大阪、福島、 | ざっかん記

大阪、福島、




井上キーミツ/大阪フィル公演、済む、



往路は、3月前から購える安いのぞみの券を購いそびれたので、っつぎに安いのは1月前から購える割引きのこだまであり、っそれで来る、4時間ほども掛かるのであさは早く、新横へ8時すぎにはおらねばならず、7時すぎに南大沢から京王へ乗る、っほんとうにわるい癖で、っゆうべも睡たのは2時か3時か、っあさっぱらから缶ビール1本と乾き物ととよいごミブンで、っのち車中は睡惚け勝ちに来て、開演2時間強以前に新大阪へ着き、っいつものカッフェへ寄り、腹熟しに器まで歩くことにして、地図アプリカチオンでは1時間強と出たが、十三経由で淀川を渡ると、40分と少々というところだった、終演後は、先週も寄った器直近のカレー屋で食事せむとするも、折悪しく仕込み中で、詮なくまた新大阪まで歩くことにして、橋を渡り、淀川右岸土手を行き、南方駅前の王将へ寄り、新大阪の駅へ着いて、18:30の発車までにシガレット2服、っのんびり土産物を物色する余裕もあった、復路はちゃんとのぞみだが、っいまこれを書かむとしてはげしく睡く、新大阪を発って1時間ほどもありながらここまでっきり書けず、っしばしばうつらうつらす、っあと小1時間で新横、っまだ睡いが、っどうとか書くとせむ、



演目は、サン=サーンス《月桂樹》《オルガン》の間へ新実徳英氏の《風神・雷神》を挿むというもので、3曲ともにオルガンを要し、っそれは先週のコバケンさん《オルガン》時とおなじ石丸由佳女史、新実の和太鼓はもちろん林英哲氏である、新日本フィルとも《月桂樹》《風神・雷神》を演るプロがあったが、っそのときはたしか後半はファリャとラヴェルとだったとおもう、

《月桂樹》は長壽に惠まれたサン=サーンス最晩年の筆で、誰が聴いてもどんな曲だかたちどころにわかるなんらの厭味とてない書法のうちに、ウェル・メイドな逸品を提供してくれる、新日フィルのときもほんとうに気分爽快な開幕だったが、っきょうはより潤澤のザ・シムフォニー・ホールにおいて大フィルが満々と鳴り、っめくるめく音響に眩惑さる、っこの器でオルガンの入る曲を聴いたのも初めてかとおもうが、っほどよく雑味というかざらつきを含んだ好い音質である、サントリーのそれなどはそのざらつきがぜんぜんなく、っかえって安手の機械で造ったようなチープな音に聞こえてしまう、



《風神・雷神》ではソリストおふたりが果たし合い、っほんとうに屏風画から飛び出た両神が音場中を乱舞するようで、和太鼓はもちろんのこと、オルガンも鍵盤といいペダルといい、弾くというよりは半狂乱でのたうつように全身を酷使せねばならない、ったぶん新日フィルのときもそうだったが、っきょうも新実氏ご臨席、終演後は休憩前に林氏がもう1曲自作曲をなさる、キーミツは、ぼくは77歳でもうよぼよぼだが、英哲さんはあれで72歳だって、42歳に見えるよ、っとおっしゃっていたが、っまさしく、



《オルガン》は、コバケンさんのそれが《オルガン》というスコアを借りたしかし人里離れた秘境におく老師の精神修養といった調子の特有の味へまで達していたのに対し、っきょうのキーミツはそこまでではなく、どうもよのなかで行なわれている演奏はどれもカッコいいばかりのようだ、っと云われたわりには、っそういうご自身の演奏もわりにあり勝ちの《オルガン》の姿ではなかったか、っもっとも、引退されるのは、よぼよぼになってもそのよぼよぼ加減がまたよい、式の褒め方なぞされたくないということなのだろうから、現役のうちは、アレグロはアレグロらしく、っちゃんと颯爽としていなくては面目が立たないとおおもいにちがいない、

演奏としても、1楽章のわずかな序奏からして、フリュートの、1番だったとおもうが、1拍早く出てしまうというしくじりをやり、幸先がわるい、主部以降も、為さるべきは為されており、っけっして愚図な演奏ではないが、誰でもそのくらいはやるでしょという気もし、コバケンさんみたように、え、なんですかその異様な音の密度は、そんな地味な音の動きにまで気を配っているんですか、っという次元へは至らない、っしかたない、較べるのもキーミツに酷だ、コバケンさんは彼氏の狭い狭いレパートリーのなかで数え切れぬほどこの曲を振ってこられた、っあの横浜でもたしか暗譜でいらした、

