京都、北山、 | ざっかん記

京都、北山、




井上キーミツ、京響公演2日目、済む、演目は、っゆうべの初日は1曲すくなく、っすなわちアレクサンドル・クニャーゼフ氏を迎えてのショスタコーヴィチのセロ・コンチェルト《1番》、っそして京響コーラスを交えて同シムフォニー《2番》、っきょうのフル演目はそこへさらに同《2番》コンチェルトまで加わるというヘヴィな午后で、14:30開演だが、ったっぷり17時まで掛かる、、、って、2時間の公演の心算であす福山からの帰りの新幹線を予約したが、っとても発車時刻に駅へはいられないじゃないか、っいま1時間ほど遅い便に予約変更す、っせっかくに1月前に売り出す安い切符を購っておいたのに、¥3,500ほど余分に取らる、っこれは抜かった、、、

恐るべし、コンチェルト2本立て、キーミツは来週も東京、大阪で服部百音女史とのやはりショスタコーヴィチのコンチェルト《1・2番》だが、っそれもおんなじようなことにならないだろうな、っま、っそちらは流石にシムフォニーはなく、ったしかつい一寸、、、っなどと云ったらキーミツに怒らりょうが、ロッシーニのオーヴァーチュアかなにかだから、2時間半ということはなかろう、っよしんばそれだけ掛かっても、新幹線乗車前に食事をする心算のスケデューリングで、っまあ大丈夫だ、っこれから遠出の際は、演目の所要時間をもっとよくよく検めておくとせむ、



っさて、っここ北山だが、前回の来訪時には、1階の上がもう3階になるその正面席にしたが、音が遠く、完全に鳴り切ったあとの残響というか残滓を聞かされるようなざんねんを嘗めた、っそれできょうは、っあれが2階なのだろう右翼バルコニーの中程にしてみたところ、位置取りとしては前回よりも断然よかった、音響はちゃんと鮮烈になり、っしかしそのぶん初台や桜木町のように視界がだいぶん犠牲となることを覚悟していたところ、京響は雛壇を高く摺鉢状に組んで、っしたがって絃バスは舞台右袖ぎりぎりまで寄っているというふうでないため、っその位置でもほぼ全楽を見渡しながら聴くことができた、っそうした制約のおおきくない視界のためだろう、バルコニーへ坐したお客たちも背凭れから身を離して乗り出すような姿勢を取る人はおらず、周囲のお客に苛まれる心配もなかった、っあれで初台などはバルコニーへ坐すと舞台のかなりの範囲が死角となるため、っいきおい誰も前傾姿勢を取ってしまい勝ちとなるのだろう、っぼくも鈴木雅明氏の《マテウス・パッション》の際に隣の人のそれにかなりの被害を受けたし、他の公演中に正面席からそのほうを見るともなく見ていると、隣の人の前傾姿勢に堪り兼ねて手で制するような小トラブルはしばしば起きている、っあれを制するにはすこしく勇気が要ろう、っなんとならば、鑑賞への熱意が高ずるあまりの前傾姿勢だからだ、音楽にまるで関係のないあほばかノイズを発している輩にならば、てめえそれをやめろ、っと苦もなく云えるが、熱くなっている人を相手に熱くなるなと諭さねばならないわけだから、

っところで、っきょうは10時から、っここ北山におくおそらくキーミツと京響との最後の共演なのだとみられるブルックナー《8番》の切符の一般販売開始であったが、っきょうとおなじ2階右翼バルコニー前列の、っきょうよりも5席ほど舞台へ寄った位置を取った、良席であろう、

っまた、同時刻には錦糸町におく森口真司氏のマーラー《トラギッシェ》公演の切符も売り出したが、先に購ったのはこちらであり、っやはり2階右翼バルコニーに良席を得た、キーミツのほうは優先販売があってすでにして最良の席は売れてしまっていたろうし、っこちら錦糸町の同個所はなにしろあのとおりほんの1列縦隊であるため、瞬く間に売り切れてしまうことを惧れたのであった、



っそれで演奏、ショスタコーヴィチ《セロ・コンチェルト1番》は、っなんといっても上野/デュトワによる新日本フィル、大阪フィルとの2度に亙る共演であるが、っそれはすばしこいシャープな描線のソロと、巨匠によって冷厳に捌かれてゆくさっぱりとしたオケとにより、異界の未確認生命体が蠢めくごと未知の感触のひたすらの連続であった、っそれからするとクニャーゼフ氏とキーミツとのタッグはもっと野太く、っもっと馬鈴薯の素朴な味がし、奇っ怪な曲趣をしかし無限の愛惜を籠めて謳歌する、



