山形行、 | ざっかん記

山形行、




大宮発11時すぎというところ、っきょうの開演は19時だ、

井上キーミツの新日本フィルとのマーラー《夜歌》の切符は、最も早く入手しうるのがミューザの会員でセット券を購ったばあいであった、1回券の発売はその2日後かなにかで、っぜんぜん残席はあるとおもったが、っすこしくでも良席を得たい気を抑えられずに、平日午3公演のセットを購う、っほかは園田氏のオペラのアリア集と広上氏のチャイコフスキーとで、っもう一寸なんとかというライン・アップを求めたかったが、っま、夏の間に3日間取得せよという休暇でも、っそこで消化するとせむ、

っあと、キーミツの《ラ・ボエーム》だが、全国7都市8公演のうち5公演へは行こうかと云ったが、っうち兵庫の日が東京での坂入氏と新響とのブルックナーとかち合うとわかり、4公演に減る、切符も高いし、っかえってありがたい、っその兵庫と京都との切符がせんじつ売り出したが、後者を購っておいた、右翼がよかったが、っより良位置を望めるのが左翼だったので、っそちらにした、っすべてちがう器で4公演もあるので、公演毎に右左と振り分け、舞台へ寄ったり離れたりと、位置を変えてたのしまむ、

っぼくはシムフォニーばかりでオペラを聴く習慣がぜんぜんなく、有名演目でもほとんど筋も曲も識らないが、っかくてはあらでと、開催中の東京・春・音楽祭が全公演をライヴ・ストリーミング配信しているので、っせんじつモランディ/東響の《ラ・ボエーム》とヴァイグレ/読響の《エレクトラ》とを購入して録画しておいた、アルヒーフ化はなく、公演時の同時配信のみなので、っその日その日は定時定時で帰宅した、ムーティの《アイーダ》も録りたいところだったが、都合が附かなんだ、っべつにそんなの、演奏を撰ばなければわざわざお銭を出さなくともYouTubeへいくらでも動画が上がっていようとはおもったのだが、っまあまあ、

っそれから、キーミツのらいげつの日本フィルとのショスタコーヴィチ《10番》は、横浜公演のほうが動画配信せられるようで、っこれもうれしい、同曲はこのほどN響とのものが音盤化せられるが、っきょう日どうかするとぼくは、艶のない音場で硬質に鳴るN響よりも日フィルのほうがアンサムブルとして秀でているのではないかとおもっているし、っつるつるぴかぴかに整音せられてしまっている市販音盤よりも配信動画のほうが、音声としてもより自然で快いにちがいない、

動画といえば、黄金週中の下野氏とN響との《DQ》公演も配信せられるようだ、っそれならわざわざライヴへ出掛けなくともよかったのだが、っまあそれも録画しておくとせむ、切符も高いわ視聴権も高いわでなかなか阿漕な公演だが、

っほかに、コバケンさんと日フィルとの去年末の《㐧9》や、リープライヒ氏と同フィルとの《ライン》などの動画もあったので、っいずれも購入して録画し、音声を抜いてきょういまiPhoneへ同期してきたが、前者は、っせんじつの《オルガン》と同様の境涯が展ければなかなかのものになっているだろうとおもいつ聴くところ、っあの《オルガン》ほどではないが、っやはり漫然と奏したのでは目立たない声部へも目配りが効いており、っそれが以前までのように聴こえよがしの有難迷惑にでなく自然かつ巧妙に為されるので、っちゃんと、小林研一郎が振らばこそっ、っという特有の味のする楽聖になっている、史上の綺羅星連へ伍しうるかは、っまあここで敢えては判断せずにおくとして、誰が振ってもおんなじテムポとおんなじ造形とになってしまうある程度以上年配の日本人指揮者の棒になる同曲のうちでは、上へ抜けているかどうかよりも、っまず北か東か南か西かのどこかへは抜けている、っぼくがいつも云うのはそこだ、世界中でみんなしておんなじ曲を演奏するのだから、他人様とおんなじところへ固まって立っていないでくれろよと、っすこしくでも他人様と離れて、相対的の価値を主張してくれろよと、っもちろん、離れることが目的化すれば、っそれを世間では外連味という、、、っぼくならば外連味だろうとそれのどこがわるいんだこなちきしょうと云ってしまいたくもあるがともかく、っひたすら自己に忠実であった結果として気が附くと、あれ、、、周りに誰もいないや、っというふうにして演奏せられた音楽でなければ、っぼくの耳はけっして満足しないのである、

