参宮橋、 | ざっかん記

参宮橋、




国立オリムピック記念青少年総合センターなる、明治神宮の脇にある施設内、っいくつか棟があり、っそのカルチャー棟内のホールにて、700余席となっていたが、っお客は数十人っきりおらず、っいちおう二重扉だったが、っその外方は故障中につきすべて開放せられており、っしたところ、内方の扉が外気の影響を受けてばたばたし、扉の隙間へ風が吹き込んで、ひゅーーーーー、っとひどいノイズがのべつしている、っぼくは前半は右端で扉の直近へおり、っもろにその被害を受けて、後半は中央附近後方寄りへ逃げてみたが、後部の扉も同様にひゅーひゅーいっている、指揮者が無粋なら、器までその彼氏にお誂え向きというところで、微苦笑とともに看過す、

小柳英之氏の棒、、、っは持たれていなんだが、アーベント・フィルで、マーラー《4番》を先に演り、後半はヴァグナー《タンホイザー》《リエンツィ》両序曲、《名歌手》3・1幕の前奏をこの順に、日曜に19:30から開演だというのに、っあいかわらず傍迷惑なくらいたっぷりである、

絃は1stが7だが、バスは6人もおり、っそのプリンシパルの男性は髪を振り乱して全身全霊をふりしぼるすばらしい弾き姿、後列には学ランの男の子もいる、プロフェッショナルとアマチュアとの混合体というが、公演の広告もほとんどなく、現にぜんぜんお客は来ないわけで、興行毎に恆にもちだしであろう、謎の団体である、っしかしこの下の厚い、っそれでも全体に小規模の彼等は、狭い音場で金管にめいっぱいに吼えられても、量としてぞんがい渡り合っている、

マーラーは、鈴の音と木管とが完全に通り過ぎてしまってから、っつまり記譜とはちがう、っもっと後ろからやっとVnが入り、っいきなり極端なアゴーギクで勿体附けてテーマへ遷る、っその提示までこそ、っぞんがいオケも巧く、滑らかに流れてゆく、お、そんなこともできるのね、っと意外におもうのもまもなく、展開では早くも事故多発、っどこかからオーボーの1番が完全に1小節前へずれてしまい、っしかもだいぶんしばらく当人そのことに気附かない、2番が教えてやれよ2番が、っとぼくなど客席ではらはらしたが、3人でいっしょにベル・アップするところでちゃんと揃ったのでほっと胸を撫で下ろしたところ、っその先でもまたずれてやんの、っその他、1楽章を了えるまでに、っぼくにわかっただけでも、絃、ファゴット、ティムパニが出してはいけないところで音を出していた、っそれは去年末に王子で聴いたスメタナでもまったく同様だったのだが、っどうしてああいうことになるのかしら、っすこしく異常な事故率で、小柳氏はといえば、1拍1拍うるさいくらいに、ぐいっ、ぐいっ、っと1234なり123なりと振られているのに、っどうしてあれでみな数えられなくなってしまうのだろうか、っけれども、っぼくは前回公演の経験から、予めぜんぶ赦しているのである、っべつにミスの頻発をよろこんでいるわけではないのだが、っそんな失点よりも、得点があるかどうかのほうを気にしているのだ、

2楽章はホルンの1番が自席を離れて指揮者の脇まで来て吹かれる、っここまでを聴くかぎり、曲調からいっていまだ小柳節の見参とまではゆかない、ソリストはいつ登壇されるのかなとおもっていると、3楽章がとつぜんにして大トュッティへ達するところであり、っまことに最適最良のご登場であったが、っその3楽章は、冒頭からの静かなうち、絃はすべての声部がおもいの丈を縦横に謳う、小柳氏はやはり不細工放題にほとんどずっと腕で拍をとられているのみ、っときおり弱音が慾しいときのアクションもまたいかにもカッコわるいが、っそれでもああしてオケがよく唄ってくれるのである、大トュッティではホルンもトロムペットもティムパニも剛毅に轟いて小音場をめいっぱいに満たし、っこちとら眩しい天啓を浴びているようであった、

フィナーレのソロは竹内京花女史、っぼくにとってのこのフィナーレのソロはバーンスタイン旧盤のレリ・グリストが永遠に凌がれることのない無二の名花であり、っそれからすると他のいっさいの演唱は、っこの云い種で伝わるならば、っただのソプラノだ、っもっとグリストのように地声に類する発声も効果的に用いてキャラクタリスティックに唄ってくれないのでは、っぜんぜん印象に遺らない、っが、史上にあんなグリストみたような人が現れて、っあれほどの演唱を音盤へ刻まれてしまっては、後代の歌手にとってはいかにもやりにくいのに相違あるまい、っいまの歌手は、っああした歴史的の名盤へ耳を貸したりするのだろうか、聴けば、自分にはこの歌唱を凌駕することができないと痛いほどよくわかって、誰しも絶望するのではなかろうか、自分にはとてもこの曲を舞台で、人様の前で唄うことはできないと、グリストの猿真似をしたって仕方がない、っしかしでは、他の方法でどのようにしてあれ以上の存在感を獲得しうるというのであろうか、っそれをおもうと、レリ・グリストとは罪な人である、っきょうの竹内女史も、っまあふつうのソプラノであり、っぼくとして、erはアーとでなくエルと古風に唄われたかったのと、っあれしきの容積の音場でその声量でどうするのかとややおもったのだが、小柳氏はぞんがい音量バランスを適切に操作されており、アレグロの部分をのんびり気味にされるのも、女史はときに唄いにくそうではあったが、っつんのめるようなテムポで音楽が小手先へ流れるよりは遙けく増しであった、

っそして、音楽が最後の1連へ差し掛かると、っそのララバイのごと管絃のやさしさに包まれ、竹内女史も、グリストを忘れさせるにはもちろん及ばないものの、っじゅうぶんに曲趣を伝え、っなんと、曲が終止するころには、っぼくは頰へ泪を落としていたのであった、



ヴァグナーではより金管が放縦となり、小柳節もいよいよ面目躍如、っそれでいてぞんがい騒音勝ちにはならず、っむしろ楽隊と堂内とが完全に共鳴共振し、っただ音楽それのみを実感できる時間がおおかった、テムポは悠然たるもので、《タンホイザー》序曲の終結部や《名歌手》1幕前奏の冒頭からなど、巨大にして魁偉、後者の最後はバンダを加えて本隊とは別音型を吹かせ、圧倒的の音塊が屹立するのであった、

次は森口真司氏と同日の公演、チャイコフスキー《3・6番》である、



っさて、っこんどの週末は大宮、横浜と、井上キーミツ/日本フィルで、ショスタコーヴィチ《10番》だね、



みずの自作アルヒーフ

 

《襷  ータスキー》(全4回)

 

https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351779591.html(㐧1回配本)

 

《ぶきっちょ》(全4回)

 

https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351806009.html(㐧1回配本)