錦糸町、 | ざっかん記

錦糸町、




森口真司氏の棒、東京楽友協会響なる60と余年の来歴を有つという楽団の公演、済む、

演目は、バッハのオルガン曲《幻想曲とフーガと》をエルガーがオーケストレイションしたものと、マーラー《トラギッシェ》ととである、森口氏は昨年フライハイト響でマーラー《9番》をお振りになったが、っそのときも前プロへシェーンベルクが編んだバッハが置かれていた、バッハ/エルガーは10分に満たない小品だが、事後は20分休憩、っが、開演直前に降りはじめた雨は同曲後もまだ降りつづいており、喫煙へ出られないで、っゆうべも帰宅が遅かったこともあり、自席へ戻って瞑目している、

オケはアマチュアとして老舗の閾へ存るだけのことはあり、バッハの時点ではほとんどプロフェッショナルと遜色がないとしうるほど、全パートに等分の実力があり、綜奏は抜群に安定している、低絃を背景にオーボー、クラリネットがまず幻想曲の主題をリレーし、中絃、高絃を加えると、っその雰囲気はまさしくファンタスティック、ハープもよく活き、絃バスはアルコのときとピッツィのときとの質感の差が効果的である、っいちど打楽器を交えておおきく漸増するが、っその際の荘厳なひびき、管に吼えられても譲らないどっしりとした絃、っまったくすばらしい、一旦、終止し、っつづくフーガの主題は俄然、精彩を得て、オケはますます自在に羽搏く、

っこれは相当な団体だとおもい、マーラーへの期待も高まるが、っぼくのおもっていた最上の成果を達するためのオートノミーが示されたとはいえず、っややざんねん、っもっとも、冒頭から森口氏のテムポ、音の重さは、重すぎず軽すぎず、っまことにツボを当てて妙であり、っすくなくも絃、っそしてスネアあたりはその棒へ万全に応えるだけの用意がある、っが、トロムボーンはいきなり音を外し、トロムペットの1番もよく吹けずにしまう、前者は提示のリピートでは挽回したが、後者はその際もダメであり、萎縮して音量も出せずにいる、っあのハイ・トーンが吹けないのではなく、っその前の附点リズムが2度ともちゃんと処理できていなんだ、

っもちろん、っそれはごく個別のことであり、全体としては覇気漲るみごとな合奏で、著しく複雑な展開も敢然奮然とくぐり抜けてゆく、アルマを恋う㐧2テーマへ遷移する際に勿体ぶってテムポを撓めないのは森口氏の最大の美質で、っかつ、コーダでは最後の疾走へ入る手前のアラルガンドをぞんぶんに減速、っさようの定め所をちゃんと強調してくれるのもじつに親切設計だが、疾走句へ遷る途端のアクセル全開も諾なる哉、直前とおなじテムポのまま始め、っようようアクセルを踏んでゆく軟派な手口ではない、

2・3楽章はアンダンテ、スケルツォの演奏順、前者は、コール・アングレのテーマが出る際の横笛の音彩が、冴え冴えとしていてこそ胸苦しく、ハープの強奏はこころへガラスの破片が突き刺さるよう、ホルンがバトンを受け取ると、最も窮窟な精神の秘所へ連れ込まれる気がし、聴いていて辛いくらいだ、

スケルツォは煩瑣な変拍子へ丁寧に応接、森口氏の譜読みの穿ちもなかなかのもので、っとちゅう、ファゴットが敢えて優雅なワルツのようにたっぷりと唄ったりする、

フィナーレは、事前の予想ではもっと全員が全曲の終止まで冷静なままでいられる奏楽を描いていたが、っどっこい死力を盡した闘いであり、相応にどたばたもする、ハムマーは2度であったが、っその打撃を喰うたびに楽員は奮い立ち、シュトラウスをして過剰濃密と云わしめた楽想の欝積をこのいまにつよく実感せしめる、っついに斃れ、トロムボーン、テューバ、ホルンが弔いを見舞い、凄惨な破滅へ了わる、



っさて、渋谷へ移動中、小柳英之氏のチャイコフスキー《3・6番》だ、



みずの自作アルヒーフ

 

《襷  ータスキー》(全4回)

 

https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351779591.html(㐧1回配本)

 

《ぶきっちょ》(全4回)

 

https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351806009.html(㐧1回配本)