池袋、 | ざっかん記

池袋、




カーチュン・ウォン氏の棒、日本フィル公演、済む、演目は、先年に物故せられた坂本龍一氏を偲び、生前の彼氏がとくにその〈雲〉へ偏執したというドビュッシー《ノクテュルヌ》に始まり、遠藤千晶女史を招いて坂本《箏コンチェルト》、休憩後は同《ザ・ラスト・エムペラー》からと、坂本氏が同業の先達として愛憎相半ばする感懐を有たれていたという武満徹の《波の盆》スートからと各1曲、っそして中野翔太氏を招いて坂本氏がバルセロナ五輪のために書かれたという《地中海のテーマ》で幕、開閉幕の両曲は、東京音大のコーラスを擁する、



っせんじつここで下野氏の棒になるN響を聴いたが、っそれは渋谷や上野で彼等を聴くよりはまだしも好印象ではあったものの、っさきおとついの上野で聴く都響同様、っなにか描線っきり意味を有たない輪廓偏重の音におもえ、っいつもいつも各単声部が聴こえてばかりい、っどこまで行ってもそれら声部声部が相睦み合った全体の響というものがしない憾みを遺した、っぼくにとってホールでオーケストラを聴くという体験は、音の輪廓以外にももっと色とか、っもっと薫りとか、質感とかひびきとか、っその豊饒がために奏者奏者が精励し、っかつ声部間で音を重ね、意を束ね合うことによって単声部のみからはけっして得られない音色効果を具現す、っその色調がより複雑微妙な変転を伴なっていてこそ、本格の聴き応え、醍醐味も生じようというものだが、っその点でN響は、っいつもこの云い種をするが、っともするとおもちゃのオーケストラみたようなチープな風合いへ堕さないとしない、矢鱈にがっちりとした音を出す、っしかしおもちゃのオーケストラである、

対して日フィルは、っきょうもなんと多彩多様の味を有った妙音を上げることだろうか、ドビュッシーからして、〈雲〉の木管のテーマが絃へ渡ると、っその各声部が繊細に折り重なって生まれる色合いは、っほんとうにこたえられぬほどなよやかな魅惑を放ち、コンサートも開始早々、勝負あり、㐧1級の藝術である、っこう何度も何度もそれを云っては非礼にあたろうが、20年ほど前に彼等をわりに頻繁に聴き、聴くたびに苦虫を噛み潰していたぼくとして、っきょう日の彼等の良コンディションがぜんぜん信じられなく、実演に接する度に隔世の感に愕くのである、



坂本《箏コンチェルト》は、音勢の都合上、ソロはマイクを通してスピーカーから音を出す、4楽章制で、冬に始まって秋に了わる各楽章が各季節のイミッジ、っよく見なんだが、ったぶん金管のマウス・ピースを抜いて管へ直接、息を入れ、ふしゅーーー、っという音をさせて冬の寒風を模倣するなど、っあれこれ特殊奏法が盛り込まれているとはいえ、比較的ライトな書法であり、季節の印象が如実に伝わる、冬が去って春が訪れるとソロの役割はあきらかに鳥の声であり、3楽章は夏の祭禮の心象であろうか、っしかしけたたましい大音響は全曲中かたときもせず、テムポもずっとミディアムのままである、坂本龍一といえばなんといってもYMOであり、、、っとは申せ、っぼくはぜんぜん同世代ではないし、っその音楽もぜんぜん知らないのであるが、っつまりエクスセントリックというのか、往時の新人類という概観があろう、っその人が他方ではかように花鳥風月を愛でるいわば平凡な趣味も有ち合わせていられたということが、っぼくなどにはおもしろい、

ソリストの遠藤女史は、舞台上の挙措などで、あれ、どこかで観たことのある人かな、っとおもうところ、去年、郡山響の公演で聴いた越人作家の新作、同楽器と竹笛とのドッペル・コンチェルトのソロが彼女であった、泰斗、野坂操壽女史も鬼籍へ入られことであり、現今、斯界の㐧一任者であられるのだろう、っもうすこしく若いこの楽器の奏者のうちには、っもっとスポーティなまでの洗練せられた奏楽を事としうる世代も育っており、っそういう人をぼくは幾人か聴いて知っているのだが、っその人たちへもかようの大舞台へ登る機会を与えてやってくれたいところではあるが、