っあとは、っさいきんではまいかいなさるのではないらしい終演後の歯の浮くようなスピーチをここではしていられ、っまあそのくらいはよいのだが、っぼくはむしろ、演奏中に楽員へ向かって親指を立てたり指で輪っかをつくったりして、いい音だよっ、っとシグナルを送られるのとか、っむかしからよくやられている客席を向き直るようにして天井桟敷を指差し、あそこへ向かって音を飛ばせっ、っというああしたアクションのほうを止していただきたい、っそして成ろうことならば、振られている最中にほとんど相貌も変えられない、っずっとほぼ無表情で、悲しい楽想のときに悲しい貌をされたり、烈しい楽想のときに烈しい貌をされたり、仕合わせな楽想のときに仕合わせな貌をされたりせずに、っずーーーっとおんなじ貌で振られるようになったら、音楽的にもそれがすなわち完成の時であるだろう、

っつづくリープライヒ氏の演奏へ遷る、カップリングは三善の小品とあの井﨑氏とのコルンゴルトも記憶に鮮やかな辻彩奈女史とのシマノフスキのコンチェルトとであり、後者は今夏、坂入氏と彼氏の手兵とのブルックナーの前プロへも組まれているので、予習用にとおもって、日フィル、っあいかわらず溜息が出るほどすばらしい合奏、精妙なのに冷淡な膚触りと無縁で、っひとつびとつの音を丁寧に聴き手へ届けむとするその心意気にシビれる、っせんじつ実演を聴いた東フィルは、や、労せずともこの程度の音はいつでも出せますから、っというややその気味だった、日フィルは、苦労の末やっとこの精妙を獲得したっ、っという鳴っている音がその快哉を叫ぶようなのである、っだからこちとらもおもわずにうれしくなる、っあれでその苦労の跡を露見させてしまったら、世に最優等ではない、新日フィルなどはきょう日においていまだその次元であるとおもう、古今謂い古された白鳥の譬え、足掻いてよいのは水面下でのみ、水面より上ではあくまでも優雅に、っその精励のちょうどピークへ達した音こそが、客席で浴びていて最も快い、っだからぼくは、来日するスーパー・オーケストラ連をどうしても聴きたいとはぜんぜんおもわない、貧乏人の僻みではない、っあのどこでも難なくすごい音が出てしまう手応えが、っいかにもつまらないのである、っいま日本の楽団で、っそのちょうどたったいまピークへ乗りました、ピークほやほやという妙音を発しうるのは、東京では日フィルだとおもう、地方では名古屋フィルが雄も雄で、キーミツとの先般のブルックナーや、何年か前のショスタコーヴィチなどじつに忘れ難い、大阪フィルは、会によってコンディションに良否が出るのがいかにも彼等らしく、っしかし絶好調のときの奔馬のごと勇猛は、悟り澄ました東京のオケでは逆立ちしてもマネできやしない、っそうすると、N響なぞ、っべつにぜんぜん日本を代表するオーケストラではないとおもわずにいない、っただ知名度とお給金の高額さとというだけの話だ、器だってぜんぜん音楽的のトーンでないNHKホールごときをしかし常箱とせねばならないというハンディキャップであることだし、



山形は柔道ボスの故国であり、前回、コエーリョ氏を聴きに行った際には逢ってふたりして山形牛に舌鼓を打ったが、っこんかいメイルを送ったものの、返信がいただけなく、っざんねんである、送信エラーは出ないので、届いてはいるとおもうのだが、



みずの自作アルヒーフ

 

《襷  ータスキー》(4)

 

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《ぶきっちょ》(4)

 

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