っきのう、
N響の下野竜也氏との《DQ》のコンサートのテケツが売り出したので、購う、
っふだん複数の楽団が《DQ》の公演を行なっていても行こうとしないぼくがこれを購った理由はほとんどひとつ、っほんの1小節がどのように演奏せられるかをたしかめたいからである、っすなわち、演目は《Ⅲ》のスート全曲を含むのだが、87年N響録音版による演奏だとある、っいったい、っこの但書がどの程度、厳密であるのか、っなんとならば、っそのN響による音盤へ録音せられた音には、出版せられている譜面と異なる部分が認められるからである、
《DQ》の管絃楽版スート音盤の演奏団体は、実質としてN響である東京絃楽合奏団を興りとし、N響、ロンドン・フィル、都響と変遷し、各団体で重複して収録しているスートも複数あるが、っその重複している際、後年に収録せられた盤には、ゲイム自身のリメイクに合わせて新たに作曲せられた楽曲が含まれていたり、既存の楽曲でも、先行音盤では行なっていたリピートをカットしたり、っある部分をオクターヴ下げて演奏したりといった変更がみられる、っそのうち、っあきらかに作曲者であるすぎやま氏ご自身の創意、判断によるとわかるものはよいのだが、N響による音盤には、《Ⅲ》にも《Ⅳ》にも、作曲家発信なのか楽員からの進言なのか判じ兼ねる変更が複数あり、オクターヴの上げ下げ程度ならばまだしも、《Ⅲ》の終曲〈そして伝説へ...〉に至っては、っついに音型までもが改変せられている、っすなわち冒頭のファンファールが最後に急速なテムポの裡に再現してくるその直前の1小節がそれであり、Vnのアルコが出版せられているスコアとはちがう音を弾く、出版譜が元のままで、っその後のロンドン・フィル、都響による音盤でもその譜面どおりに演奏せられているところをみると、っこの改変はおそらくはすぎやま氏ご自身による発案ではなく、純クラッシックの楽曲ではなくゲイム音楽作曲家の新曲だからと増長したN響のメムバーが、こっちのほうが効果的じゃないですか、っなどと提案し、っそれが採用せられたという経緯ではないかと、っぼくはむかしから想像している、ったしかに、っその改変はなかなかに効果的ではあるのだが、
っこんかいのコンサートにおいて87年N響録音版というとき、単に後年の他団体による音盤には含まれている新曲は除外し、出版譜のとおりに演奏するということなのか、音盤の収録中に盛り込まれた改変まで含めて忠実に再現するということなのか、ったかが1公演のためだけにそんなマニアックなこだわりが実践せられるともおもわれないから前者の可能性が高いとおもうが、っもしも後者であったら、っその心意気がとてもうれしい、っともかく、っその〈そして伝説へ...〉のファンファールが再現する直前の1小節を聴き届けるほとんどそのためだけにでも、っぼくにとっては聴く価値のある公演である、黄金週中で、直前には坂入健司郎氏の棒で同響を聴くことになるので、中数日を置いて指揮者と器とが変わった際の彼等のひびきの変化にも注目したい、
っさて、錦糸町、
みずの自作アルヒーフ
《襷 ータスキー》(全4回)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351779591.html(㐧1回配本)
《ぶきっちょ》(全4回)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351806009.html(㐧1回配本)