渋谷 | ざっかん記

渋谷




都、遺跡発表会午前の部、済む、

発表をされた4名の方のうち2名とは、っぼくも仕事上で直接の附き合いがあったが、っふだんとちがう緊張している顔を拝ませてもらえるかとおもったら、っおふたりとも流暢で、っよく纏まった発表をされた、世田谷については、っうちの会社で作成した形象埴輪の3Dデイタもよろしく活用せられていた、

っしかしいつもおもうが、っこの発表会は、一般の人間にとっては遺跡の実相の一端を知るよい機会かもしらんが、っなにしろ各遺跡の発表は1人2、30分程度、っそれも地歴の概説から始めねばならないので、出土内容については概要も概要を述べるにとどまらざるをえず、っぼくら遺跡会社の素人社員にとってもそうだし、専門家にとってはなおのこと、っおよそ喰い足らない通り一遍の話っきり聞けまい、午前の部が散会して手洗へ寄ると、っその手前で、世田谷の発表聞きに来たのよ、っというソヴァージュ・ボスと往き合ったが、っうちのほかの人間の顔は誰も見なんだ、手洗では、専門家同士というのでもなさそうな老紳士2人連れの会話を小耳に聞いたが、曰く、誰々さんには声を掛けたの、うん、電話したけれど、行かないよ、レジュメだけ送ってくれればいいからだってさ、っと、っま、一寸でも遺跡を識っている者にとってはそんなところだろう、

っただ、開口一番を務められた北区の貝塚の発表でわずかに小首を傾げたのは、貝層はおろかその下部の砂礫層のさらに形成以前の土層に、木杭、竹杭が打設せられてあるのが検出せられたという報告だ、腐蝕が相当度に進行していたとのことではあるが、示された写真を見るかぎり木質が瞭然と遺存しており、一目で木杭、竹杭とわかるような状態だったし、実測図も掲出せられていたから、っつまり取り上げることができたというわけで、っぐずぐずの、っほとんど土へ還りそうな木質ではなく、っほんとうにごろんとした杭として埋まっていたはずである、っいかなシルト質土層にパックせられているとはいえ、有機物がそんな軽度の腐蝕のまま数千年に亙って遺りつづけることがあるのだろうか、っぼくなど、砂礫層下部からの検出っつってるけれど、ほんとうはもっと上から打ち込まれているごくさいきんの杭をそうと見誤ったんじゃねえの、っと訝ったくらいだが、年代測定でも縄文時代のものとの結果が出ているとのことで、質疑応答の際に敢えては質問せなんだ、後学として、低地性遺跡においては、っあんなにはっきりした木でも縄文の遺構の可能性もあると弁えておくとせむ、っま、っでもそうだよな、同遺跡では往時の汀線と想定せられるあたりから自然流木も出土しているというから、木が遺るんだねえ、6,000年も7,000年も、



っさて、午后の部では、っかってのうちの中央区現場へあの往時、研修で出張ってきていた女の子が、っどこかの遺跡の近代遺構のコンクリート基礎みたようなものについて発表をなさる予定となっており、彼女こそド緊張されそうなタイプにおもえ、っその姿を見たくもあったが、中座して錦糸町へ移動、っこれから井﨑正浩氏とフライハイト響との公演、メインはドヴォルザーク《8番》で、棒に趣味がないと構成が淡泊にすぎると聞こえてしまい勝ちの曲なので、っそこを井﨑氏の辣腕に期待を懸けたい、前プロにカッコいいエネスコ《ルーマニアン・ラプソディ1番》が含まれるのもうれしい、



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《襷  ータスキー》(4)

 

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