参宮橋、
小柳英之氏の棒、アーベント・フィル公演、済む、予報が予報の態を成していない、っよるは降らないはずだったので安心していたところ、っひどい土砂降りで、駅まで歩くっきりでもずぶ濡れになる、癪だ、
っとまれ、チャイコフスキー《3・6番》、先回とおなじ器で、二重扉の外側がまだ故障中だったので、っまたひゅーひゅーいう演奏中のノイズを耐えねばならないのかとおもうが、っどういうわけかきょうはそのノイズは皆無であった、っところが、っこんどは冷房が効きすぎで、数えるほどっきりいないお客の幾人かも寒い寒い文句を云っている、っともかく万事が無粋な彼等の公演で、っとうぜんぼくはすべて微苦笑とともに甘受している、っあってあたりまえとおもうなホスピタリティ、望む所だ、多少の不自由は耐えてみせる、っそういう気概を理解しない人を、っぼくは軽蔑する、
登壇される小柳氏はあいかわらずのたどたどしさ、不細工放題の振り姿、っしかし、っきょうはいつもみたような出処の誤りはほぼ起こらない、っもちろんどたばたした奏楽にはちがいないが、っぼくはオーケストラのアンサムブルというものは、っある種あれでじゅうぶんではないかとおもう、っまずまず弾けていさえすれば、っそこから先に慾しいのはさらなる洗練よりは音楽を訴えるこころである、
《ポーランド》は、緩徐章あたり、っあるいはぼくは《5番》のそれを凌いでいるのじゃないかとおもうほどで、劈頭のファゴットと横笛との音色から不思議だし、ファゴットとホルンととの呟き、絃の静かなピッツィの緊張感、っそして絃合奏の歌謡主題はいかにも切ない、っきょうそこが始まると、っぼくは泣かされてしまう、スマートな作為というものからあまりにもあまりにも遠いので、スマートじゃない、っとクリティカルに云いたい気がこちとらほんとうに完封せられてしまう、スマートさを志向していない人を相手に、あなたはスマートじゃない、っと云ってもそれは批判として成立していない、ええ、わかっていますよ、目指していませんからスマートを、っという話だ、っそしてくりかえすが、っかかる不細工な奏楽を、っぼくはぜんぜん演奏藝術のうちに数えてよいとおもう、っや、ぜったいに数えなければならない、っという当為をつよくおぼえる、
っそれまでの経緯に対してフィナーレの曲想が唐突かつ軽薄だと云われ勝ちの同曲だが、っきょうのそこはどっしりと野太く、フーガも野暮臭く、初めてこの曲の終曲たるの面目を示した格好だ、右へ固めた金管は荒ぶる咆哮を上げるが、渋く快い音色で、少数の絃はしかしこの野獣の群れみたような連中と懸命に渡り合う、
っそれでも《悲愴》では、1楽章の㐧2テーマあたり、っせめてもう一回りおおきな編成が慾しかったが、全体のぎしぎしいう合奏はここでも魅惑満載、ダサい小柳氏もしかし、1楽章の展開の中途でテーマを全員で絶叫する際にがくんとブレイキを踏んだり、2楽章のトリオ、3楽章の頂点もそう、っひびきを全開にしてゆっくりと全楽を見渡している姿は、裸の王様もここまで突き抜けるともはやカッコいい、どうぞそのまま素っ裸でいてください、っというところだ、
っところで、絃バスには佐藤雄一氏の関係団体のいくつかでも乗られている男性と女性とがいられた、っあんなにも性格性格の異なる怪人怪人と共同作業ができて、っさぞかし演奏家冥利に盡きることだろう、
っさて、っお次は金曜、カーチュン・ウォン氏と日本フィルとのブルックナー《9番》、翌土曜は森口真司氏のマーラー《5番》である、
みずの自作アルヒーフ
《襷 ータスキー》(全4回)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351779591.html(㐧1回配本)
《ぶきっちょ》(全4回)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351806009.html(㐧1回配本)