参宮橋、
小柳英之氏の棒、アーベント・フィル公演、済む、演目はシュトラウス《ティル、、、》、ブルックナー《7番》である、
絃の規模が小さいのにも拘わらず、っそれでもあいかわらず演者よりもお客の数のほうが少ないのではないかというようなささやかな会、
乗れる人間はみな乗せてしまわむということだろう、トロムペットなど6人もいて、っさすがにトュッティでは定まって他の全声部を塗り潰してしまうが、っしかし、指揮者が手で抑える仕種でバランスを取る場面もおおく、っそうした個所では気宇壮大なる音響がする、っあの委細に頓着せぬ懐の深さは小柳氏の最大の美質であり魅惑であり、現代のソフィスティケイトせられてしまった楽団と、っそれをどのように操作するかにばかり意を砕いている指揮者とではけっして発しえぬ覇気である、
っこんど黄金週の最終日に、彼等はマーラー《5番》を披瀝される、っそれなど、っぼくは坂入健司郎氏の同曲公演よりもたのしみにしているくらいだ、オケの実力差は歴然、小柳氏のほうは各細部の精度という点ではめっためたの奏楽になりそうだが、っそんなことはどうでもよいのだ、マーラーの《5番》というのは、っきょう日の細身のひびきのオーケストラで演奏するのに最も不適な楽曲のひとつではないかと、っぼくはかんがえているのだ、フォルムが水泳選手みたように上体逆三角形のカッコいい外観を獲得してしまい、っそのカッコよさが、っぼくにはカッコわるく聴こえるのである、カッコわるくというのか、っほんとうは複雑な内容を具えているはずの楽曲が、っそのスマートなひびきのせいで、つるん、っと素っ気なく耳を素通りしてしまい、聴いていてぜんぜんつまらないのである、っそこを小柳氏のあの野暮臭い、微量栄養素を多種多様に含有するひびきで、がつんっっっ、っと来てくれたら、他のおおくの失点をよろこんで看過しうる感銘を得られむと、
っきょうのシュトラウスもブルックナーも、っそうしただっさださのカッコよさに耀いていた、っあれほど洗練から遠い、っというよりも、洗練という語彙も概念もぜんぜん識りません、それ喰ったら旨いんですか、っとでもいうような恬淡たる存在感は、っほんとうに稀少であり貴重だ、っいつもすこしく気になるのだが、っあれで楽員各位は小柳氏に対してなにがしかの敬意を寄せていられるのだろうか、イヤなら辞めてしまわれるだろうところ、主要なメムバーはいつもだいたい同様の面子のようなので、この人と演奏をするかぎり、スマートな音楽は一生できやしない、っとわかっていて参加していられるものと信ずるが、っなかには、っぼくと同様に、っああした洗練をまったく目指さない奏楽をみずからたのしんでいられる方もいらっしゃるようにおもう、
、、、っきょうも全編を微苦笑とともにたのしむ会かとおもいつブルックナーの1楽章までを聴き了えたが、っそれはたいへんに無礼な侮りであった、2楽章のヴァグナー・テューバによる序部が済んで絃群へ主題が出ると、小賢しい作為の色に塗られないその祈りはまったくの無垢なるひびきでぼくの胸を鷲摑みに摑んでしまい、ったったいま初めて名曲に出逢ったという感激に襲われて、っかあっと目頭が熱くなり、っぼろぼろと泪が落ちた、
っこんなことがあるものである、っだから人を見た目で判断してはいけない、、、っそれでも小柳氏はどうしても昭和のだっさいおじさんだが、っだっさいおじさんでおおきにけっこうなのである、っあんなにも純粋透明な音楽ができてしまうのだから、
っさて、5日の日に新居への1便めをひとりして手ずから荷運びしたが、っそれであらかたは移せて、現宅もだいぶんすっきりとした、っあといくらかをあすの旗日に運び、残るは冷蔵庫、洗濯機やベッドっきりという状態にせむかとおもうが、っしかし午日中にあそこへ一寸した時間、路駐しているというのはやはり気が差すので、っきょうこれから夜中に運ばむかとおもう、っそのほうが邪魔が入る心配がなくて安気だ、、、夜逃げするみたようだが、
3時までには了わってウチで睡たいな、現宅のほうでね、っそんなには掛からんとおもうが、
みずの自作アルヒーフ
《襷 ータスキー》(全4回)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351779591.html(㐧1回配本)
《ぶきっちょ》(全4回)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351806009.html(㐧1回配本)