っところで、 | ざっかん記

っところで、




っいまやYouTubeにはプロフェッショナルの公式のものであれアマチュアの素人撮影であれ、クラッシックの演奏会の動画が無数に上がるようになり、っぼくのように演奏のほんの細部にまで拘って音楽を聴きたい人はそれでも並行して音盤なども購わねばならないが、人によって、っとくに、演奏はあんまりわからない、ともかくその曲が聴ければよい、っという人にとっては、音盤を購ったり各種有料配信サーヴィスを利用したりすることなぞ、っもはや愚挙愚行とすらおもわれることだろう、っぼくはその点まったく不経済で、っなにしろ数年かもう10年以上も、ヤフオク!やメルカリ等で稀少な非売品音盤の類を漁るという酔狂な趣味を修身してしまったので、っそんな音源は100年200年經とうがけっしてサブスクリプション・サーヴィスの配信リストに加わることはないので、っどうしてもお銭が掛かる、っしかも、高額を要して入手してみた音盤へ収録せられているのが、どうでもよい平凡な演奏でしかない、っということもひじょうにしばしばである、

っただ、っさいわいなことにと云うべきか、っぼくは音質のあまりわからない人で、室のプレイヤーで同一音源をCDやSACD、っあるはむかしあったDVD-Audioで直前直後に再生して比較してみても、CDよりもSACDのほうがあきらかに音質がよいという認識を有てずにしまうというぽんこつの耳であって、っだから、YouTubeに上がっている素人臭い音質の音源でも、最低限の清澄な再生音でありさえすれば、っあとは専ら演奏のよしあしっきり気にならない、

プロの楽団でも、期間限定でばあいによっては演奏会の全編を収めた長尺の動画を公開していたりなどするので、っべつに指揮者に興味がなくとも、期間限定と謳われると、貧乏性のぼくはいちおうそれを落としてコレクションしておく、

っまた、っぼくの聴いているアマチュアでも、ったとえばフライハイト響はご自身等で収録した動画をupされているが、っやはり期間限定のことがあり、先般の井﨑正浩氏との公演の3演目もそのようなので、っすべて落としておいた、

っそれでうれしかったのは、去年ぼくが森口真司氏を知った彼氏と同響とのマーラー《9番》公演の動画も、楽章毎に分けて上がっていたが、っそれも限定公開であって、っすべて落とした心算だったのに、3楽章のみ、DL中にエラーが出て落とせておらず、っそれへ気附いたときにはもう公開期間が済んでしまってざんねんだったところ、同響のアカウントではなく、フリュートの楽員の方のものとみられる個人アカウントでおなじ動画が公開せられているのをさいきん発見し、1年越しで欠落していた楽章を補い、全曲を再生しうるようになった、彼等の錦糸町での動画収録は3階席正面の天井桟敷みたようなところへカメラを据えて撮られており、音声もそのカメラのマイクが拾ったものなので、ラウドネス比がひどくアンバランスで、音勢のつよい金管、打楽器がとてもクリアに録れているのに対して絃の音がいかにも遠いのがざんねんではある、っじっさいに会場で聴く同響のアンサムブルはもっと絃の音量が豊富であると、彼等の名誉のために云っておく、動画から音声を削除して舞台上部へ吊られたマイクで録った音と置き換えて公開されるとか、っあるは動画とは別に音声だけでもよいから吊りマイクの音源も上げてくれたらどんなにすばらしいものかとおもうが、っこのカメラのマイクで拾った遠い音で聴いても、っやはり森口氏の造形はまったく偉大である、オケも、っもちろん難曲だからあれこれのエラーはあるが、全体に覇気充溢の大演奏で、2楽章の冒頭で撮影者が三脚を蹴飛ばしてしまい、ヘッド・フォンで聴くと耳に痛いノイズが入ってしまっているのがわずかな難点だが、っともかくうれしいコレクションである、

森口氏は、大分の大学でプロフェッサーをなすっているので、東京のアマチュアの楽団との公演はそう数多にあるわけではないが、っことしはなんと晩夏のわずか1週の間に別楽団でマーラー《トラギッシェ》《5番》をたてつづけにお振りになる、っいずれもさぞやすばらしい演奏となることだろう、っしかも、っその前者は休日の午公演で、同日よるにはかの小柳英之氏のチャイコフスキーを聴きうる、去年末、王子で小柳氏を初めて聴いた日も、っぼくはあさは北海道へおり、午には名古屋へいて井崎氏を聴き、終演後、東京へ戻ったので、っしかも演目はおふたりともスメタナ《我が祖国》という極め附けであった、っそれはそれは遙けき落差のある好対照で、精緻な意匠のギリシャ彫像と圓空の一刀彫りとを並べて観較べるような得難い体験であったが、っはたして、っこんども淡麗なる森口氏と磊落なる小柳氏とを1日のうちに聴きうるという仕合わせであって、曲目もともに《6番》、《トラギッシェ》と《パテティーク》とというまたも妙な符合を示していてたのしい、

