目黒、 | ざっかん記

目黒、




金山隆夫/カラー・フィル公演、済む、演目は、メンデルスゾーン《ルイ・ブラス》序曲、N響の佐々木亮氏を招いてバルトーク《Vaコンチェルト》、っそしてチャイコフスキー《悲愴》であった、メンデルスゾーンとチャイコフスキーとのともに同曲を同プロのうちに組むのは、ったしか上岡敏之氏が読響へ客演された公演でもあったのじゃないかとおもうが、っなにか由でもあるのだろうか、調性の連関性とか、楽句の共通性とか、史上の挿話とか、知らない、

っそのメンデルスゾーンは、中器に厳かに鳴って始まる、カラー・フィルもフライハイト響に劣らぬよいアンサムブルであり、1stには、中央区響でコン・マスをされていた壮年、小肥りの男性とおぼしき人がこんかいも乗られている、同団のVn連中のうち、彼氏は最年輩の類に入る歳恰好だが、奏楽のフォルム、ボウイングの闊達さは彼氏がいっとう勝るようで、若いコン・マスよりもよほどか意慾的の弾き姿であられる、終演して喫煙所でシガレットを服んでいると、彼氏がぼくの目前を通って帰ってゆかれた、、、っところでその中央区響の佐藤雄一氏が振られるこんどの公演だが、敢えなく、カーチュン氏公演とかぶってしまってぼくは聴けない、奥井紫麻女史とのラフマニノフ《パガニーニ・ラプソディ》と魅惑的の演目であり、っざんねん至極、

っで、午につづいてバルトークだが、っぼくはこの作曲家をぜんぜんよく聴かないので、Vaのコンチェルトがあることもきょう初めて知ったが、っどの曲を聴いてもだいたい不健康不健全で窮窟な音の肌合いをしているのですきになれなんだところ、っきょうのこのコンチェルトは、特有の出口のない深刻趣味は完全には払拭せられてはいないものの、遷り気にあれこれと楽想を乱れ打つそのどれもにどこかあっけらかんとした可笑しみがあり、楽器楽器の質感も効果的でたのしく、っぼくとしては僭越にも、お、なに、やればできんじゃん、っといったところである、っその楽案たちは彼氏の採集せる民謡から生起したものだろうが、抽象化せられているので、聴こえてくるのは精巧なマーキナーとしての絶対音楽であり、っむしろ無国籍のコムポジションである、っそのなかでしかし、っときおりかすかに、ん、いまのは一寸オリエンタルなのかな、っという音階が片鱗を覗かせたりし、っそれがよいアクセントとなっている、演奏も、佐々木氏といいオケといいじつによく練れており、っこちとら初めて聴く、っけっして単純明快ではない曲だのに、全曲ずっとたのしかった、

コンチェルトでのオケは愕くほど巧く、っひびきが安定しており、エラーらしいエラーもまるで発生せなんだが、チャイコフスキーははじめのうち、っやや雑然としていた、絃バス、ファゴット、佐々木氏も後列のほうで参加されたVaによる曲頭こそ最弱音に張り詰めた緊張感は出色だが、主部へ遷ると、木管はフリュートもクラリネットもしょっちゅう音がかすったり、っかすかに、きゃんっ、っといったりし、落ち着かない、絃にしても、㐧2テーマが初めて現れる段では、誰かセロあたりにピッチの甘い人がいて、っそれが鳴り出す瞬間だけおえっときもちのわるい不協和音が鳴ってしまっていたし、っつづく木管群による副次テーマも、遅くおおきく構える棒にみなよく附けられずに、連符を含んだ動機を唄いにくそうにする、

