有楽町 その2 | ざっかん記

有楽町 その2




井上キーミツの棒、新日本フィル、トロムペットのソロに児玉隼人といういまだ14、5歳の少年を招いて、クラーク《トロムペット・ヴォランタリー》、アーバン《ヴェニスの謝肉祭によるヴァリアシオン》、っそしてレスピーギ《ローマの祭》で、レスピーギには児玉少年は参加されていない、

児玉少年は、5,000席の大観衆を相手に、っじつに堂々たるものだ、アンコールのミディアム・ナムバーでわずかに1音ひっくり返ったのみ、本演目の超絶技巧も朝飯前といったところで、無理に音量を張り上げずともちゃんとニュアンスが伝わるとわかっていて、っどこまでも淡々と吹いてゆく姿勢は、っじつに末恐ろしい度胸である、

去年とおなじく、っどんな器でも1階席はもとより選択肢から外しているぼくも、っこんな規格外の超大器でしかし増幅なしとあっては妥協せざるをえず、1階の16列目、中央よりやや右寄りであるが、去年もそうだったが、っじっさいに音が鳴り始めると、っまあ許容範囲外は許容範囲外にちがいないのだが、期待値を最低に有って臨むせいか、っそこまで酷くはないのだ、っぞんがいホール・トーンも効いていて音が濡れているし、トュッティは、っもちろんもっともっと音圧が慾しいが、っしかしレスピーギの〈チルチェンセス〉あたり、器の容積にゆとりがあるがために、っむしろ2,000席級以下の専門の器で聴くときよりも各声部がちゃんと分離して聴こえ、情報量のおおさがたのしいくらいだ、っただし、最もざんねんなのは絃、殊に高絃で、完全にひびきが拡散してしまい、っすっかすかの虚ろな音っきりしない、っが、っこれはもう致し方なかろう、

キーミツの造形は意外や意外、〈50年祭〉やつづく〈10月祭〉後半のセレナードをじっくりと謳歌することに主眼があり、〈主顕祭〉のラスト・スパートはよく行なわれているような全力疾走とはぜんぜん無縁、手に汗握らしめるグルーヴ感は敢えて拒否してずっしりとした終結を導く、っまだ辛うじて直接音のニュアンスの来る16列目であり、拡散してしまって熾烈に凝集しない強音部よりも、っなべて弱音部がぞんがい好印象であった、



っさて、陽暮れた宮城前広場には案の定、人影はほぼ皆無で、ベンチへ坐したぼくがときおりライターを使う明かりが交番からも見えるとおもうのだが、皇宮警察の方が、ちょいとおたくおたく、煙草を吸ってもらったら困るじゃないか、っと云いに来るでもない、

小1時間後、っふたたびキーミツ公演で、っこんどは山根一仁氏を招いて伊福部昭《ラプソディア・コンチェルタンテ》、っそして同《シンフォニア・タプカーラ》である、

キーミツは若い人によりチャンスをあげたいという趣意でいられるのか、っいつかに川崎で東響と行なった全曲音盤にもなっている同《協奏4題》の際の同曲でも、山根青年を起用されていた、っぼくなど、佐藤久成氏を使ってあげてくれたいのに、っとつよくつよくおもったものだが、山根氏はあのときには譜面台を置いての演奏でいられた、っこんやは暗譜でいられるだろうか、っおそらくちがうだろう、

っまた、《、、、タプカーラ》は、N響との演奏ではフィナーレのティムパニの合図に始まる中間部のテムポを速足に感じているのがキーミツ流であり、っやや落ち着かない印象を遺した、っきょうこれからもおそらく同部分はそのテムポなのだろうが、っそれでもちゃんと感銘を与えるような演奏であってくれたいものである、



みずの自作アルヒーフ

 

《襷  ータスキー》(全4回)

 

https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351779591.html(㐧1回配本)

 

《ぶきっちょ》(全4回)

 

https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351806009.html(㐧1回配本)