論理的思考の欠如が、 | ざっかん記

論理的思考の欠如が、




っいま日本の若年層において、構造的に生起しているのだろうか、

っこれからここへ書くことは、愚痴とか怒りというよりも、っほんとうに単に不可思議の表白と取られたい、なんでそうなるのよ、、、っという、

っや、っきょうは板橋の試掘で、っあさきのうのオーケストラ・ダスビダーニャの音盤のふたつほどをiPhoneへ同期していたら室を出るのが遅くなってしまい、9時ぎりっぎりに現場へ着くという醜態を晒したが、っま、現場周辺がスクール・ゾーンで9時を回らないと重機を積んだダムプが進入できず、作業開始はそれ以降だったので、事なきを得た、

っそれで午后に作業を了えて、っいま府中のあたりまで戻っていつものチェインのカッフェで休憩しているが、カッフェの店員さんというのはみなお若いアルバイトの方だろうが、っこのカッフェではどこの店舗でも外国人を雇い入れているということはなく、っほぼ全員が日本人である、っそれが、っごく頻繁に、見咎めるほどではない細かなオーダー・ミスがある、っぼくは苛立つよりもほんとうに、あ、え、なんでそうなるのよ、っと呆気に取られてしまう、

っぼくはだいたいいつもデザート・セットでアイス・コーフィーを頼むのだが、っこのカッフェでは、っその段階でコーフィーへガム・シロップを入れるのかを訊かれる、、、っそれでだいたいどこのチェインだか知れてしまおうが、甘党のぼくはシロップは入れてもらうが、ミルクならぬフレッシュは使わないのでかならず、ミルクは要らないです、っと云い足す、っきょういまもそうしたが、っそのとき長身イケ・メン君の彼は、はい、ミルクなしで、っとたしかに相槌を打った、っところが、っものの2、3分後に商品をおなじ彼が運んできて、こちらアイス・コーフィーになります、こちらミルクです、っとミルクをテイブルへ置いて寄越すのだ、っそしてその、こちらミルクです、っと云う声音、トレイからテイブルへ銀のちっちゃなミルク・ポットを運び下ろす手附きに、っほんのほんのほんの一片の躊躇も発露しない、っつまり、あっ、いけねっ、この人ミルク要らないって云ったんだっけ、っという感触が皆無絶無なのだ、っこちとら吃驚してしまう、え、キミさ、俺とキミとが、ミルクは要らないです、はい、ミルクなしで、て会話を交わしたの、つい2、3分前だったよね、俺のあのときの、よし、ちゃんと意思の疎通が叶ったな、て手応え返してよ、、、っという、っそれがきょういまの彼だけではない、複数の店舗で、っごく頻繁に起こるのだ、

っおそらくこういうことだ、っこのカッフェでは、オーダーはタブレットというかスマート・フォンのようなもので受けている、っそこでオーダーを送信すれば、アイス・コーフィーならばアイス・コーフィーを準備するのは厨房の人間だ、オーダー用のアプリケイションにミルクの有無まで指定する項目がなければ、アイス・コーフィーを作る際にはミルクも附属せしめるまでが厨房としては一連の工程となる、っだからオーダーを取ったホールが厨房まで戻るころには、ミルクが附属したアイス・コーフィーが用意せられてしまっている、

