川越、
森口真司氏の棒、オーケストラ・ダヴァーイ公演、済む、ロシアの珍曲ばかり演っている同団で、っしたがってさほど数多の来場者が見込めるとはいえず、っそれで自由席だとまた例によって1階席のみ開放かと危ぶむが、っちゃんと全席開放で、っよろしく、っあれは2階なのか3階なのか、右側のバルコニーへ良席を得る、
っきょうも、っきょうは川越へかなり早く着いて、焼き鳥屋で呑みながら食事をしてしまったこともあり、っまたときおり睡くてしまった、っおっと、演目は、ムソルグスキー《禿山の一夜》、グラズノフ《ステンカ・ラージン》、、、ステンカ、っはたしか蔑称であったかとおもい、スチェパン、っへ更新するほうがよいのかもしらんが、、、っちがうか、逆か、合っているのか、スチェパンとかというへんてこな発音のほうが正称なのかよとおもった記憶が遺っているから、ったぶん合っている、っそして彼の地の英雄譚〈イリヤ・ムーロメツ〉の副題を有つグリエール《3番》である、
ムソルグスキーは彼等からしたらぜんぜん有名曲の部類であり、っもちろんぼくもよく識っているが、森口氏の振り姿はあいかわらずカッコいい、っとくに烈しいアタックを定める際の、アウフタクトで掲げておいた腕を振ってすぐさま元の位置へ戻すアクションこそは客席から観ていても痛快で、楽員諸氏もああした振り方をされるとおおきに気概を刺戟せらることだろう、っその端然たる名指揮に違わず、オケは開幕から清冽に鳴り渡る、
グラズノフからもうぼくはちゃんと聴いたことがないのであるが、オケはひじょうに巧く、近年落成の器はさっぱりと抜けのよいトーンで快い、
開演は13:15とずいぶん早かったが、っなぜだろうとおもうと、4楽章制のグリエールはじつに全奏80分余の超大曲であった、っぜんぜん識らない曲であり、冒頭から努めて楽想を憶えておかむとするも、っその1楽章はプロローグのような部分がずっと長くてなかなか音楽が動勢を得て来ず、お、やっとクレッシェンドしたかな、やっと細かい音符も出てきたかな、っとおもってもすぐに波が引いてつぎの断章へ遷るようで、っおそらく、シムフォニーと云う条、っある程度は物語の筋を追っているものとみられ、音楽的にはかえって索莫としてしまうのかとおもう、
2楽章は緩徐章であったようで、っついに睡魔へ勝てず、中途からまるで記憶がない、
対してスケルツォ的の3楽章は冒頭から音彩が眩しく、っまずまず目覚める、
フィナーレは流石に動的であり、ロシア人の筆でもあり、山場ではこれでもかとばかり金管が吼えつづける、っついに胸突き八丁はタムタムの痛打等を伴なう破滅的の大音響で、英雄譚の通り相場として〈イリヤ・ムーロメツ〉も悲壮な最期を迎えるらしいが、っこのけたたましいトュッティのあと、低音から順に金管がコラール風の動機を重ねてゆくのは、弔いの楽であったのかとおもう、最後はシュトラウス《ドン・ファン》などに肖て、絃がピッツィカートを何度か弾いて事切れる、全編をしっかり目覚めて聴いていられなんだのが悔やまる、
森口氏の公演はこのあと、都近郊開催のもの以外へもいくつか出向いてみる予定である、高槻でひとつ、っまた、彼氏がプロフェッサーをなすっているいわば本拠、大分でふたつ、大分はともに日曜の14時開演の公演だが、っまるまる1日掛けてどうとか新幹線で日帰りが可能と踏んだ、っそして東京では2楽団でマーラー《5・6番》という重要公演の開催が迫っている、っうち《トラギッシェ》が来週のきょう午であり、同日よるには渋谷で小柳英之氏のチャイコフスキー《3・6番》と、っなんともヘヴィな休日だが、っこんどこそ、っちゃんと目覚めていられるよう体調を整えて臨まねば、
っところで、っかかるばあい、森口氏はあす以降来週までを都内でホテル暮らしなどされるのだろうか、っそれともいちいち大分へお帰りになり、っまたわざわざ上京されるのだろうか、っその翌週にはすぐ同《5番》が控えていられるところをみると、っあるいはずっと東京へいらっしゃるのかもしれない、っそして大学の夏季休暇明けへ合わせて大分へお戻りになるのかと拝察せらる、
っともかく、
みずの自作アルヒーフ
《襷 ータスキー》(全4回)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351779591.html(㐧1回配本)
《ぶきっちょ》(全4回)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351806009.html(㐧1回配本)