豊田、 | ざっかん記

豊田、




井上キーミツ/名古屋フィル最期の共演、済む、

っやはりキーミツはブルックナー《5番》を初振りでいらしたようだが、っそれであれかよっっっ、っなんたる微に入り細を穿つ譜読みと、っそれでいながら全体の流れの自然さか、

っそして名フィルっっっ、豊田市コンサート・ホールっっっ、っかなり手狭なので、っこんなところでブルックナーなぞ鳴らしたらわんわんぎゃんぎゃんするだけではないかと惧れたが、っもちろん優に飽和している、全曲開始からしばらくはうるさくなる1歩手前だったが、っじきに熟れて、っそうすると綜ての楽器が、下位の奏者に至るまでじつにじつに濃密に聴こえる、っあの芸文センターでのキーミツとのショスタコーヴィチ《8番》でも天下の名楽団とおもわせたものだが、っきょうはこの器の性格もあり、っなお輪を掛けて雄渾の極致、

坐した位置もザ・ベストっっっ、っすなわちR1列の34番だが、っそこからバルコニーが1段上方へずれており、っその舞台へ最も近い突端部なのだが、視界としても期待したとおり、っや、っそれ以上の最高の眺望で、っもうすこしく死角ができてしまうかと踏んでいたので、入場して席まで行って坐したときの感動は無上であった、周到に切符争奪戦へ臨んでおいてほんとうにほんとうにほんとうによかったっっっ、っこのほんの1公演のためだけに先行販売へありつける器の会員費¥3千/3年を出した甲斐があったというものである、



ブルックナーの前に豊田市ジュニア・オーケストラの面々と名フィルとの合同演奏でモーツァルト《ドン・ジョヴァンニ》序曲、絃は全プルト表へ子供たちが坐し、裏は名フィル連、管も名フィル連は2番以下へ下がり、子供たちをバック・アップ、狭い器にモーツァルトらしからぬ大編成だが、っしたがってこの時点ですでにして曲頭からこちとらの肺腑を抉るまさしく地獄の音がする、キーミツはコンサート・ピースとしてのモーツァルトの序曲では《フィガロ、、、》でも《マジック・フリュート》でもなく同曲をこのまれるようで、っすでに複数回聴いているが、っきょうはひびきの迫眞性においてこれまでとまるで段違いである、っほんの数分のみで子供たちの出番は済んでしまったわけだが、っその数分で、っぼくのブルックナーへの期待は無限に膨れ、っはらはらしつ15分の休憩をすぐしたのであった、



果たして、っその1楽章はなんと立派に屹立したことだろう、初振りという経験値不足はかえって怪我の功名というのか、キーミツもショスタコーヴィチなどでは、十八番ということもあって、煩雑な変拍子でも棒がぞんがい不親切だったりするが、っきょうは音々を丁寧に丁寧に扱わむとするのが腕の軌道や楽員楽員とのアイ・コンタクトの取り方に如実に表われており、大トュッティが去ったあとへすくない楽器のみが取り残されるような個所で拍を明確に振ってあげたりなど、上に云う自然な流れは、っそうした愼重さからこそ結果結實していたものである、っそして、っさように1音1音を着実に置いてゆく手附きにより、感情に流された軟派な雰囲気が微塵もせず、っある種の冷厳が発露したことが、っこの1楽章の曲趣と期せずしてよくスウィングした、㐧2テーマなど、テムポとしては速いくらいで、絃の唄い方もひじょうによい意味でさばさばしている、っそれでこそポリフォニーの複雑さは高解像で伝わり、容易に人を寄せ附けない気高さが出来するのである、っこの楽章にかぎらず全曲に亙って、悠然たる名フィルが高級な器に鳴って、恆にごくごくゆたかなひびきだのに、同時にすべての瞬間がいつも物理音の集積として明晰でありつづけたことが、眞に偉大である、ハーモニーも濃厚、ポリフォニーも設計図をでかでかと拡げて見せられるかのよう、っまさしくシムフォニー、一大シムフォニーの一大演奏である、