っしかし、っものぐるおしい㐧2テーマの再提示あたりからようよう集中力を増し、っついに一丸、展開へ臨戦す、っけたたましいティムパニを背景に絃が全霊を奮って歎き、トロムボーンの怒号と応酬する頂点は、Vnが最高音で絶叫し始める手前でティムパニを漸強せしめすぎると、っせっかくのその金切り声が騒音に掻き消されて曲趣も叶えられなく、っしかしどうしてもよのなかにはそうした演奏がおおく行なわれてしまっているところ、金山氏は迫力が犠牲となるリスクも覚悟の上で敢えてティムパニも他の声部もいったん抑えてしまって、満を持してVnを叫ばせる、納得の手筈だが、っそれにしても、っこの血みどろの破局を構成する絃とトロムボーンとで同一の動機はじつに、っあの麗しかったはずの㐧2テーマの副次テーマの、っその後半部分からの派生であり、チャイコフスキーは彼の人生行路上で、っまさに取り返しの附かない決定的の破滅を、っなにかしら経験したのにちがいない、想像できる人にだけ想像させておけばよいというその破滅を、っこれまで全世界の人々が懸命に想像してこの曲を演奏してきたし、聴いてきたのである、楽章を結ぶピッツィカート上の葬式のラッパにせよ、っかなり変型してしまっているが、っやはりこの㐧2テーマ副次テーマの変奏に聴こえる、っまた妙にあかるくて、聴いていて胸を締め附けられてならない、チャイコフスキーはそのこころを、人生を、っみずからの手で柩へ納め、っみずからの手で葬列へ送り出すのだ、っきょうのその葬送ラッパでは、トロムペット連が努めてトロムペットらしい剣のある音質を発すまいと、っかつそのために音量をまで矯めてしまうまいと吹くのがまったく出色で、っすばらしいテクニークである、っそれとトロムボーン連とが綾を成して重なり、葬列は粛然と歩んだのであった、

金山氏はあいかわらずの憮然たる棒だ、振るのを止してしまってオケを見ているだけという場面も頻出する、っもちろん2楽章は、5拍子なんて七面倒なものを振ってたまるか、ってなものであり、最終音を結ぶ途端に腕を下ろして、弱音のかすかな残響なんて知ったことかとでもいうようにスコアを捲る紙の音をさせている、っこちとらきもちがよいくらいだ、

3楽章は、っこないだのカーチュン氏公演では踏破後に拍手が起こり、っいまどきまだそんなあほな客がいるのかよと辟易させたものだが、っきょうはそんな心配は、っぼくは一寸したが、果たして誰も拍手せず、金山氏は腕を下ろして、平然と休みを取ってからフィナーレを招来す、っさいしょの1音に全員でうんとアクセントを附けて始める演り方より、っきょうのようにフェイド・インのようなボウイングで泣く泣き方のほうが、っぼくはすきだ、

全体に、っではなにか突出した存在感がありましたかと云われると、っとくに2楽章以降終演まではきびしい面もあるが、本調子へ達してからの1楽章では、教えられることも感銘を与えられることもすくなくなかった、っそれに、コンチェルトがおおきな収穫だ、っぼくは、彼のふたつのVnのものよりもよほどか名曲ではないかとおもいながら聴いていたほどである、



っさて、先週はじめに中野の試掘へ行ってきたが、っあさってもまた別の中野の試掘、っまた、来週には先年の狛江の古墳の頓挫していた調査のつづき、っぼくはこんげつは今週も来週も平日に休みを取る日があるので、っそれとバッティングしないかとはらはらしていたところ、人足人事ボスから、水野くんの休みとかぶらないようにスケデューリングしといたからよろしくねー、っと連絡があり、っぼくとしても他の人に任せるよりは自分でやりたい現場だったので、っありがたい、



っそれで次の演奏会はこんどの土曜、井上キーミツの新日本フィルとのマーラー《3番》だが、木曜にはそのテケツの所持者を対象とした公開リハーサルがあり、っぼくは音楽人には本番の舞台での勝負でのみ責任をとってもらえばよいので、っどんな手順で演奏を仕上げてゆくのかという過程を覗き見するというのは聴衆としての越権行為のようにおもうが、っまあ引退されてしまうキーミツであれば、っこちとらとしても格率を曲げてでも1度でもおおくそのお姿へ接しておきたく、午后休みを取って、錦糸町へ行くこととした、っもちろん、リハーサルの進め方の実際に触れられるのは、っすごくたのしみなことにちがいない、っぜひとも、っお客が見物しているなどということはいっかなお気になさらずに、っふだんどおりの練習を見せていただきたいものである、



みずの自作アルヒーフ

 

《襷  ータスキー》(4)

 

https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351779591.html(1回配本)

 

《ぶきっちょ》(4)

 

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