っそれから、一寸以前にショスタコーヴィチ《バビ・ヤール》の動画や音声をあれこれ検索したところ、っさいきんになっておもいもかけない音源が関連動画へ上がってきた、っすなわち、75年、っいまはなき新宿の東京厚生年金会館でのライヴで、同年に物故した作家への追悼演奏会におく、同曲の本邦初演というものである、原語ではなく訳詞上演で、陣容は棒に早稲田大響のOBという故・山岡重信氏、ソロは、っやはり先年物故せられたのだったか、ワセ・グリOBという岡村喬生氏、コーラスはワセ・グリとそのOB連という稲門グリーとの合同、っそしてオケは早稲田大響であり、訳詞を手掛けられたのもまたワセ・グリOBという、早稲田総力戦の様相で、訳詞上演かよ、っと侮り半分に聴きはじめたところ、っこれがたいへんな名演奏で、っぐんぐんと惹き込まれて、っあっという間に全曲を聴き通してしまったのだった、

同曲は、っもちろん原語上演で、っせんじつ会場で大量に購入したオーケストラ・ダスビダーニャの音盤にも時期を隔てて2種の録音があり、ソロはともに岸本力氏でいられるが、っまずこの曲を唄われるには声の線が細いのと、っだいいち露語の発音がぜんぜん身体へ入っておられず、っでまたこの曲と来た日には、っその難儀な露語を早口でぺちゃくちゃと唄わされる上に厄介な変拍子まで絡んでくるというサディスティックな筆で、岸本氏は敢えなく隨所で発音が覚束ずにそれによって音型や音程が乱れまでし、ったしか後年の録音のほうだったが、っそちらではそのソロの不調のためにオケもひどく乱れ、っみなどこを弾いているのかわからなくなるという事故まで発生していたものだ、

っそれがこの本邦初演はどうだ、75年のむかしである、っまだ音源だってそんなにありはしなかろうし、ショスタコーヴィチの書法に対する奏者の免疫も現代とは比較にならないはずである、っだのに、一介の一般大学オケたる早稲田大響はしかし、っぴたりとツボを当てた表現表情をつぎからつぎへと繰り出し、っいかに煩瑣な変拍子でもびくともしない、山岡重信氏とは、っぼくのような世代ではかろうじてお名を知るのみだが、っいったい何者であるのかっっっ、

声楽も、ソロといいコーラスといい、っやはり音楽的にたいへんに練れており、っほとんど新作に近い舶来のシムフォニーを相手に、っずっと以前から自慢のレパートリーにしているかのような自在感をみせる、日本初演だぞっ、っきのうきょうやっと見たか見ないかのスコアを音にしているんだぞっっ、っはじめの1歩はしかし、っときに後続のいっさいを寄せ附けないほどの達成へ至るものであるっっっ、っそれだけの使命感を、指揮者以下全楽員が一身に背負っているからこそなのであろう、

75年の岡村氏といえば、テル・アヴィヴでケルテスの溺死に間近で接しられた衝撃からまだそう日が經っていない、っそれはとにかく、っこれを聴いてぼくは、っむしろ原語上演よりもよほどか豊富な表情が附き、音色が多様多彩に変化してゆくことにじつに一驚を喫した、彼の地の泰斗、セルゲイ・アレクサーシキン氏の演唱は、血反吐を吐くかの絶唱も、人を喰ったような剽軽も、泪も涸れ切った虚無も、っむしろほとんど野太い1色の声で唄ってゆくので、っもちろんほんの母音の明度を上げたり子音のエッジを立てたりするっきりで最高の効果を上げ、っその変化の乏しさこそが彼氏の偉大さなのであるが、っここでの岡村氏は臆面もなく曲想に応じて音色を変転せしめられる、ア氏にも劣らぬもとよりの声の太さは曲の厳粛を伝えるにじゅうぶんであり、っそれがまず、1楽章でアンネ・フランクを歌う段へ来てほんとうに少女の可憐を喚び醒ます柔和を獲得さる、露語と我らが国語とではぜんぜん耳当たりがちがうが、日本人のぼくにすれば、っこの岡村氏の音色こそ、初めてこの部分の曲趣を眞に具現したのだと云い切ってしまいたい、っのち、〈ユーモア〉も〈商店にて〉も〈恐怖〉も〈立身出世〉も、曲が歌手としての自分になにを求めているのかをぜんぶわかって唄っている人の声がしている、歌とは、っじつにこうでなくてはなるまいっっっ、

コーラスも、っこのときはまだ舞台へこぼれるほど大人数を乗せた時代であろう、っその風圧は元気いっぱいのオケにも押されることなく、名にし負うワセ・グリッシモもワセ・グリッシッシッシッ、、、シモというところである、

針音がしているから音源はLPであろうが、録音もまたアナログの長所が最大限に活きた鮮烈さで、っこれはほんとうに儲け物のうれしいコレクションとなった、っみなみなさま方も、っやはりぼくとおなじように聴かない前には、でも訳詞上演なんでしょ、っとおもわれることだろうが、騙されたとおもっていちど検索してみられむことをっっっ、文字列はバビ・ヤールでなく、バービィ・ヤールにしたほうが容易に発見しうるかもしれない、



っおもわずに筆圧が籠もった、っまだ南大沢の喫煙所で、っこれを書きつほんの2、3本とおもいながら、開けたばかりの14本入りアメ・スピが1箱空になりそうである、



みずの自作アルヒーフ

 

《襷  ータスキー》(4)

 

https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351779591.html(1回配本)

 

《ぶきっちょ》(4)

 

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