っここで休憩、喫煙所は、前回は器をぐるっと裏っ手へ回って楽屋口の脇のものを利用したが、っそんなところまで行かなくとも、入口を出てすぐ左手にお客用のものがあるのだときょう知る、楽屋口のものは、開演前、休憩中を問わず楽員の方も利用されるが、前回は休憩中にそこでシガレットを服んでいると、前半の演目で誰かがエラーをやったのか、楽員諸氏がそのことを話題にされるようで、っそのときにちょうどどこかから緊急車輛のサイレンが聞こえ、っすると誰かが、え、事故かな、っと云われ、楽員同士で爆ぜるように冷笑を共有されているのである、っつまり、あの緊急車輛はいま前半の演奏中に起きた事故へ駈け附けてきたのかな、っというイロニーをである、っぼくはそれを小耳に聞きつ、よくない雰囲気だなあ、このオーケストラ、ほんとうに大丈夫かいな、っと不愉快だった、格好、服装からしてぼくが演奏会を聴きに来ている客の一個だということはじゅうぶんに推知できたはずとおもう、っその客の聞いている前で同僚の蔭口を叩いて下賤な笑いに興ずる姿を晒すとは、っまことにいただけない、、、っや、っなに、オーケストラとて人間の集団である、80人からのメムバーが残らず聖人君子だなどとはこちとらとておもってはいない、っしかし、っである、っそれだから、っとくに休憩中にはその喫煙所は利用したくない、舞台人の裏の顔など見たくないとおもっていたので、別にお客用のものがあってよかった、



っで《2番》コンチェルト、っこれについてはついせんじつ、当のキーミツの棒、佐藤晴真氏のソロ、日本フィルの演奏を聴いたばかりであるが、っこれまたきょうのクニャーゼフ氏はまるで肌合いがちがう、プレ・トークでキーミツも、クニャーゼフさんはびっくりするくらいおおきな音を出すの、っとおっしゃっていたが、っそのとおりで、楽器は本国でご使用のものは国外へはもちだせないというので、海外公演用に貸与せられている彼氏にとっては亜器であろうが、っそれでもほんとうに音が太い、1楽章がやっとマーチらしき風采を得てきても、テムポとしてもぜんぜん前へ行かずにどっかと腰を据えたモデラート、《1番》からすると、演奏回数もすくなくていらっしゃるのか、際どい重音などでしばしば手許不如意の憾があったが、フィナーレにおくピッツィを弾いておいての下降グリッサンドや、終結の脅やかすような漸強などは、佐藤氏よりももっと効果的で、っじつに迫眞であった、



っときに、休憩後に自席へ戻ると、っちょうどぼくの眼下の1階席中程へ、っさいきん髭面も賛否の広上氏が坐していられるのがわかった、関係者が屯して順々に彼氏へ挨拶をされていたので、っそうと気附いたのである、《2番》コンチェルトなどはほとんどずっとプログラムへ視線を落としたまま聴かれるようであったが、っさてどのような印象を有たれたであろうか、



最後にシムフォニー《2番》、作曲趣意としては《3番》と同断であろう、掉尾のコーラス部分はほんの起稿の口実にすぎず、管絃のみによる部分の実験性こそが肝である、京響は、《1番》コンチェルトで吹かれたホルンは強音といい弱音といいまことにすばらしかったが、《2番》コンチェルトではおふたりとも《1番》とはちがう人で、両名ともにやや不調、トロムペットは、全演目を通じてぼくとしてはいますこしくするどく突き抜ける音量と硬度とのほうがうれしいが、前回公演の3階正面席とちがい、っかなり舞台へ近附いたので、っまずまず密度の高いひびきを浴びる、絃などはまったくすばらしい、



聴く側としてもおおきに体力、気力を要する公演であった、っあすもこころして福山行するとせむ、1日中、雨のようなので、公演を待つ間、余計な寄り道をして散財しなくて済み、っかえってよかった、新幹線代も高いこと取られてしまったことだし、、、高いことって、っただの正規料金なのだが、っそれに、っこんかいは土産は購って帰らない、っだってそんなもの持ってあさってあさ出勤したら、なにお前、会議サボって遊んできたのかよ、ってハナシだから、



みずの自作アルヒーフ

 

《襷  ータスキー》(全4回)

 

https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351779591.html(㐧1回配本)

 

《ぶきっちょ》(全4回)

 

https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351806009.html(㐧1回配本)