っぼくが云うのはそこでだよ、っそのオペレイションなら客がミルクは要らないと云ってもミルクまで附属でアイス・コーフィーが用意せられてしまう、っしかし、オーダーを取ったホールは、あのお客さんはミルク要らないっておっしゃったからな、っと厨房へ向かって、ごめんなさい、このお客様、ミルクご入用でないんですよ、っとひとこと云って、コーフィーのみをトレイへ乗せて、っちっちゃなミルク・ポットは乗せないで給仕へ向かうことができるはずだろうと、っところがじっさいには、用意せられるままコーフィーとミルクとを両とも持って、っそのまま客へ出してしまう、っそしてほんとうにどうしても不可思議至極で仕方がないのだが、繰り返すが、っきょうの彼も、彼以外のほかの店舗の店員さんも、要らないと云ったミルクを運んで来てしまう人は、っまったく、完全にいっさいの躊躇なく、こちらミルクです、っと云ってそれをぼくのテイブルへ置いてゆく、っほんとうに、っまったく、完全にいっさいの躊躇なく、っだ、怒っているのでなく、っむしろ笑ってしまうのだ、っあれで、っこれも繰り返すが、っほんのほんのほんのすこしくでも、あちゃあ、この人ミルク要らないんだったわ、でももうここまで来ちゃって、こちらミルクです、て口に出して云っちゃったし、このまま知らんぷりして置いて来よ、っみたようなニュアンスが声音とか挙措とかに露われていたら、あ、たまさかいまは不注意だったのね、っと納得できるのだが、お前の記憶は1分しか保たんのかい、ってなばかり、っほんとうに、っまったく、完全にいっさいの躊躇なく、こちらミルクです、っだからなあ、、、笑うよ、

っや、大学生風情のアルバイトなんてそんなもんでしょ、バイト済んだら一刻も早く彼女へLINE送りたいとかおもいながら上の空で働いてんだから、っくらいに解しておくのが妥当とみる向きもあるかもしらんが、っぼくはなにか構造的に、日本人の論理的思考が著しく減退してきているのではないかと訝らずにいない、



っだいぶん以前、っもう10年くらい前かな、っここで、7・11のnanacoという電子マニーのチャージについて云々したことがあり、っそのときにもロジカル・シンキング、、、亡くなった西部邁氏は濁らないthのときにはスィンキングとこういう表記を採られていたな、っではその顰に倣って、ロジカル・スィンキングの欠如を難じ、っかつ歎じていたのだった、

っぼくは、っいまではもうnanacoは使わなくなってしまったが、画学生時分に7・11何軒かでアルバイトをして、っそのときにちょうど同サーヴィスが開始したので、店長から君等も作って使ってくれろよと作らされて、っそのまま惰性で数年は使用していた、っそれは¥1千単位でチャージして使用するのであり、7・11の、っいまはレジスターを客が手ずから操作して行なうのだが、普及当初は、店員へチャージの旨を申し出て、チャージ分の現金を相手へ渡し、店員がレジスターを操作して、客がタッチ・パネルへカードをかざすかたちでチャージをするのだった、っさてそのときにだ、っぼくの10年だか以前の雑言は、nanacoにチャージお願いします、と云って¥1千札を出したときに、nanacoに¥1千チャージでよろしいですか、と訊き返してくるな、っというものであった、

論理的思考をあたりまえによくする人は、っそこでのぼくの苛立ちに、うん、水野のそのきもち、よくわかるよ、っと同意してくれることだろう、同サーヴィスは、¥1千単位でっきりチャージしえないのである、っしたがって、っいくらと金額を云わずにただチャージだと云って¥2千札以上を出したお客にはいくらチャージするのかを訊く必要があるが、¥1千札を出しながらチャージだというお客に対しては、っなにも訊き返さずにかしこまりましたと札を受け取るのこそ論理的に眞である、¥1千チャージでよろしいですか、っなどというトートロジーを擲げ返してこないでくれたいのだ、っそれが、っまあ敢えて云えば男性的の論理的思考というものである、女性はよく男性に対して、男はぜんぜん女心がわからない、っと不平を云い、っもちろんぼくらはそれをよろしく、、、っか甘んじてかはともかく、っすべて恭しく承りますけれども、っでは女性は、っこういうときに苛立つ男心というものをよく諒解されているのであろうか、、、っや、っその10年前に愚痴ったnanaco談義のときにも、申し訳ないが、¥1千札に対して¥1千チャージでよろしいですかと訊き返してくるのはおばちゃん店員におおいと断わっておいたのだった、、、