1楽章後半の主題再現は、コバケンさんでは2ndのみがピッツィでありつづけ、他の絃はすべてアルコであったようにおもうのだが、っきょうのキーミツは、2ndはそのとおり、っけれども1st、Va、Vcはディヴィジで、各プルト表はアルコ、裏はピッツィであった、っぼくの見間違えで、コバケンさんのときもそうだったのだろうか、楽曲への接触量のよりすくないキーミツがそのような改変を敢行されるとはおもわれないから、キーミツのほうがスコア通りだったのだろう、っもしコバケンさんが他の絃3部のディヴィジを無視して全員アルコで主題を弾かせているとすると、っほんとうに改変で、作曲者の求めている楽器編成を満たしていないこととなる、ったとえばチャイコフスキー《Pfコンチェルト》1楽章の序奏では、Vnの主題を、スコアにはさいしょは1stのみか、2ndのみか、1stのみか、っいずれ、っはじめはかたっぽのみで弾くように書かれてあるので、他方はそっくり休んでいて、ソロが装飾勝ちに同主題をなぞったのち、再現する際にやっとVn全員でそれを弾くのだが、コバケンさんはさいしょから全員に弾かせてしまわれる、っしかしそのばあいは、楽器の編成自身はチャイコフスキーの求めと変わっているわけでない、っところがここでは、サン=サーンスの求めた音を欠落せしめていることとなる、っどうだったかなあ、自信がなくなってきた、ったしかに、ああ、他はみんなアルコでテーマを弾いて、2ndだけがピッツィなのね、っと観ていておもったはずなんだが、、、っま、っどうあれ、っじっさいに鳴った音としては、っここのコバケンさんは表現意図が極めて明確だった、前段のリズム動機が通底するままに、っしかし主題はもはや再現しているという楽曲構成の妙を懸命に伝えむとする彼氏の有難迷惑と紙一重の律儀さがよくよく滲み出ており、っつまりそういうこちとらでも愛玩したくなるような味が、キーミツは出せていなかった、大才人が全精力を注ぎ込んで書いた天下の佳作なので、放っておいても綺麗に、っまさしくカッコよく流れていってしまう、っそこでしかしなにかひとひねり、っほんのひとひねりでもよいから、っぼくなどはどうしても慾しくなってしまう、

っただ、例の最後のトロムペットのポリリズムとティムパニのひとり舞台とは、っもとよりこの器のオルガンは他のすべてを消してしまうほどの音量は出せないのか、っあるは石丸女史が先週の勇み足を反省されたか、っわからないが、っどちらもちゃんと聴こえて、っそれこそカッコよかった、



っさて、っあすは、坂入健司郎氏も中編成とみられる楽団で《エロイカ》をお振りになるが、っぼくは先に公演が広告せられていた金山隆夫氏のハンス・ロットの切符を購ってしまってあったので、っそちらを聴きに錦糸町、

っそれからキーミツは、っまだまだ公演が追加せられて、夏には新日フィルとマーラー《夜歌》、秋にはOEKとショスタコーヴィチ《死者の歌》、っそのソロはふたたびのティホミーロフ氏だ、後者は近年に神奈川フィルとも演奏されたとどこかで読んだが、っいずれ、脱けていたピースがこれで出揃うこととなる、マーラーのほうは川崎の夏の音楽祭で、人気の催事なのか、去年の広上氏が代行された楽聖の公演も、発売初日に購ったはずだが、っもう完売寸前で、っまともな席が購えなんだ、会員向けの先行販売ですでにしてかなりの枚数が売れてしまうということだろう、っそんなわけで、っぼくも¥3,000/年のミューザの会員になっておいた、っこれで各切符を先行してかつ1割引きで購えるので、っいくつか公演へ通えば¥3,000分くらいはすぐに償却しうるようにおもう、っものはかんがえよう、



みずの自作アルヒーフ

 

《襷  ータスキー》(4)

 

https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351779591.html(1回配本)

 

《ぶきっちょ》(4)

 

https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351806009.html(1回配本)