2楽章では、㐧2テーマのふかぶかとした絃合奏に抱擁せられて、っぼくはついに落泪を堰きえなんだ、っや、3楽章でさえ、一転、っぐっと腰を沈めて豊富な情報量を確保せむとするキーミツの棒と、っまた名フィルのレスポンスにみる冷静と熱情との塩梅とに、っぼくはぐっと昂るものをおぼえないわけにゆかなかった、っそれにしても、っあの札幌での弱々しいキーミツはぼくをひどく心配させ、いったい向こう1年間、彼氏のご体調は保つのだろうか、っとおもわせたものだが、っきょうの振り姿など、意志と意慾とに溢れる、本調子中の本調子ではないか、っそしてやはり、っそうした心技体に充実しているままに、彼氏はお辞めになりたいのだ、

フィナーレはきょう、人智における喜悦、勇躍としての㐧1テーマ、超越者としてのコラール・テーマ、っそのコントラストを初めて実際の音として眼前にみた気がした、っそしてその両が、っついに同時に鳴るのである、っこの作曲企図自身としては楽聖からの感化、借用にほかならなく、っあまつさえ楽章冒頭において先行楽章を回想することさえ模倣しているが、っそれを純器楽で、っより執拗かつ周到な展開に徹し、全編をこれフーガで一貫せしめたことにより、天上の楼閣は竣工をみた、っきょうさっきほど、最後に最強奏の裡にコラール・テーマが凱旋してくる時間を唖然として仰いだことはいまだかってない、

っゆうべほとんど睡眠らしい睡眠が摂れていないにも拘わらず、睡魔が寄り附く隙はなかった、っほんとうにみごとな演奏であった、キーミツのブルックナーは、読響との《8・9番》を川崎で聴いているが、器の条件からいって、っきょうの感銘は次元がちがう、っあるいはキーミツの表現の熟度としても、初振りのはずのきょうの《5番》こそ突出しているやにおもえる、っそしてしかし、っきょうはいま、ブルックナーを聴いた、っという実感がよりつよい、キーミツを聴いた、っではなく、指揮者冥利に盡きるであろう達成ではないか、



っそのキーミツ、っまたあらたな公演予定が加わり、奇しくも京響とのブルックナー《8番》、っそれはしかし先回の彼氏の同響公演時に舞台上で言及されていた、彼等コムビはすでに同曲の音盤を制作済みだが、っそこではソフィスティケイトせられたひびきがこの作曲家にそぐわないようで、っなべて弱音をよわくしすぎる嫌いもあり、っきょう出せていたような硬派、豪傑的の佇まいからは遠い、っぜひそのあたりの更新を期されたいところだ、

午は食事のあと丸の内から地下鉄へ乗り、乗り換えなしで豊田市だったが、っそれは名鉄で、車輛は、っむかし懐かしいあの鈍い臙脂色みたようなボディであった、っぼくの実家の最寄り駅も名鉄で、高校生、浪人時分にまいにち乗っていたときにはそのおなじ車輛だったが、っいつかに帰省すると銀のもっと洗練せられたものに変わってしまっていた、っまだ路線によっては旧いままなのである、

豊田から取って返してこんどは伏見で降り、名駅方面へ歩き、王将で食事、厨房の巧さといいホールのオペレイションの円滑とおばちゃん店員さんの愛想のよさといい、ったまさか入ってみたが、最高クラスの店舗のうちへ数えてよいようで、席へ通されてものの10分15分で食事が済む、っすばらしい、

名駅で土産を購っていったんコンコースを突っ切り、南側へ出て、南側ってのか西側ってのか、詣でたい詣でたいとおもいながら何度行っても改装中で封鎖せられていた椿神明社がやっと開放せられており、首を垂れて柏手を打ってくる、戻って駅前の喫煙所で一服、新幹線のホームへも喫煙所があったので、っもう一服、っいま車中で、っはやいところこれを書き上げて赤福を食べながら茶を飲みたい、



帰宅は日附を跨ぐころになろうが、っあすも忙しい、っあさは、渋谷で都の遺跡発表会をしているので聴講へ行き、夕まで1日中やっているがぼくは午前中のみでどろんして、午は錦糸町で井﨑正浩氏公演、っよるは目黒へ遷って金山隆夫氏公演である、疲れるわ、、、



ってなわけで、赤福赤福、



みずの自作アルヒーフ

 

《襷  ータスキー》(4)

 

https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351779591.html(1回配本)

 

《ぶきっちょ》(4)

 

https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351806009.html(1回配本)