羽田、 | ざっかん記

羽田、




っいまチェック・インを済ませ、小一時間後に千歳行、夕から札幌にて井上キーミツと札響との最期の共演で、武満、クセナキス、ラヴェルである、同プロできょうあすと2公演だが、っざんねんながらぼくはあすはサントリーでカーチュン・ウォン/日本フィルを聴くので、っこんや札幌へ泊まり、明朝、千歳発である、



っせんじつのキーミツ/日フィルの動画の音声を抜いて聴いてみるが、tvuchの動画は、音声についてはどれかのカメラのマイクで拾った音そのままなのか、っそれとも音は音で別にマイクで録り、映像と同期せしめているのか、っわからないが、っすくなくもサントリーで録った音については、客席の誰かのスマート・フォンへ着信してしまった際のだろうか、っときおりぷつぷつとノイズが入ったり、っとくに絃のアルコを聴いている際、動画の音声特有のしゅるしゅるいう感触がわずかにするばあいがあるものの、ホール・トーンも適度に含んだひじょうに高精細の音質で、音盤のそれと比較して明白な遜色をおぼえるものではないが、っみなとみらいで録ったこの音についてはどうだろうか、っかなりオン気味で、奏者ひとりびとりの直接音が聴こえてしまうというほどひどくはないものの、客席ではあんなにも潤澤に感ぜられた残響がほとんどせず、っなにより、日フィルのあの精妙さをいまひとつ実感しえない、っこの音を聴かせたのみでは人は、っこんにちの日フィルは天下の名楽団であるとのぼくの平素の繰り言を信用しないであろう、

キーミツの造形としても、両端楽章の主部にせよ2楽章にせよ、アレグロに停滞趣味を有ち込まない覚悟のほどは立派ではあるが、っさしもの日フィルも声部間でのかすかなタテのずれを生じ、オン気味の音声がその弊を助長してしまうのがいかにも辛い、

っこれを聴いて、慕わしさにロズージェストヴェンスキー/読響を聴き返してみたが、指揮者の志向性が異なるとこれほどまでに音楽の意味が変貌を遂げるのか、っとあらためて驚愕を味わった、っそしてぼくは、っやはりロズージェストヴェンスキーのほうが断然すきである、っあまり急速章の様相をしていない1楽章はもちろんのこと、2楽章も乗っけから、絃がずしんと重たく鳴って、先を急ぐまい急ぐまい、1歩1歩を着実に踏み締めむ踏み締めむとする意志力により、っごく数分のシムフォニック・アレグロがしかし、巨大な屹立をみせる、フィナーレの主部もそれと同断であるが、っこんかいよりつよく感銘を与えられたのは、っいかなる強音部でもけっして駄目を押さない発音の明晰さである、テンションに感けて全員で一気呵成に、っという瞬間はほんの1個所たりとて覗かず、フィナーレの最終音へ至るまで、っすべての頁、っすべての音が楔のごと時間時間へ打ち込まれつづける、っしかもそれはひじょうに冷静冷徹に遂行せられるのであり、既のところで音楽が親愛親密の感触を失なっていないとすれば、っそれは読響各位の謹厳実直を極めた奏楽に負うところ大である、

フィナーレのコーダの最後の最後はその演奏の性格の象徴とも云える名場面で、木管と絃とが合いの手を入れ合いながらようようそのタームを約め、金管はずっと裏拍を吹いているという厄介な音構造だが、っそのために、先を急ぐキーミツはここで手痛いタテの乱れを生じている、対してロズージェストヴェンスキーは堅固そのもので、っしかしそれだけにとどまらない、音価のみじかい切迫した動きのここでは、っいきおいオケも前傾姿勢勝ちとなったところ、っつづく2小節において、金管が2分4分4分/4分4分2分というやや音価の長い音を吹く、っそのとくに前の1小節においてトロムペットが、音価を長め長めに感じて吹かむとする気骨をみせ、終結へ向かってもういちど音楽をおおきくおおきく膨らまそうと意志する、

キーミツとしては好個のスタンダードを示したくてのあのテムポ感だったのかとおもうが、ゲテモノ趣味者のぼくにすれば、っやはりやはりロズージェストヴェンスキーである、



っさて、っまもなく離陸、



みずの自作アルヒーフ

 

《襷  ータスキー》(全4回)

 

https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351779591.html(㐧1回配本)

 

《ぶきっちょ》(全4回)

 

https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351806009.html(㐧1回配本)