っただ、っぼくもそれなりにおじさんになりましたのでね、¥1千札に対して¥1千チャージでよろしいですかと訊き返すのは、勘違い防止などの周辺的の可能性まで考慮へ入れれば、完全にトートロジックとまでは云えない、っということくらいは弁えてはいますよ、っすなわち、客はほんとうに¥1千札の心算で¥1千札を出したのか、ほんとうは¥2千札以上の紙幣を出して¥2千以上のチャージをせむとしているところ、よく見ずに誤って¥1千札を出していないともかぎらない、あなたの出した紙幣は¥1千札ですが¥1千チャージでよろしいんですね、っというふうに解すれば、¥1千札に対して¥1千チャージでよろしいですかと訊き返しても、っこれは論理として整合しているし、っそこに女性特有の親切心をみることにも、っまあぼくは吝かではない、、、っでもねえ、っあの往時、っぼくに¥1千チャージでよろしいですかと訊き返してきた大半の7・11のおばちゃんたちは、っやっぱり論理的思考が欠如しているからそう訊いてきてしまっていたように、っぼくにはみえていましたけれどもね、



っそういうことはぼくのばあい、日常生活のなかでたくさん気が附くのである、ったとえばいつも寄るスーパー・マーケットでは、現金払いのときのみ、食糧品については3/103の値引きを受けられるメムバーズ・カードというのがあって、、、っまたどこのスーパーかわかっちゃうだろうけれど、っそれは現金払いっきり適用せられないのだ、っそれでレジ打ち時に同カードを提示して、会計は会計機で客が手ずから行なうのだが、っなんだか現金払いとそれ以外の会計法のときとでレジの最後の操作が異なるのか、レジ打ちが済むと店員さんが、お会計方法はどうなさいますか、っと訊いてくる、っもうおわかりだろう、っこちとらが同カードを提示してレジ打ちが始まったのなら、お会計方法はどうなさいますか、っとか、お会計は現金でよろしいですか、っとかと訊いてくるなというのである、現金払いじゃなきゃこの割引きは受けられないのだから、同カードを提示した時点で他の会計方法は捨象せられている、っそれが論理というものである、トートロジーを俺へぶっつけてきやがるんじゃねえ、俺は男だぞこなちきしょう、っという、っこれがいつの日もまともな、、、っはずの男の苛立ちというものである、



っあるいは、ったまにマックへ行くことがある、っぼくはいつもいちばんさいしょに、テイク・アウトでお願いします、っと告げてからオーダーへ入るのだが、っかなりの頻度で、オーダーを了えたあと最後に向こうから、お持ち帰りでよろしいですか、っと訊かれる、っひどいときには、店内をご利用ですか、っとくる、っずっこけちゃうよまったく、っそれもいまのこのカッフェとまるでおなじで、あんたの短期記憶はいったいどうなっとるんだ、っというくらい、っまるで平然とそう訊いてくる人もすくなくない、

最後にそう訊いてくるということは、レジスターのタッチ・パネルでイート・インかテイク・アウトかを入力するのは、っあるいはいちばん最後の手順なのかもしれない、っにしてもだ、っほんの2、30秒前に、テイク・アウトでお願いします、かしこまりました、という会話を、ぼくとあなたとは交わしましたよね、あれはいったい夢か幻かなにかだったんでしょうか、、、っという、

マックのばあいはしかしこのカッフェとちがって、っその、お持ち帰りでよろしかったですか、っと訊いてくるときに、相手が、訊きにくそうな、済まなさそうな貌や声をしていることがたまにある、女の子などはそうだ、っだから彼女たちは、っぼくがさいしょにテイク・アウトだと告げたことはちゃんと憶えているのだ、っでも訊いてきてしまう、

