高槻、
森口真司氏の棒、紫苑響なる団体の公演、済む、っいま、事後、器直近の王将で食事をし、在来線で京都へ移動中、京都からは新幹線だ、
演目はボロディン《プリンス・イゴール》序曲、シベリウス《7番》、ドヴォルザーク《新世界》、
器は去年、っいつかの大阪滞在時に足を伸ばし、大阪フィルを退かれた方が指導なすっている絃の小規模アンサムブルを聴きに来たそこであり、高槻城址の濠内に大中小器を一括したごく近年落成とみられる複合施設、っそのときは小器か中器かだったが、っきょうは大器、1,500席前後ではないかとおもわれるほどよい容積で、1、2階席ともに1席置きくらいの密度でほぼ客席全体が埋まる集客力、自由席で、着いたときにはもう長蛇の列だったが、っよろしく2階最前列右寄りの通路脇というぼくにとっての最良の位置を確保し、開演まで外出して喫煙するも、暑くてかなわず、汗だくになる、前半は絃9型くらい、後半は12型くらいで無理にがなくらなくとも優に飽和し、絃に対して木管などもつよめのバランスで聴こえる快いアコースティックである、
森口氏は先週、錦糸町でFAF管をお振りになり、マーラー《5番》ほかを披瀝なすったが、っそれは、棒自身は恆のとおり淡麗端然としてすばらしかったが、っざんねんながらオケの実力に不足し、っにも拘わらず後刻ほど力奏するのでようよう音色が汚れ、フィナーレの最後の最後にタテが乱れるという、っやや後味のわるい結果を遺した、
っきょうの紫苑響については練度が未知数で、東京くんだりから聴きに来てあまり巧くなかったらどうしてくれようとおもうが、開演前には舞台上へクヮルテットがお出になってドヴォルザークのなにかを演られており、っそのVaはすこしく音程が甘かったがみなまずまず弾ける人たちで、他の奏者もこれに準ずるテクニークであれば合奏全体として一廉ではないかと期待を有つと、っじつにほぼその通りのアンサムブルを望みえ、3曲2時間の公演全体を等分の解像度で聴かさる、っもちろんドヴォルザークも終局が近附くと相応の発奮がみられたが、っそれさえ美観を破ることなく、自然な昂りとして発露した、森口氏としてもこれでとんとんのレコンクィスタであろう、
っきょうぼくがうれしいのは、っこれまで音盤、実演を含めて何度も聴いて来ながらもうひとつなんのこっちゃよくわからなんだシベリウス《7番》が、初めてどういう曲だかわかり、ああ、いい曲だわこれ、聴いていてたのしいわ、っという実感を得られたことである、プログラムへ時系列順に展開を追った丁寧な解説を載せてくれていたのもおおきに鑑賞の助けとなった、っどうも、っあのトロムボーンによるコラールみたような主題が、重要動機であるにも拘わらず、っこの楽器の音色音勢として、巧く吹かせ、っまた他声部とのバランスを取らないと音型がよく伝わらず、っそれが伝わらないと全体の構成も見通せなくなってしまうのかとおもわれた、っそれがわかれば、っあとスケルツォ様のところは放っておいても音のほうで動いてくれるから退窟する心配はないし、っこの作曲家特有の和声や旋法も隨所に聴かれるし、っもう道へ迷うことはない、
っことしの暮れ、井上キーミツが彼氏の生涯最終公演で同曲をお振りになるが、せっかくの機会だのにこちとらよく馴染めない楽曲が含まれているのが難だなあ、いまからでも遅くないから当初のご計画通りマーラー《夜歌》に再変更、、、っちがうマーラーのお心算のところから楽聖になり、っでシベリウスを加えて、っそれをそっくりマーラーへ戻してしまえと云っているのだから、変更再変更の、再々変更か、っともかくそうしてくれたいとおもっていたくらいだが、っきょうでよい予習になった、っまだぜんぜん接触量が足りていないが、当日ある程度は、キーミツの演奏が好い演奏なのかどうかを判断しながら聴いていらりょう、っやはり演奏会というものは、曲がわかるかどうかなどという不案内な状態で客席へいても、っぜんぜんたのしくないものである、この曲であればあそこの表現をどうしてくるだろう、お、そう来たか、っというように、っつまり当の演奏がその曲にとって勝れているのかを曲がりなりにも裁定しうる状態で聴いているのが仕合わせなので、っそのきっかけがほんのいくらかでもないと、意慾を有って鳴っている音へ喰らい附いてゆけないのだ、
っその点《新世界》は、森口氏の棒とあらばもう大船へ乗った気でいられる、局所的に少々意外なテムポ設定、フレイズ感覚が聴かれたが、全体としてはもちろん硬派、辛口である、管楽器全般において、どこまで音を伸ばす、どこではっきりと切る、っということが意識的に為されていたが、っそのすべてを指揮者が註文を附けて励行せしめているとはおもわれないから、っやはりもとよりかなりのオートノミーを有つ楽団なのである、っこちとらでもとちゅうからそのことに気が附くと、聴き古したはずの《新世界》も途端にどこもかしこも新鮮に映じて、っまことにこころうれしい、
っとはいえ、っよほどの演奏能力を有つアマチュアであっても、っこの曲のフィナーレあたりは、《新世界》フィナーレのレプリカ、っというか、垂涎してしまうばかりほんとうの旨い食事でなく樹脂で拵えたその食品サムプルを見せられている、っみたような印象へ落着してしまい勝ちであるものだ、まずまず音が落ちないくらいには弾けます、程度では、本格の聴き応えからは遙けく遠いのである、っそれがきょうは、っあれでなかなかのアッピールであった、勝因は迫力更新が絃主体に成されたことで、バスもしばしばごりごりとワイルドな風圧を発すれば、Vnも熾烈に迸り、っそれが力自慢と堕さずに曲の発展にとって必然の昂奮として鳴っていた、
っさて、新幹線内はほぼ熟睡で新横まで戻ったので、っいままだこれを書き切れずに南大沢の喫煙所、っあすの旗日も演奏会で、サントリーで角田鋼亮氏がマーラー《復活》をお振りになる、
新幹線といえば、来月に2度、森口氏を聴きに大分までの日帰り旅程を強行するが、っその乗車日の1月前に売り出す割引切符の売れ行きを侮っており、っまず1公演目のほうの往路はよろしく購えたが、復路はゆうべ夜間で購入不能だったのでけさ再検索するに、っぜんぜん購えない、敢えなく次に安いグリーン券を購うが、最安の席よりも¥4,000ほども高い、抜かった、2公演目のほうはちゃんと往復とも最安のものを購えるように努めむ、
みずの自作アルヒーフ
《襷 ータスキー》(全4回)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351779591.html(㐧1回配本)
《ぶきっちょ》(全4回)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351806009.html(㐧1回配本)