後半の一寸した小品でも、っやはり絃の多段階の色調の変化がことさら印象に遺る、っや、絃のみならず、っすべての声部がすばらしい、愛おしい、木管も4種のキャラクターがめいめいみごとに立っているし、金管も、ホルンのトップはきょうは丸山氏でいらしたが、信末に敗けてられっかっ、っというところ、トロムペットも、ぱん、っと破裂せしめなくとも、ふぁん、っと抜けた音で鋭さを体現しうる上等上質のテクニークを誇る、

最後の《地中海のテーマ》でも中野氏のピアノはマイク、スピーカーを通していた、っそれもそのはず、っここでは前半のコンチェルトとちがい、五輪を壽ぐにしてはとちゅういやに不穏不吉な音響の洪水が襲い、っずっと中音量以下を主体とした公演だっただけに、っその音力はより凄まじく実感せられる、

今季まではカーチュン氏公演のひとつの売り物であった邦人、っないしアジア人作家の作を西洋の有名古典と同日に組むという趣向も、っきょうでいったんおしまい、来季は西洋古典側の大曲揃いの公演公演であり、辛うじて来年の1公演で芥川作品が披瀝せられるのみである、



っさて、っお次は土曜、っまだだいぶん先かとおもっていたが、っもうデュトワが来る、、、っぼくはいつも演者の方々へは男性には氏、女性には女史を宛てているが、デュトワくらいのむかしっからの超有名人となると、っなんだかもう半ば史上の偉人となってしまったようで、敬称略のほうが適当におもえる、

っきのうは森口真司氏のマーラー《5番》公演の切符発売日であった、テケトというあのプレイ・ガイドは、各興行の主催者がかなり自由にサイトを利用できるようで、発売日の販売開始時間も楽団毎にぜんぜん区々である、っいちばんありがたいのは発売初日の0:00から売り出すばあいで、っというのは年寄り連中はそんな時間まで起きていてスマート・フォンやPCへ囓り附いて発売直後の購入競争へ参戦する気力もままならなかろうから、競合者がより少なくて済むものとおもわれるのである、っその心算でおとついのよる、寝っ転がって日附が変わる瞬間を待っていたが、ペイジを更新しても販売は開始せられず、なんだ、翌朝10:00からとかなのかな、っと睡てしまう、っそれできのうのあさ、出勤の身支度をしつ念のために片手間に検索してみると、っもう売り出している、っしかもすでにしてけっこうな席数が売れており、器は錦糸町なのだが、っぼくの所望、2階右翼1列縦隊のバルコニーは、残席わずか1席のみであった、マジかよっ、っと慌ててその1席を選択し、っもう玄関を出るのにぎりぎりの時間ではあったが、決済せむとするに、前の晩、っその寝っ転がっているときについ他の2、3の公演の切符も衝動購いしてしまい、っその連続決済が祟ったものとみえて、決済エラーが出てしまう、っなんだよこんなときにかぎってとさらに慌ててもういちど席を選択して決済画面へ進み、他のカードを用いてどうとかその席を得る、結果的には、っそのほんの1席は、他を選べたとしてもこのあたりにする、っというぼくのいちばん坐したい附近の席だったので、っよかった、

マーラー《5番》はぼくにとり、タネもシカケもない正攻法で全曲を通されたのではやや喰い足らない悪印象を懐く性格の作品である、ヤマカズさんみたように、2楽章やフィナーレをずっと田圃の中を歩きでもするかのようにずっぶずぶのテムポとべたーっとした発音とで演るとかというけったいなことをしてくれないでは、っぜんぜんおもしろくないのだ、っが、っそこを森口氏は、激越な表現などはなにもなさらないで、っしかしぼくの勝手におもっている高い高いハードルを跳ばれて感銘を届けてくださるだろうと信ずる、っそういうことのできる指揮者は、っじつに世に稀である、っそういうことをして、っお客をとっ白けさせる指揮者は五万といるのだが、っそういうことをして、っちゃんとお客を唸らせ、深く感動させる人はそうはいないのである、

っまた、っぜんぜんノー・マークでスルーしてしまうところだったが、森口氏はこんげつ半ば、っまた別の楽団と川崎で公演をなさる、気附けてよかった、



みずの自作アルヒーフ

 

《襷  ータスキー》(全4回)

 

https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351779591.html(㐧1回配本)

 

《ぶきっちょ》(全4回)

 

https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351806009.html(㐧1回配本)