っここからはぼくのまったくの想像だが、彼女たちの心裡でなにが起こっているのかといえば、マックのクルーとなった彼女たちは、っともかくマニュアルの徹底遵守をきびしく云われて店舗店舗へ勤務を始める、っいちばん最後の入力事項なのか知らないイート・イン/テイク・アウトの選択の際、っかならずお客からの確認を取るようにとのマニュアルとなっている、っそのマニュアルを彼女たちは必死に読んで覚え、日々、店舗で実践せむとする、っだからその入力項目まで来たとき、反射的に口を突いてお客へそれを訊いてしまう癖になっている、接客態度を身に修めるとはまずはそういうことであろうがしかし、っいっぽうで彼女たちは、ったとえばぼくという客は接客の冒頭で向こうからテイク・アウトだと告げてきたことをちゃんと憶えている、っいかなマニュアル上イート・イン/テイク・アウトの入力時には必ずお客からの確認を取ることとなっているとしても、っさいしょに向こうからテイク・アウトだと申し出た相手には再度そのことを確認する必要はない、っしかしそこでお客へなにも訊かずに無言でテイク・アウトを選択することは、四角四面にかんがえればマニュアル違反である、とにかくマニュアル絶対至上、マニュアルにはけっして逆らうな、っという仮に社内教育が行なわれているのだとしたら、だってこの人さいしょにテイク・アウトだって云ったもん、そのことあたしちゃんと憶えてるもん、でもその入力のときには絶対に客に確認を取れってマニュアルになってんだよね、、、っという板挟みとなって、っそれであのなんともいえない渋面で、っほんの2、30秒前にテイク・アウトだと云ったぼくに、お持ち帰りでよろしかったですか、っと訊いてくるのではないか、

っこの想像がある程度ただしいとしてだ、仮に無言でテイク・アウトを選択した女の子はあとで客が見ていないところで、なになにちゃんダメだよ、イート・イン/テイク・アウトは必ずお客様の確認をいただいてからじゃないと選択したらダメっ、っとかと叱られたりするのだろうか、っだとしたら、っそのようにちゃんと論理的思考を有している女の子を、っあほなマニュアルで苦しめないであげてくれたい、、、っもっとも、若くときに、よのなかというのは、かすかなものからおおきなものまで、理不盡で溢れ返っている、っということを身体で識っておくのは、心理の免疫にとってけっしてわるいことでなく、っあるいは女の子のほうがあほなマニュアルを甘受すべきとも謂えるかもしれないが、



、、、っや、っこのカッフェがあまりにも要らないと云ったミルクをほんの2、3分後に持って来るということをどこの店舗でも平然とやらかしまくるので、っそうこのカッフェにしても、っさっきのあのあんちゃんは、客のオーダーを取る、オーダーを取れば厨房がそれを用意してくれる、コーフィーや料理が厨房から上がってきたらそれをお客へ供する、っそのマニュアルの遵守に汲々とするあまり、っお客がミルクは要らないと云ったとか云わないとか、自分がそれにかしこまりましたと返辞したとかしないとか、っそんなことは瞬間瞬間に忘却の彼方なのかもしれない、っでも誰もそんなに手馴れていないふうでもなく、もうそれなりの期間、勤務しているんじゃないの、っという子でもミルクを持って来ちゃうから、申し訳ないが、こんなおバカさんがあと数年で一般企業だのへ入社して、果たしてなんの役にも立たないんじゃないのかしらん、っとどうしてもおもってしまう、各企業は、人を育てるのってホントたいへん、、、っと辟易しているのではないかと拝察せられてならない、



カッフェでもコンヴィニでもスーパーでもマックでもひじょうにしばしばそうだということは、我が日本の若年層はすでにして構造的に論理的思考を逸しつつある、っそう推論しても強ち遠くはないのじゃないかと、ったとえば、マニュアル等でAという手順を指南せられていても、Bという手順を採っても結果がおなじならば、Bも許容すべきだ、っという判断をよろしく為しうる人が、子供たち、青年たちのうちに、っちゃんと大勢いてくれるだろうか、っぼくはいま目前の使わないままの銀のちっちゃなミルク・ポットへ目を遣りつ、云い知れぬ不安に驅られずにいない、

っというのは、マニュアル等でAという手順を指南せられていても、Bという手順を採っても結果がおなじならば、Bも許容すべきだ、っという判断は、単に一寸仕事の捗がゆくとかゆかないとかに止まらず、っひいては人が勇気を有てるか否かという問題へ帰着するとおもうからである、Bでも結果はおなじだ、っという論理に自信を有てない人は、マニュアルにはAと書いてある、っという同調圧力に屈してしまうにちがいない、っそれはすなわち、日本人の、日本国の弱体化よりほかを招かないだろう、



、、、大丈夫かいな、我等が日本国よ、

っやっとかめでかかる七面倒なことを書いた、っこれはこれでまたたのし、



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