスタコーヴィチでも変わらないが、っきのうのいくつかの瑕疵も丁寧に摘まれ、っきょうは解像度、完成度ともにじつに鉄壁であった、

実演で字幕を視ながら聴いたり、日本語訳詞の音源を愛聴したりしたため、っもうだいたいどこでなにが唄われているのかが身体で識れており、っきょうは字幕をいちいち視ないで、っなるがたけ舞台を観ているようにした、っほんとうに、全体がよいティームで、劇性を強調する表情表現は声楽器楽とも誰によってもほとんど馳驅せられないが、音楽美もあれほどの高純度となれば、っこちとらとても息を呑みつ拝聴せずにいない、深刻な曲調だが、っきのうきょうとも、絶えず音楽を聴くたのしさが一貫していた、っその印象がふかい、



終演して退出すると、沼尻氏が来場されていた、っちょうど、今週末には彼氏のショスタコーヴィチを聴くこととなるが、っその前日には、初台にて、藤岡氏が伊福部昭《釋迦》をお振りになる、



みずの自作アルヒーフ

 

《襷  ータスキー》(全4回)

 

https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351779591.html(㐧1回配本)

 

《ぶきっちょ》(全4回)

 

https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351806009.html(㐧1回配本)