桜木町、
ゲルハルト・オピッツ/カーチュン・ウォン/日本フィル公演2日目、済む、演目はブラームス《2番》コンチェルトとチャイコフスキー《4番》と、
午前のみ仕事をし、っようやっと世田谷の中学校校庭調査の概報下見せを世田谷区お役人へ送附す、試掘調査と云う条、何十mというトレンチを10本掘ったため、図面を作るのでも一苦労、貼附する写真を撰ぶのも手間で、結果的に32頁、32頁の冊子ってけっこうだよ、っそりゃ半月の余も掛かるわな、現地調査中に考古志望の高校生が見学に来られて、夏休み明け、っそのことのレポートを提出せねばならぬので調査写真を何枚か送ってくれろと頼まれ、電話で話すと高校生にして受け応えのしっかりとした女の子だったが、写真だけではわかりわるかろうと説明の文書を打っていたらそれもWord.で3枚くらいになっちゃうわで、っいろいろと手間取った、っこれで三鷹の試掘の報告も宿題だわ、来週末と再来週頭には狛江の試掘へ行ってくれろと云わるわ、っなにかと立て込んできた、
っしかし、っやはりこのくらいのほうが仕事仕事している、三鷹の試掘は病院の構内で本体工事の業者と相伴、、、読みはショウバンだが、っご承知のとおり現場界隈では定まってアイバンと読まる、作業ということもあり、社長が事前に下見へ行こうというのでその車へ乗った際、っどうしても永遠に了わらないかにおもえる中央区仕事の話になり、っぼくが、いま世田谷の報告書作っていて、なんというか、健康だなとおもいますよ、っと云うと、そうだよねえ、了わりがあるからねえ、そこに向けてやろうかってなるよねえ、それが仕事ってもんだよ、っと云わる、っほんとうにそのとおりだが、っまあ云っても詮ない、っさりげなく、いまの中央区の仕事は水野くんなに、遺構の事実記載かなにかやっているんでしょ、それはあとどのくらいで了わるの、っと探りを入れられたので、年内には目処を附ける心算です、っと応えてしまった、言質を取られた、水野くんあんとき年内って云ったよな、っという話だ、っまあ社長とて、間へ試掘やらなんやらほかの仕事が挿まらなければという前提くらい共有してくだすっているとはおもうが、っでも、っじっさいそのくらいでいったんは目処が立つ、っあまりに作業量がおおいので、っそのあとまだ残務整理がだいぶんありそうだが、っそれもしかし、っこちとらの一稿ができるというにすぎず、先方が赤を入れてこられて直してまた赤が入って、、、っそれ以前に、っぼくの担当分っきりでおそらく300頁超の原稿、っまず先方が目を通されるだけでも一寸したお時間が要ろう、っとうぜんながら本体工事は疾くのむかしに済んで現地にはすでにマンションが建ち、人が棲んでいる、っそんな巨大な建造物がものの数年で建つというのに、ったった1冊の報告書がいまだに出来ないとは、っさて刊行は何年先のことやら、、、
駄弁というか愚痴だったが、半どんで帰宅してシャワーを浴び、池袋で井上キーミツの写真展を観てから横浜行とおもうも、仕事が午休憩へ入ってその間つい喫煙仲間とだべっていて退勤が遅くなってしまい、池袋へ小1時間っきりいられなさそうなタイミングとなったので、っあすまた横浜行のその前に寄らむとおもう、っおまえはどうせあさって池袋行なんだろうがという話だが、当のキーミツの公演当日のため、っついでに写真展も見物せむかというお客でごった返すのを惧れているのである、
っさて、っきょうだが、っやはりきのうとおなじような位置、っきのうよりもなおオルガンへ寄り、楽員のほぼ全員のお背中を見る格好、っその位置は3段の階段状の座席となっており、っその3段目、っが、入場するや見る目に窮窟で、オケが鳴ったら直接音直接音してしまいそうな初台とちがい、場内でも視界が展けている感触がし、お、これならこんな舞台へ近くてもひびいたあとの音の成分も感得せらるかもしれない、っと期待を有つと、っじつにそのとおりであった、
