池袋、 | ざっかん記

池袋、




井上キーミツ/千葉県少年少女オケ公演、済む、

演目はヨゼフ・シュトラウス《天体の楽》、齋藤秀雄のオーケストレイションしたバッハ《Vnパルティータ2番》〈シャコンヌ〉、っそして楽聖《5番》である、先年にキーミツが有楽町で楽聖《5番》を振られた際には、彼氏が都内で同曲を振るのはこれが最期と広告せられていたが、嘘で、っこんかいがあったし、っまあこんかいはプロフェッショナルではないということがあるかもしれないが、引退前最終公演でも演奏せられることとなった、

プロフェッショナルではないと云う条、っこの楽団のアンサムブルは秀抜である、っきょうも、っすくなくもシュトラウス、バッハ、っとくに後者では、音楽が完全に血肉化しており、単に1音1音が精確に掬い上げられるというのみでなく、っそれらを為すにあたっての体捌きのひとつびとつまでもが修身し切られているのがわかり、っしばしばオーケストラの音を聴いているという実感を離れて、オルガンが鳴っているようにも聴こえれば、っはたまたあるひとつの精神、っそれがバッハのなのか、っあるは齋藤イズムのなのか、っあるは千葉県の青少年への交響楽運動のなのか、っいずれ、っそれを敢えて音化すればかく成るとでも云わむばかり、眞に板へ附いた響を結ぶのであった、キーミツも、青年期にトーサイからさぞや苛烈に叩き込まれたとみえて、っかなり複雑なスコアだのに、暗譜で臨んでいられた、



楽聖は、演奏時間の長さに比例して相応に箍が弛むが、っもちろん基幹としては恆に立派な合奏ではある、っぼく個人の趣味としては、ったとえば1楽章ひとつを取っても、目立つところ以外でももっとトロムペットやティムパニが突出している音勢バランスで聴くほうがすきだが、

当節、楽聖を演奏するのはほんとうにむつかしい、っただ音を出すだけでよいならばいくらでもできるし、っそれだけどこの楽団も腕を上げているが、古今に雲霞のごと出揃った演奏語法演奏語法のうちでその人の、っその人だけの無二の味を獲得しえているかと問う瞬間に、演る側も聴く側もじつに心許なくなる、キーミツもその多分に漏れず、有楽町のときもきょうも、残酷に云えば、っあの造形ではぜんぜん平凡の裡である、N響や大阪フィルとの《㐧9》にしても同断であろう、っそういう時代にあっても、海外の俊秀には、おおっ、まだそんな可能性がありましたかっ、っという楽聖を振ってくれた人もいる、っそう云いながらぼくは、っあの改称以前の東京ニュー・シティ管で同《7番》を振られたヌーノ・コエーリョ氏の造形を念頭におもっているわけだが、日本人にも誰か、あの人のベートーヴェンはすごいよ、っという人が現れてくれたいものである、



っさて、っお次はこんどの土曜、っまた大阪行にて、キーミツの大フィルとの《オルガン》ほかプロ、キーミツがコバケンさんに引けを取らない貫祿を示されるものと信じたいし、オルガンの石丸由佳女史が2楽章の最後の最後で音量を自重され、トロムペットのポリリズムのカッコよさとティムパニの勇姿とをともに味わえればとおもう、



みずの自作アルヒーフ

 

《襷  ータスキー》(4)

 

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《ぶきっちょ》(4)

 

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