っそして1日熟して日フィルもついに本領発揮っっっ、っきのうが不良コンディションであったわけではけっしてなかろうが、っすくなくも器との共振は、っほぼ同様の位置で聴いたぼくとして、断然きょうのほうが快適であった、っいつものあの絶好調の日フィルの音がするのである、
ブラームスは、っあのような曲調において滋味がしんしんと胸裡へ迫るためには、っむしろ楽音がいつもフレッシュで、音彩が鮮明に活きてこそとおもう、っきょう日フィルは、ったとえば2楽章のトリオ、っそして再現あたり、閃めくようなその鳴り方はいつもながら驚異的で、っこの曲では滅多に吹くことがないトロムペットを交えて最強音を鳴らしていてさえ、和音が透明度を逸することなく、音場の空間全体が水彩画具で爽快に染め抜かるようなあの感触は、在京のほかの楽団ではついぞ味わわない、ったとえば古部氏はトラとしてきのうきょうと乗られて、うわっ、これ俺たちもうかうかしていられないわっ、っと内心穏やかではいられなんだのではないかと拝察す、彼氏にかぎらず、近来のカーチュン氏公演では、N響勇退組、クラリネット横川氏、Va小野氏が乗られたことがあったが、っいずれも、え、N響ってぜんぜん頭ひとつ抜けていないんじゃない、むしろ頭ひとつ抜かれちゃっているんじゃない、っと冷汗を掻かれたのではないかとさえおもえる、っぼくの画学生時分、20年ほど以前には、日フィルがN響を脅やかす存在へ伸し上がるなぞ、誰ひとりとしておよそ想像だにできなんだことだろう、
っそういえば、っそのむかしの日フィルは、傍鳴り放題、絃はf字孔がこちらへ向いていない位置へ坐すと、ああ、音があっちへ行っちゃっているなあ、、、っというもろにそういう楽団だったものだ、っそれがきょうは、背中側から聴くVaもVcも、っまったく姿形も見えない絃バスも、っちゃんと全方位へひびいて、っこんなにも偏った位置で聴いているのに、全楽としてアンバランスのアの字もおもわせない、っごく近年に演奏会通いを始められた若い人のうちには、それしきのこと、っとおもわれる向きもあるいはあらむこととおもうが、在京の大半の楽団が、っごく近年までそれしきのことさえ満足にできなんだのが、東京の音楽事情というものなのである、っそのなかでもまさかの日フィルが最近になって一頭地を抜いてこられたというのが、っぼくなどにはまことにうれしい、ざまみろN響っ、っとは云わないことにするにしても、っほんとうにいま、日フィルは及び難い天下の名楽団である、っしかも、若手の有望株を誰も彼もN響ほかの楽団へ引き抜かれてしまってなお、彼等の移籍先のどの楽団よりも柔軟な響を発するのだから、っやっぱりぼくは、ざまみろっっっ、っと声を大にして叫びたい、
っそしてきょうはまた、オピッツ氏のピアノの聴こえ方もきのうに倍する感動であった、ブラームスのあの高絃同士のなお高音の和音は、っよほどの演奏で聴くのでなければぎらぎらと耳に痛いっきりで、っぜんぜん共感もなにもできるものではない、っおそらくは現代よりももっと狭い音場で、っわんわんとひびきまくることを念頭におもっての筆なのかとおもうが、っきょうはその高音の軋りがまるできんきんすることなく、っむしろ、ブラームスのよさ、っという云い種をしては不遜かもしらんが、っそれをありったけ発散し、1楽章の道中から、っそのバックに抱擁せられたソロは、っほんとうにドイッチュ後期保守浪漫の眞髓をこの現代の遠く異国へまざまざと伝道す、若くときのぼくはといえば、ブラームスを愛す、っという科白を聞いては、あんな不健康な和声とリズムとオーケストレイションとを愛しうるなぞ、気が触れてでもいるにちがいない、っと唾棄したものだが、っきょうのピアノとオケとの交響を聴いていると、っその心境も理解できる気がしてくるものだ、っそしていま、嘘佯りなく、っばかりか敬意を有ってかくおもうには、ブラームス党は、っちゃんとよい演奏をよい環境で聴かれる経験を得て、っさようの愛着を涵養してこられたにちがいないということである、っきんきんきゃんきゃんする刺戟的の音響では、っけっしてこの作曲家の醍醐味へ触れるには及ばないであろう、
っきのうは、っこんにちの日フィルの最大の武器のひとつ、ホルンが隙あらばごつごつぼこぼことしたワイルドな質感で、音量を出さないよりは出さむとする果敢さが、器との相性がわるくやや空回りする憾で、なにもそんなに吹かなくとも、っとときおりおもわせたところ、っきょうはどんなに吹いてもがっしりと音場が受け止めてくれ、っそうするともう痛快も痛快である、チャイコフスキーはさように始まって、っきのうよりも音響に勝れるため、っきょうはちゃんとカーチュン氏の造形をわかりながら聴いていられる、1楽章のコーダなどはたいへんに凝った造りで、全員での㐧1テーマ絶叫の直前にはルフト・パウゼ挿入、っその絶叫において金管、ティムパニを弱音で始めて襲い掛かるように漸強せしめるのは朝比奈さんとおなじやり口、最後の疾走へ至る直前には絃の偶数拍強調と、一歩間違えば足並みの乱れを生じ兼ねない語法の乱打で、聴いているこちとらのほうがひやひやしてしまう、心臓にわるい、
2楽章は稠密な漸強弱の操作による情緒の訴えがことのほか印象的で、っきのうとおなじく木管の1ピース1ピースが潤いを帯びて煌めくのがかえって胸苦しい、
3楽章主部は、っきのうよりもさいしょの主題の2nd、っとちゅうからのVaの動きの強調、っそして1stの高く上がる1音にギタールな倍音を発せしめる意匠が意慾的に為され、ったのしさ全開、全曲に亙って単純なエラーの有無という点でもきょうはすばらしい仕上がりだったが、トリオではクラリネット1番が1度っきり、きゃんっ、っとやってしまわれる、っご当人さぞかし口惜しかったことであろう、
フィナーレでは、演奏に直接関係のないことだが、2度目の祭典的の部分のあと、中速で絃合奏へ㐧1テーマが出て、中途から横笛が16分音符の合いの手を入れ始める、っその運指が難儀であるのか、っきのうもきょうも、っそこを1番氏が無事に、っというか美事に吹き了えられると、ピキェロの女性が左手で膝を叩かれ、密かに彼氏へ讚辞を送っていられるのが微笑ましかった、立ち開かる運命動機におくシムバル、グラン・カッサは、グィロティンでも降るかの無慚、残響を遠く遠く見送る間合いのふかさはカーチュン氏の眞剣の證し、っまんなかの静かなところからティムパニが再起すると、彼氏はクレッシェンドの間ずっと絃バスの方を向かれて彼等へ地鳴りのごと轟音を要請、日フィルは懸命にそれへ応じ、頭上で聴いているぼくのもとへもその唸りはずずいとひびいてきた、コーダのアッチェレランドも手に汗握るスリルだが、っそれでいて最終音はべったりと地を這う粘着力で、っしかも団子にならずにホルン、トロムペット、ロウ・ブラスそれぞれの最も快い質感がおなじ時間に並び立って鳴っているという、日フィルの日フィルたるの所以を象徴する完璧の幕切れであったことだ、
っきょうのプログラムへカーチュン氏の寄せられた挨拶文によると、彼氏は目下、っご家族と神奈川へお棲まいとのことで、ってっきり公演の前後のみ来日されるのかとおもっていたぼくには、っなにかうれしい、ハレ管のシェフへも就かれたことであり、っあれほどはっきりとご自身の音楽を有っていられ、っあの若さにしてそれを十全に叶えられるだけの手腕も具えていられるとなると、日フィルを退かれたあとはぜひにうちへ、っという声は、現時点でもかなりの名門からさえいくつも掛かっていると想像される、っよくかようの人を捕まえられたものだと、日フィル事務方へは衷心からなる感謝を述べたい、
っさて、っあすはまたここ、っなんだかアマチュアの演奏会、
みずの自作アルヒーフ
《襷 ータスキー》(全4回)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351779591.html(㐧1回配本)
《ぶきっちょ》(全4回)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351806009.html(㐧1回配本)